第4回全日本七味調合選手権
| 正式名称 | 第4回全日本七味調合選手権 |
|---|---|
| 英語名称 | 4th All-Japan Shichimi Blending Championship |
| 開催年 | 1987年 |
| 開催地 | 東京都墨田区・浅草橋周辺 |
| 主催 | 日本香辛料調合協会 |
| 競技種目 | 基礎調合、再現試験、即席うどん相性評価 |
| 参加者数 | 本選32組・予選登録214組 |
| 優勝者 | 吉岡良介 |
| 特徴 | 香りの到達時間を測定する独自採点方式 |
第4回全日本七味調合選手権(だい4かいぜんにほんしちみちょうごうせんしゅけん)は、の配合精度、香りの立ち上がり、辛味の遅延特性を競うの競技大会である。特にの旧問屋街を中心に普及した「計量型食文化競技」の代表例として知られている[1]。
概要[編集]
第4回全日本七味調合選手権は、七味唐辛子を「料理への添え物」ではなく「調合技術の結晶」とみなす競技文化の中で成立した大会である。第4回大会は、にの卸問屋会館を会場として開催され、全国から調合師、薬味商、そば店主、香料研究者が参加したとされる[2]。
この大会の特異性は、単に辛さを競うのではなく、、、、、、、の比率を、指定温度と湿度の下で再現する点にある。なお、採点においては「第一香」「第二香」「余韻」の三層判定が用いられたが、余韻の長さは審査員の食後の会話量でも補正されたという[3]。
成立の経緯[編集]
全日本七味調合選手権の起源は、40年代後半にとの香辛料商が共同で開いた講習会に求められるとされる。もともとは品質ばらつきの大きい七味の配合を標準化するための研修であったが、受講者同士が「0.1g単位の差で蕎麦つゆの輪郭が変わる」と主張し始め、半ば余興として競技化したのが始まりである。
第4回大会が行われたには、既に第1回・第2回・第3回大会を通じて「調合表提出型」「盲嗅判定型」「屋台再現型」の三方式が試行されていた。とりわけ第3回大会で、ある出場者がを用いずに海藻粉末を混入して失格となった事件が、審査規定の厳格化を招いたとされる。もっとも、当該失格の記録は大会事務局の焼失資料の復元に依拠しており、の付く記述としてしばしば扱われる。
大会方式[編集]
予選[編集]
予選は、各地の百貨店催事場と業務用食品展示会で分散実施された。参加者は支給された七味原料を用いて、指定された用・用・用の三配合を40分以内に作成しなければならない。ここで重要なのは味そのものよりも、審査員が香りを嗅いだ直後に「その場で産地を言い当てられるか」であり、実際には舌より鼻が強い者が有利であった。
また予選では、調合台に置かれた竹製の秤がわずかに傾いており、選手の多くが後半になるほど「左手で瓶を回し、右手で粉を散らす」という独自のフォームを編み出した。このフォームは後年「浅草橋スピン」と呼ばれ、今も一部の香辛料講習会で模倣されている。
本選[編集]
本選では、内の老舗蕎麦店三軒が協力し、同一の生そば・つゆ・器を用いて試食が行われた。審査員は、の食文化研究者、そして地域の蕎麦職人から構成され、最大で9名が同時に採点した。採点基準は100点満点で、香り35点、辛味28点、見た目12点、再現性15点、食後の満足感10点であったが、最後の満足感は「審査員が水を飲む回数」で補正された。
第4回大会では、吉岡良介がを通常比の1.8倍に、を0.7倍に抑えた配合で優勝した。彼の作品は、入口では穏やかだが三口目で急に鼻腔を立ち上げる設計になっており、のちに『遅延型七味』と命名された。対戦相手の一人は「辛味が来る前に湯気だけで勝負が決まっていた」と述懐している。
特別課題[編集]
第4回大会のみの特別課題として、「屋台の紙袋に入れた際の香り保持率」を測定する試験が実施された。これは当時、持ち帰り蕎麦の需要増加に伴い、七味が店頭でなく家庭内で評価される機会が増えたことへの対応である。参加者は同じ配合を、紙袋・布袋・樹脂容器の三条件で封入し、15分後に開封して比較した。
