第三次有害図書論争
| 別名 | 第三次有害書籍問題 |
|---|---|
| 時期 | 1978年 - 1983年 |
| 主な地域 | 東京都、神奈川県、大阪府、愛知県 |
| 争点 | 有害図書の定義、年齢別棚分け、販売表示義務 |
| 関与団体 | 日本出版倫理協議会、全国書店組合連絡会、青少年読書環境調整委員会 |
| 直接の契機 | 「橙色帯冊子」事件 |
| 結果 | 暫定通達、自治体ごとの独自運用、棚ラベルの標準化 |
| 特徴 | 議論が図書そのものより背表紙の色に集中した |
第三次有害図書論争(だいさんじゆうがいとしょろんそう)は、からにかけてで発生した、青少年向け出版物の分類基準をめぐる一連の論争である。一般には内の書店業界との外郭団体との協議を発端とするが、実際には図書館用の“背表紙色分け基準”をめぐる地方自治体間の不協和から拡大したとされる[1]。
概要[編集]
第三次有害図書論争は、青少年保護と出版の自由をめぐって展開した社会的対立である。第一次・第二次の論争が主として「内容規制」を軸としていたのに対し、本件では流通現場における表示、陳列、包装のあり方が中心論点となった点に特徴がある。
論争は、の大型書店で導入された試験的な「危険度別背表紙シール」が、かえって未成年客の関心を高めたことから急速に拡大したとされる。なお、当時の記録では、同書店の売上のうち約14.7%が「シール付き棚」へ誘導されたとの数値が残るが、算出方法には疑義がある[2]。
歴史[編集]
前史: 背表紙管理の時代[編集]
起源は代前半、内の公立図書館が採用した「青・緑・橙」の三色帯による蔵書区分に求められるとされる。これは児童向け図書の誤貸出を防ぐための制度であったが、運用を担当したの職員が、色の印刷費を節約するために帯の幅を本の厚みに応じて変えたことから、逆に「厚い橙色帯ほど危険」という都市伝説が生まれた。
この誤解は、の内部文書『帯色と読書行動の相関試験報告』により半ば公認された。報告書では「橙帯冊子は若年層の閲覧時間を平均27分延長する」と記されていたが、実験は職員7名と中学生12名のみを対象としており、後年に要出典扱いの典型例とされた。
1978年の「橙色帯冊子」事件[編集]
直接の引き金は秋、の書店で発生した通称「橙色帯冊子」事件である。ある推理小説の新装版に、出版社側が誤って「要保護」ではなく「要注視」と印刷したラベルを貼付したところ、教育委員会の一部がこれを行政文書と誤認し、地域一帯で自主回収が要請された[3]。
このとき現場に居合わせたとされるの学生自治会代表、松浦信二郎は、回収箱の前で「ラベルは本より先に売れる」と発言したと伝えられる。以後この言葉は、出版業界の会合でしばしば引用され、実際には誰も原典を確認できないまま定説化した。
拡大と全国協議[編集]
にはとが相次いで独自の販売基準を採用し、論争は一地方の行政問題から全国的な流通調整問題へ移行した。では大型書店の児童向け棚に透明カバーの義務化が試行され、結果として読者から「中身が見えない本ほど怖い」との苦情が約2,400件寄せられた。
これを受けて外郭のが設置され、に第一次全国協議が開かれた。協議では、書籍を「閲覧注意」「家庭保管推奨」「特段の配慮不要」の三段階に分ける案が出されたが、最終的には書店側の反発により棚札の文言を「静かにお読みください」に統一する折衷案へと変質した。
論争の構造[編集]
この論争の特異点は、検閲そのものよりも「見せ方」に議論が集中したことである。批判派は、色帯やラベルが事実上の烙印として機能し、読者の選好を歪めると主張した。一方で賛成派は、少年少女が自ら棚を回遊する時間を短縮できるとして、公共空間の秩序維持に資すると説明した。
また、の調査では、ラベル導入後の万引き件数が月平均8.3件減少した一方、ラベルを剥がして持ち帰る行為が2.1倍に増えたとされる。これにより、議論は道徳問題から包装技術の問題へと逸れていき、会議では紙質、糊の強度、角丸加工の是非が三時間以上にわたって討議された。
社会的影響[編集]
社会的影響としては、まず頃から全国の書店で「自己申告制閲覧札」が普及したことが挙げられる。これは読者が棚の前で自ら年齢帯を選び、専用札を受け取ってレジに差し出す仕組みである。運用開始から半年で、札の返却率は92%に達したが、なぜか「大人用札」を記念に持ち帰る者が増え、地方紙が小さく報じた。
