秋田県黒沢市
| 名称 | 秋田県黒沢市 |
|---|---|
| 種類 | 複合建造物 |
| 所在地 | 秋田県黒沢市中央一丁目 |
| 設立 | 1938年 |
| 高さ | 38.4 m |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造・木骨装飾外装 |
| 設計者 | 渡辺精一郎 |
秋田県黒沢市(あきたけんくろさわし、英: Kurosawa Municipal Complex, Akita)は、黒沢市中心部にある複合建造物である[1]。現在では市庁舎、観光案内所、雪害記録館を併設する施設として知られている[1]。
概要[編集]
秋田県黒沢市は、初期に北部の治水と観光振興を兼ねて計画された複合建造物で、のちに周辺一帯の通称としても用いられるようになった施設である。行政機能を含むため市名と誤認されやすいが、正式には建造物群の総称であり、中心塔、回廊棟、資料庫の三棟から成る[2]。
現在ではの駅前再開発と接続し、沿いのランドマークとして扱われている。一方で、建設当初の設計記録には「豪雪時に屋上へ備蓄米2,400俵を避難搬送する想定」が記されており、実用性と誇張が同居した昭和建築の代表例とも評される[3]。
名称[編集]
「黒沢」の名は、当地の旧字名であるに由来するが、施設名にが冠された理由は、1920年代の県観光課が「県名を付すことで他県の豪雪施設との差別化が図れる」と判断したためである。なお、当初案では「北秋田国際雪備館」が検討されていたが、の文書処理上、横書きでの収まりが悪いとして却下されたとされる。
また、地元では「黒沢市」という呼称が早くから親しまれたため、戦後には実在の自治体のように扱う新聞記事が増えた。1949年の夕刊には、旅行欄で「黒沢市で昼食」と見出しが打たれた記録があり、編集部に訂正投書が13通寄せられたという[要出典]。
沿革[編集]
計画と起工[編集]
構想は、沿線の積雪対策会議において、当時の技師・渡辺精一郎が示した「冬季の行政集約塔」案にさかのぼる。彼は工学部で学んだ後、欧州の市庁舎建築を視察しており、特にの雪中倉庫に影響を受けたとされる。
起工はである。地盤改良のために川砂1万2,800立方メートルが投入されたほか、工事現場では木炭ストーブの熱でコンクリートを温める独自工法が採られた。この方式は「黒沢式保温養生」と呼ばれ、のちにの寒冷地公共施設に少数採用された。
戦時期と接収[編集]
には、防空監視塔としての転用計画が立てられ、中心塔の最上階に直径2.1メートルの信号鏡が設置された。実際には霧の日が多く、使用回数は年間7回前後にとどまったが、夜間に反射した雪明かりが「港の灯台のようだ」と地元紙に記されている。
終戦後はの地方調査班が視察し、建築様式の珍しさから「地方自治の象徴的装置」と分類したという。もっとも、調査報告書の末尾には「塔上部に不要な木彫の鯱がある」との注記があり、担当者が他施設と混同した可能性がある。
保存運動と現在[編集]
、老朽化を理由に解体案が浮上したが、地元の商工会と高校写真部が保存運動を展開し、延べ4,600人の署名が集まった。これを受けての調査対象となり、外観保全と内部改修を条件に残置が決定した。
現在ではの近代建築見学コースに組み込まれ、冬季には屋上の除雪ショーが行われる。観覧者は平均して1日170人ほどであるが、2月の大雪日には入場待機列が前まで伸びることがある。
施設[編集]
中心塔は高さ38.4メートルで、外壁にの意匠を鋳込んだコンクリートパネルが用いられている。内部には市政展示室、積雪観測室、合計192席の講堂があり、講堂の座席番号は「1-A」からではなく「雪1」から「雪192」まで振られている。
回廊棟には旧観光課の窓口を再現した展示があり、木製の札入れ箱には、昭和40年代に実際に配布されたとされる「滑り止め付き観光栞」が保管されている。また、資料庫には所蔵の複製図面が収められ、設計変更の赤字が極端に多いことで知られている。
なお、地下には「融雪音響室」と呼ばれる空間が存在し、人工的に再現した雪解け音を流して室内湿度を調整する仕組みが導入されている。これにより、冬季でも書類の角が丸まりにくいとされているが、効果のほどは専門家の間で意見が分かれている。
交通アクセス[編集]
最寄り駅は黒沢駅で、徒歩約8分である。駅からは沿いに南下し、旧製材所跡を左折すると正面塔が見える。冬季は歩道の除雪が行われるが、積雪深が40センチを超えると、案内表示が一時的に見えなくなることがある。
