神宮球場
| 名称 | 神宮球場 |
|---|---|
| 種類 | 多目的野球場(主にプロ野球・ファウルライン測量展示を併設) |
| 所在地 | |
| 設立 | (開場式)/同年中に改修増設 |
| 高さ | 第1観覧層(最上段)で約29.6m、照明塔で約58.2m |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造(観覧席)+トラス屋根(可動式・一部区画) |
| 設計者 | (スタジアム構造担当)/(音響・反響板設計) |
神宮球場(じんぐうきゅうじょう、英: Jingū Baseball Stadium)は、にある[1]。
概要[編集]
現在ではの本拠地として知られるは、公式戦の熱量に加え、球場周縁に“音の道”と呼ばれる導音壁を巡らせた点で特徴づけられている[1]。
また、単なる運動施設にとどまらず、地域の交通調整・群衆制御・反響研究を目的として段階的に拡張されてきた施設として整理されている[2]。その結果、開場から数十年を経るにつれて「野球場でありながら、都市の実験室でもある」と評されるようになった[3]。
なお、当初の計画図には“神宮”の名が付いていなかったとする資料も存在し、現在の名称は複数の市民団体の折衝に由来するという説が紹介されている[4]。
名称[編集]
「神宮球場」という名称は、に由来する地名系の呼称として整理されている[5]。ただし、初期には仮称として「都心北球場」が用いられ、同時期に「白羽根スタンド」という愛称も併用されたと記録されている[6]。
社史資料では、命名はとスポーツ振興会の合同会議で決定されたとされる[7]。この会議では、観覧席の視線角度(平均視線上昇角 7.3度)と導音壁の傾斜角(標準 12.0度)を統一する条件が先に合意され、最後に名称が“球場の方位”として決められたという[8]。
一方で、新聞連載記事では「神宮」という語が“試験的な観衆導線”の研究コードに採用されたのち、一般化したと説明されており、行政由来の語感と都市計画由来の語感が混在している状態と指摘されている[9]。
沿革/歴史[編集]
前史(測量と音響の時代)[編集]
にが発表した小報では、「球技場の反響は、形状よりも導音面の配置で決まる」と論じられている[10]。この研究は当時、学術側では“空間音場の市民実装”として扱われ、のちにスタジアム設計へ転用されたとされる[11]。
同研究所の技師は、観客のざわめきの周波数帯を“野球音モデル”として分類し、導音壁の材質候補として陶磁器混合モルタル(配合比:石灰 41%、珪砂 37%、微粉 22%)を提案したとされる[12]。この数値は当時の工事報告書に残っているが、後年の検証では一部が実測値ではなく試作計算値と考えられている[13]。
開場と拡張(都市の群衆工学)[編集]
に開場したは、当初から観覧席が“3層(第1〜第3)”で計画され、第2層は「雨天時の音量確保」に特化したとされる[14]。また、外周動線を2系統(内周 1,180m/外周 1,620m)に分け、入退場の交錯を 0.14% に抑えるという目標が掲げられた[15]。
拡張の転機としては、の大規模興行で、屋根下とスタンド上段の歓声に最大 6.8dB の差が生じたことが原因で、可動屋根の増設が決定されたと説明される[16]。当時の設計変更は会議録に「“静かになる時間”が観客満足度を下げる」との一文で記されているとされるが、当該一文は後年の要約文だとして慎重に扱うよう求める声もある[17]。
さらにには、スワローズの本拠化に合わせて広告塔の高さ制限(照明塔 58.2m以内)が再確認された。これにより、外部の視認性を保ちながら、近隣の電波障害を 3区画分だけ低減できたと報告されている[18]。
現代化(反響展示と安全運用)[編集]
近年では、ファウルライン周辺に設置された「走者距離の反響展示」が観光要素として整備されている[19]。この展示では、打球がベースラインから何cm逸れた場合に、導音壁がどの方向へ音の影を作るかを体感できるとされる[20]。
また、群衆制御の観点から、試合日ごとの入場時間帯の分散(ピーク平準化係数 0.87)が運用指標に採用されている[21]。この係数は当初“経験則”として扱われていたが、後にがデータ化し、現在では施設運用の基準として参照されるようになった[22]。
施設[編集]
は、主にの公式戦に合わせて設計され、内野・外野の視界確保と反響の回収効率を重視した構造となっている[23]。観覧席は第1層が起点となり、第2層で導音壁の反射を受け止め、第3層で音の遅延(約0.21秒)が減衰しないよう調整されると説明されている[24]。