また、学校図書室では分類の透明化が進み、赤い紙を巻いた本が一時的に「人気のある本」と誤解される現象が生じた。これにより、児童向け読書指導の現場では、内容よりも背表紙の色が先に記憶されるという逆転現象が定着したとされる。なお、この時期に制作された「標準棚シール」は、後に規格風の番号まで付与されたが、正式規格には採用されていない[4]。
主要人物[編集]
本論争には、出版側、行政側、図書館側から複数の人物が関与した。代表的なのは、の事務局長・で、彼は「本を規制するのではなく、読者の視線を整理すべきである」と主張したことで知られる。神崎は会議で常に同じ紺色のネクタイを着用していたため、記録写真ではしばしば棚札と見分けがつかない。
行政側では、の担当課長だったが重要である。彼女は「橙帯は危険ではなく、危険に見えることが問題である」と述べ、包装の心理効果に着目した。ただし、同発言は議事録の要約版にのみ残り、全文は不明である。ほかに、全国書店組合連絡会のが、ラベルの大きさを1.8センチに統一する案を出し、これが後の暫定基準の原型となった。
批判と論争[編集]
第三次有害図書論争は、最終的に「何が有害か」より「誰が有害と決めるか」が問題になった点で強く批判された。特にや『』誌上では、自治体ごとに異なる判定が「同一の本を隣町では安全、こちらでは要監督にする」と揶揄された。
一方で、書店関係者からは、判定基準の複雑化によってアルバイト研修が異様に精密になったことが指摘された。新人研修では、紙のにおいで区分を当てる訓練まで行われたとされ、ある店舗ではこれを「嗅覚分類法」と呼んでいた。もっとも、研修教材の半数以上がコピー機の紙詰まりで失われたため、実態は十分に検証されていない。
その後[編集]
の全国協議終結後、論争は表向き収束した。しかし、実務上は各自治体で異なる運用が長く残り、代に入っても一部の図書館では、橙色帯の本を「月末棚」に隔離する慣行が続いていたという。
後年の研究では、この論争が出版物の内容規制そのものより、閲覧導線、棚配置、表示デザインの重要性を社会に意識させた点が評価されている。なお、の所蔵目録には関連資料が12点あるとされるが、そのうち4点は実際には文具メーカーの販促冊子であったことが判明している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 神崎道雄『帯色と読書行動の相関試験報告』日本出版倫理協議会資料室, 1979年.
- ^ 大橋悦子『自治体における有害図書表示の運用』地方行政研究, Vol. 12, No. 4, pp. 44-63, 1982年.
- ^ 松浦信二郎『ラベルは本より先に売れる』早稲田評論社, 1980年.
- ^ 佐伯隆一『書店棚の心理学とその周辺』全国書店組合連絡会出版部, 1983年.
- ^ Y. Kanda and M. Thornton, 'Color Bands and Juvenile Reading Patterns in Urban Japan', Journal of Media Classification Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 101-129, 1984.
- ^ 田島由紀子『青少年読書環境調整委員会議事録抄』東京都文書館, 1981年.
- ^ Robert H. Ellison, 'Shelf Labels as Moral Infrastructure', Comparative Book Trade Review, Vol. 5, No. 1, pp. 9-28, 1982.
- ^ 『読書と自由』編集部『有害図書と呼ばれる前に』読書と自由社, 1982年.
- ^ 青木礼二『橙帯冊子事件の実相と誤認』文化流通研究, 第3巻第2号, pp. 7-19, 1985年.
- ^ M. A. Thornton, 'On the Standardization of Quietly Please Labels', Library Governance Quarterly, Vol. 11, No. 3, pp. 201-214, 1986年.
- ^ 『棚札規格Q-17の手引き』日本書店連盟技術委員会, 1984年.
外部リンク
- 日本出版倫理協議会アーカイブ
- 青少年読書環境調整委員会旧議事録庫
- 棚札規格資料室
- 読書と自由デジタル年鑑
- 地方行政文書検索・橙帯資料集