自称文武両道の男子(笑)進学校 東福岡
| 名称 | 自称文武両道の男子(笑)進学校 東福岡 |
|---|---|
| 通称 | 東福岡式文武両道 |
| 成立 | 1978年頃 |
| 地域 | 福岡県福岡市 |
| 種別 | 男子校系進学校文化 |
| 特徴 | 学業と運動部活動の同時強調、自称の多用 |
| 標語 | 勉強も部活も、言い切った者勝ち |
| 派生現象 | 朝練模試、放課後答案、応援歌付き自習 |
| 象徴色 | 濃紺と臙脂 |
| 影響圏 | 九州地方の私立校文化 |
自称文武両道の男子(笑)進学校 東福岡(じしょうぶんぶりょうどうのだんしえんじゅうしんがっこう ひがしふくおか)は、において成立したとされる、学業と部活動の両立を標榜する男子校系の教育文化である。後期に「自称であること」がむしろ実力の証明として扱われたことから、独特の校風を形成したとされる[1]。
概要[編集]
自称文武両道の男子(笑)進学校 東福岡とは、東部の私立男子校群を中心に発生した教育スローガン兼学校文化である。学力向上と競技成績の両立を目指す点では一般的な進学校と同様であるが、本項で扱う東福岡式は、あえて「自称」を前面に出し、外部評価より先に内部の気合いを成立条件とした点に特徴がある。
この文化は、後半に進学実績の競争が激化するなかで、部活動の全国大会出場と大学合格者数を同じ掲示板に並べるという、やや無理のある発想から生まれたとされる。なお、校内では「文武両道」という語をそのまま使うと照れが出るため、「男子(笑)」を挿入して自己言及化する習慣が定着したともいわれる[2]。
成立の経緯[編集]
東区の私学再編と『朝練の進学』[編集]
起源はの私立学校再編期に遡るとされる。とくにでは、通学圏の拡大に伴い、運動部を強みとする学校が「厳しい練習でも大学に行ける」と宣伝する風潮が生まれた。この時期、学外説明会のパンフレットには、風の校舎写真の横に、ラグビー部員の泥だらけのスパイクが同時掲載されるという編集方針が採られた[3]。
1978年、当時の広報担当だったが「進学校を名乗るなら、進学校らしく朝6時台に模試をやるべきである」と提案し、朝練と朝学習を連結した「双朝制度」が導入された。これにより、1年生は月曜から金曜までの5日間で、平均3.2回の小テストと2.7回の号令練習を受けることになったという。
『自称』の発明[編集]
「自称」という語が学校文化の核になったのは、頃である。県内の私立学校ランキング誌が同校を「文武両道型」と評した際、ある生徒会役員が「他称では重いので、自称でいこう」と発言したのが始まりとされる。以後、校内ポスターには『自称文武両道』の文字が太字で入るようになり、むしろ控えめな表現として受け止められた。
この逆説的態度は、の商習慣にも通じると解釈され、地元では「盛るより先に名乗れ」という標語とともに広まった。もっとも、当初は保護者から「(笑)は必要なのか」という問い合わせが相次ぎ、記録には『説明会で笑い声が起きたのは事実だが、制度上の意味は不明』とある[4]。
校風と運用[編集]
東福岡式文武両道は、単なるスローガンではなく、時間割の設計原理として機能したとされる。1限前に20分の黙読、7限後に45分の部活、さらに土曜補習の後にスタンド練習を行う「三重稼働モデル」が採用され、1980年代末には県内で最も「眠そうだが元気な学校」として知られるようになった。
また、同校では赤点の通知とレギュラー発表が同じ封筒で配布されることがあり、これが生徒の緊張感を高めたとされる。あるラグビー部員は、数学の補習後にそのまま遠征へ向かい、車中で微分のプリントを28枚解いたという逸話が残る。ただし、この逸話は卒業アルバム編集委員の証言しか残っておらず、要出典とされている[5]。
一方で、校内食堂の「勝負うどん」は、炭水化物と塩分を補給しつつ、答案提出前の集中力を高めるメニューとして有名であった。麺は通常より2.4倍の長さに切られていたとされ、完食者には『本日も文武両道を自称する資格あり』の札が配られたという。
社会的影響[編集]
九州私学への波及[編集]
1990年代に入ると、この文化はやの私立男子校にも波及した。各校は「うちは本家ではないが、だいたい同じである」といった曖昧な宣伝文句を用い、部活動実績の紹介欄に進学先合格者数を併記するようになった。これにより、学校説明会が実質的に『試合結果の報告会』と『進学塾の無料体験』を同時開催する場へ変質したとされる。
教育評論家のは、1997年の論考で「自己評価を先に掲げる学校は、外部評価に依存しない分だけ、かえって保護者の信頼を得やすい」と述べた。もっとも、この論考は誌の特集に1回掲載されたのみで、その後ほぼ引用されていない。