バス路線はの市内循環線が利用でき、平日は1時間に2本程度運行される。ただし、12月から2月の期間は「塔前臨時便」が追加され、乗車時に運転手が手袋を着用して切符を受け取る独特の様式が残っている。自家用車利用の場合、敷地南側の臨時駐車場に72台分の区画がある。
文化財[編集]
秋田県黒沢市は、に「近代雪害対策建築」としてに登録されている。指定理由として、寒冷地における行政建築と観光施設の複合化が早期に試みられた点、ならびに塔屋の装飾に地域民具の意匠が多用された点が挙げられている。
また、外壁の一部に使われた釉薬瓦は、戦前のの窯元が特注したもので、現存するのは128枚とされる。うち17枚には施工時の落書きが残り、作業員が「この塔は雪国の城である」と書き残した文字が見えるという。なお、毎年3月の点検時に「文化財であるがゆえに雪下ろしが遅い」との苦情が1件ほど寄せられる。
脚注[編集]
[1] 黒沢市観光振興局『秋田県黒沢市保存活用ガイド』第4版、2021年。 [2] 渡辺精一郎「寒冷地複合建築の行政的転用について」『地方建築史研究』Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 1939年。 [3] 秋田県史編さん委員会『秋田県雪害建築史資料集』第2巻第1号、1968年。 [4] 山田栄一『雪の塔と市のかたち』北方文化出版, 1974年. [5] Margaret A. Thornton, “Municipal Snow Complexes in Northern Japan,” Journal of Cold-Region Architecture, Vol. 8, No. 2, pp. 101-126, 1982. [6] 佐藤和彦「黒沢市中心塔の保温養生技法」『建築と寒冷』第19巻第7号, pp. 5-19, 1991年. [7] Akira Namba, “The Reflective Dome Incident at Kurosawa,” Architectural Folklore Review, Vol. 4, No. 1, pp. 77-83, 2003. [8] 秋田県教育庁文化財課『指定文化財一覧 令和6年度版』2024年. [9] 中村久子『観光課と塔のあいだ』東北地方出版会, 2011年. [10] 「黒沢市の屋上除雪ショー、来場者急増」『東奥日報』2023年2月14日付夕刊.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「寒冷地複合建築の行政的転用について」『地方建築史研究』Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 1939年.
- ^ 秋田県史編さん委員会『秋田県雪害建築史資料集』第2巻第1号、1968年.
- ^ 山田栄一『雪の塔と市のかたち』北方文化出版, 1974年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Municipal Snow Complexes in Northern Japan,” Journal of Cold-Region Architecture, Vol. 8, No. 2, pp. 101-126, 1982.
- ^ 佐藤和彦「黒沢市中心塔の保温養生技法」『建築と寒冷』第19巻第7号, pp. 5-19, 1991年.
- ^ Akira Namba, “The Reflective Dome Incident at Kurosawa,” Architectural Folklore Review, Vol. 4, No. 1, pp. 77-83, 2003.
- ^ 中村久子『観光課と塔のあいだ』東北地方出版会, 2011年.
- ^ 黒沢市観光振興局『秋田県黒沢市保存活用ガイド』第4版、2021年.
- ^ 秋田県教育庁文化財課『指定文化財一覧 令和6年度版』2024年.
- ^ John P. Ellison, “Public Towers and Civic Memory in Snowbelt Prefectures,” Urban Heritage Quarterly, Vol. 15, No. 4, pp. 9-28, 2019.
外部リンク
- 黒沢市観光振興局
- 秋田県教育庁文化財課
- 東北近代建築アーカイブ
- 雪害建築研究会
- 黒沢市中心塔保存協議会