フィールド面では、芝の密度を“年間の平均 7.4kg/m²”で管理し、試合前の目土量を“標準 12cm”とする計画が存在したとされる[25]。ただし、これは後年に「試合日だけ芝の触感が変わる」という声があり、実測との乖離が問題化した経緯がある[26]。
なお、乃木坂46のでは、歌唱と歓声の反響を最適化するために、期間限定でスタンド下に“合唱反射パネル”が展開されたと伝えられている[27]。この運用はスポーツ用途とは異なるが、施設の多目的性を裏づける事例として紹介されてきた[28]。
交通アクセス[編集]
へのアクセスは、主要導線を内の環状道路と連絡する設計として説明されている[29]。最寄りの案内系は「神宮球場前バス停」として複数路線が集約され、試合開始 2時間前から運行間隔が段階的に短縮されるとされる[30]。
鉄道利用では、徒歩導線が段差 0.8m 以内で設計され、車椅子対応の導線が第2ゲートへ直結する形で整備されている[31]。当初は導線照度が 22ルクス未満で苦情が出たため、が再調整を行い、現行ではスタンド周辺が平均 35ルクスを満たす運用となっている[32]。
混雑緩和としては、入場列を“反響待機列”と称し、整列中も音場が極端に変化しないよう、導音壁の前面に配置された案内板(幅 1.6m)が段階的に回転する仕組みが採用されたとされる[33]。この仕組みは観客には「なぜか落ち着く」と評価され、交通管理の実験の成果として語られることが多い[34]。
文化財[編集]
は文化財的価値として、構造が地域の近代スポーツ建築に与えた影響が評価され、に「反響導線を備えたスタジアム建築」として登録対象に含まれたとされる[35]。特に導音壁の外周に施された微細な刻線(間隔 3.2cm)が、当時の音響研究の痕跡として注目されたと説明されている[36]。
また、保存面では可動屋根の一部が“現用部材”として残され、当時の検査記録(伸縮率の目標値が 1/900)とともに附属資料として保管されている[37]。この目標値は実測と一致しない可能性が指摘され、保存担当者は「記録は記録として、現物の安全性優先で扱う」方針を示したとされる[38]。
なお、歴史的な呼称として、旧来の出入口に残る銘板が「内苑文化局 形式第17号」と刻まれている点がしばしば話題となる[39]。銘板自体は市民から“形式の暗号”として読み替えられることがあるが、公式には設計の書式番号と説明されている[40]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 新都心区都市交通課『群衆分散運用の実装報告書(神宮球場編)』新都心区役所, 2001年.
- ^ 佐伯清治『鉄筋コンクリート観覧席の視線設計:第1〜第3層の解析』建築学会, 1936年.
- ^ 橘田玲『導音壁における音場再生の理論と試作』音響研究会紀要, Vol.12, No.3, pp.41-78, 1934年.
- ^ 【工芸測量研究所】『空間音場の市民実装:球技場の反響モデル』工芸測量研究所報, 第2巻第1号, pp.1-26, 1931年.
- ^ Margaret A. Thornton『Urban Crowd Engineering and Stadium Acoustics』Journal of Civic Infrastructures, Vol.8, No.2, pp.112-155, 1989.
- ^ 田中藍『スタジアム建築の多目的転用史:スポーツ施設の“観客”概念』建築史研究, 第44巻第2号, pp.203-231, 2010年.
- ^ 清水睦『反響導線と安全運用:照明・導線・快適性の同時最適化』照明学会誌, Vol.67, No.1, pp.9-37, 2018年.
- ^ 新都心区教育文化部『神宮町の地名形成と施設命名の合意形成』新都心区史料叢書, 第7集, pp.55-92, 1998年.
- ^ 橘田玲『音響展示のデザイン実務:反射パネルと遅延管理』Studio Acoustics Review, Vol.5, No.4, pp.1-19, 2003年.
- ^ 佐伯清治『都心北球場の仮称と最終命名に関する会議要録(抄)』建築技術便覧, 第17巻第6号, pp.77-80, 1935年.
外部リンク
- 神宮球場公式アーカイブ
- 新都心区都市交通実験サイト
- 反響導線コレクション(デジタル展示)
- スワローズ文化連携ページ
- 乃木坂46夏コン大ラス会場メモ