応援文化の変容[編集]
本文化の最大の功績は、応援を『声援』から『進路指導の延長』へ変えた点にある。吹奏楽部が試合で演奏するだけでなく、同時に英単語の連呼を挟む「英語応援法」が編み出され、スタンドでは『victory』『integration』『偏差値』の三語が混在したという。
とりわけの県大会では、応援団が『文武両道とは、試験範囲と守備範囲の一致である』と書かれた横断幕を掲げ、観客席の一部が静まり返ったのち拍手を送った。この試みは全国紙の地方版でも報じられたが、見出しが長すぎて紙面に収まらず、結局『進学校、気合で勝つ』に変更されたという。
著名な出来事[編集]
1999年には、定期考査の初日と九州大会準決勝が重なり、3年生の一部が答案用紙に学校名を書く欄をラグビーのフォーメーション図で埋めてしまう事件があった。教員側は「記述力は高い」と評価しつつも、採点上の処理に困り、最終的に別室で再試験が行われたという。
には、同校のOB会が福岡市内のホテルで『文武両道50年未満記念講演会』を開いたが、タイトルの年数が中途半端であることから、参加者の半数が「まだ途中経過なのか」とざわついた。講演では、卒業生の一人が「うちの学校は強いのではない。強いと思い込むのがうまいのだ」と述べ、妙に説得力があるとして記録映像が長く保存された。
なお、の文化祭では、模擬店の売上表に加えて進学先合格率がリアルタイムで掲示され、来場者から「経営会議のようである」と評された。これが後に私立校マーケティング研究の事例として扱われたが、研究者の多くは「再現性がない」と結論づけている。
批判と論争[編集]
批判としては、まず『自称』が自己陶酔であると見る立場がある。実際、前半には一部の教育雑誌が、同文化を「謙虚さを装った誇示」と評し、保護者アンケートでも賛否が分かれた。ただし、否定的回答の多くは「言い方が少し恥ずかしい」という感想に留まり、制度そのものへの反発は限定的であった。
また、部活動偏重ではないかとの指摘もあった。これに対し学校側は、英数国理社の5教科に加え、礼法・整列・応援の3技能を「第6・第7・第8教科」として扱うことで、教育課程上のバランスを保っていると説明した。文部科学省系の確認ではないが、当時の聞き取り記録には『独自性はあるが、説明に時間がかかりすぎる』と残されている[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中村勝彦『東福岡式双朝制度の形成』九州教育研究会, 1984, pp. 41-68.
- ^ 田所淳一『自称という教育戦略: 私立男子校の自己定義』月刊学校経営 第12巻第4号, 1997, pp. 22-39.
- ^ H. K. Sato, “Competitive School Branding in Northern Kyushu,” Journal of Regional Education Vol. 9, No. 2, 2001, pp. 115-133.
- ^ 福岡私学史編纂委員会『福岡の進学校と部活文化』西日本出版, 2008, pp. 201-249.
- ^ 松尾紀子『応援席から見た学力競争』教育と地域 第24巻第1号, 2010, pp. 7-19.
- ^ M. Thornton, “Self-Proclaimed Excellence and Institutional Humor,” Comparative Pedagogy Review Vol. 16, No. 3, 2014, pp. 88-104.
- ^ 東福岡文化研究所『男子(笑)進学校の言語学』同研究所紀要 第3号, 2016, pp. 5-31.
- ^ 佐伯隆『進学校の朝練と模試の同時進行』九州教育史研究 第18号, 2018, pp. 73-91.
- ^ 「学校説明会における自己評価表現の実態」『私学広報年報』第7巻第1号, 2020, pp. 9-14.
- ^ A. M. Fletcher, “The Anatomy of a Cheerfully Overqualified Boys' School,” International Journal of Institutional Identity Vol. 4, No. 1, 2022, pp. 1-26.
外部リンク
- 東福岡式文武両道アーカイブ
- 九州私学応援文化センター
- 自己言及教育研究室
- 男子(笑)校史資料館
- 福岡進学校マーケティング年鑑