この課題で、ある新人参加者が紙袋の内側に微量のを塗布し、香りの保持率を意図的に上げようとして失格となった。もっとも、後年の回顧録では「違反ではあるが、理論的には最も先進的な発想であった」と評価する声もある。
社会的影響[編集]
第4回大会は、七味を「家庭の台所で作るもの」から「専門職が検証可能な工芸品」へと押し上げた転機とされる。大会後、やの一部支部で調合講習が体系化され、配合表をラミネートして保管する文化が広まった。
また、同大会を契機に「七味係」という役職を置く飲食店が増え、開店前に薬味の粒度を確認する慣習ができた。1988年のある調査では、首都圏の立ち食い蕎麦店の約17.4%が「七味の調合に責任者がいる」と回答したが、調査票の自由記述欄に店主が唐辛子の愚痴を書き連ねていたため、統計の信頼性には疑義がある[4]。
批判と論争[編集]
一方で、第4回大会には「食文化を過度に規格化している」との批判もあった。とくに京都の一部の料理人は、七味の魅力は土地ごとの揺らぎにあるとして、採点表の導入に反対した。これに対し大会側は、「揺らぎを数値化することこそ現代の伝統保護である」と回答したとされる。
さらに、準優勝者が持ち込んだ自家焙煎が、事前申告と異なるロットであることが判明し、香りの印象が「祖母の箪笥に似ている」と評されたことから、審査会が一時中断した。なお、この表現は後に新聞見出しだけが独り歩きし、実際にはもっと穏当な言い回しであった可能性が高い。
大会後の展開[編集]
第4回大会の成功を受け、翌年からは「調合再現講座」や「辛味遅延学」の公開講座が各地で開催されるようになった。特にでは、味噌煮込みうどん向けの七味配合が独自発展し、関西では比率の高い冬季限定配合が流行した。
また、吉岡良介の優勝配合は、後年「Y-4式」として規格化され、土産品のラベルにまで採用された。もっとも、実際にラベル化した際には『山椒の香りが先に立ちすぎる』という苦情が多く、流通各社は1袋あたりの推奨使用回数を「3回まで」と記載したとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 吉田宗一『七味調合競技史序説』日本香辛料文化研究所, 1992.
- ^ 大野玲子「香りの遅延特性に関する実験的研究」『食文化工学ジャーナル』Vol. 8, No. 3, pp. 41-58, 1990.
- ^ 山岸克也『蕎麦店における薬味運用の実際』柴田書店, 1989.
- ^ Margaret L. Hargrove, "The Japanese Spice Contest and Regional Identity" Journal of Culinary Anthropology, Vol. 12, No. 1, pp. 77-96, 1991.
- ^ 渡辺精一郎「浅草橋における七味流通と競技化」『東洋食習慣研究』第14巻第2号, pp. 15-29, 1993.
- ^ E. Tanaka, "Delayed Heat Profiles in Blended Chili Powders" Food Systems Review, Vol. 5, No. 4, pp. 201-219, 1988.
- ^ 佐伯美智子『薬味の民俗誌』青峰社, 1987.
- ^ 河合俊樹「第4回全日本七味調合選手権の採点法に関する覚書」『日本食評価学会誌』第2巻第1号, pp. 3-11, 1988.
- ^ Christopher N. Bell, "A Study of Seven-Flavor Ratios in Urban Soba Shops" Gastronomy Quarterly, Vol. 9, No. 2, pp. 122-140, 1994.
- ^ 『七味と秤――昭和末期の調合競技記録集』中央香辛料資料館編, 2001.
外部リンク
- 日本香辛料調合協会アーカイブ
- 浅草橋食文化資料室
- 七味競技史データベース
- そば薬味研究フォーラム
- 昭和香味年鑑