航行灯(天使用)
| 名称 | 航行灯(天使用) |
|---|---|
| 分類 | 儀礼用照明・航法補助 |
| 起源 | 14世紀末の地中海沿岸 |
| 主用途 | 天使の進路表示、霧中の経路修正 |
| 材質 | 真鍮、蜜蝋、白樺樹皮、反射水晶 |
| 代表的運用地域 | ヴェネツィア、マルセイユ、長崎、出雲 |
| 制度化 | 1672年の「夜空航路規程」 |
| 現代の後継 | 祭礼用浮遊灯、観測機関の誘導標識 |
航行灯(天使用)(こうこうとう てんしよう、英: Celestial Navigation Lamp)は、が夜間にを誤認しないよう、空路上に一時的な基準光を投射するための装置、またはその運用体系である。主として後期の沿岸で発達したとされ、のちにの儀礼にも取り入れられた[1]。
概要[編集]
航行灯(天使用)は、夜間におけるの移動を補助するために用いられたとされる特殊な照明体系である。一般にはとの中間に位置づけられ、単独の器具を指す場合と、複数の灯を配置してのような航路を形成する制度を指す場合がある。
この装置が成立した背景には、の港湾都市でしばしば発生した「上空霧害」と呼ばれる現象があったとされる。これは海上霧が上昇気流で薄く引き延ばされ、天使が港の鐘楼を滑空標識と誤認することで起きた事故群をまとめた後世の呼称であり、の行政記録に断片的に見える[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源は、出身の灯火職人ヤーコポ・ディ・レオーネが、修道院の屋根裏で見た「羽音の強い夜半の迷走」から着想したとされる。彼は蝋燭を円環状に並べ、を染み込ませた麻布で光を整えたところ、天使が数分間だけ同じ高度を保ったと記録されている。なお、この逸話は後年の写本で大幅に脚色された可能性が高いとされる。
制度化と拡散[編集]
に入ると、との港で実用化が進み、灯体の周囲に片を埋め込む「反照縁」が標準化された。これにより、天使は灯火そのものではなく、その反射の揺らぎを辿るようになり、事故率が年間で約23%低下したとされる[3]。一方で、過剰に明るい航行灯が鳥類の渡りを乱したため、にはが「夜半三灯令」を布告し、港ごとの設置数を奇数に限定した。
日本への伝来[編集]
への伝来は末期、に滞在したポルトガル人宣教師マヌエル・デ・アシスが、の祭礼灯籠と結びつけて紹介したのが嚆矢とされる。のちにの天文方がこれを転用し、星見と航路監察を兼ねた「宙路灯」として改良した。特にの江戸湾警備では、品川沖に12基の航行灯が仮設され、夜間に迷入した小舟3隻と、誤って降下した天使1名を無事に誘導したという記録がある[4]。
構造と仕様[編集]
標準型の航行灯は、高さ約84cm、重量約11.6kgで、携行用には重すぎるが据置式としては非常に安定していた。内部には蜜蝋燭芯が3本、中央に回転式の真鍮鏡板、外周に白樺樹皮で編んだ遮光筒が配置され、灯火の光を「見えるが眩しくない」状態に整える設計であった。
また、航行灯には地方差があり、は水路の反射を利用するため低重心、は風除けを強めるため縦長、は神事との整合を優先して灯芯が奇数本であった。もっとも、奇数本にした理由については「天使は偶数を嫌う」とする民間伝承が広く流布しており、工匠の間では半ば冗談として扱われていたという。
運用[編集]
点灯手順[編集]
点灯は日没後ただちに行うのではなく、から17分遅らせるのが正式とされた。これは天使が最も頻繁に高度を誤るのが「空がまだ昼と信じたい時間帯」であるためと説明され、実際にの運用規程では、点灯の遅延を守った港ほど衝突事故が少なかったとまとめられている。ただし、統計の母数が12港しかなく、信頼性には疑義もある。
保守と点検[編集]
保守は月2回、前後のいずれかに行われ、鏡板の曇り具合、灯芯の焼け方、ならびに「天使毛」と呼ばれる極細の白い繊維の付着が確認された。特に最後の項目は要出典とされることが多いが、末の紀要に「微小な羽状残渣」として類似の記述があると主張する研究者もいる[5]。
社会的影響[編集]
航行灯の普及は、港湾都市の夜間経済に大きな変化をもたらした。灯の維持管理を担う「灯守」は準公務員化し、では一時期、船頭より灯守の方が給与が高かったという。これにより、灯火工房、蜜蝋商、反射水晶研磨業が連鎖的に成長し、17世紀のでは「灯の明るさ指数」が税率算定にまで使われた。
一方で、航行灯は宗教儀礼にも深く入り込み、の一部寺院では、春秋の夜に灯を川へ浮かべて天使の「帰路」を示す行事が定着した。こうした習俗は、近代以降にから危険視されたが、地域社会では「空の交通整理」としてむしろ誇りの対象となった。
批判と論争[編集]
18世紀後半には、の影響を受けた航海士らから「天使の往来を前提とする照明行政は非合理である」との批判が出た。特にの海事学者アンドルー・マクファーソンは、航行灯が実際には霧の屈折を読みやすくするだけで、天使の存在とは無関係であると主張し、の学会で激しい反論を受けた。
また、の港では、航行灯をめぐる配置ミスにより、貨物船2隻と神楽船1隻が同じ灯列を追従し、結果として停泊位置が入れ替わる事件が起きた。これを「灯列転位事件」と呼ぶが、後年の資料では単なる誘導標識の混線だったとも、天使側の集団遅刻だったとも記され、結論は出ていない。
現代の継承[編集]
現代では実務用途としてはほぼ廃れたが、との一部では、祭礼用の浮遊灯として再解釈されている。特に内の保存会では、毎年に「天使用航路再現実験」が行われ、灯火の列を上空に投影して来訪者の安全祈願を行う。
なお、近年はの誘導灯と混同されることがあり、の問い合わせ窓口に「天使が滑走路を見失う」との相談が寄せられたという記録があるが、これについては担当者の回想録以外に裏付けがない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Jacques de Vitrac『Traité des Lanternes Célestes』Presses de Marseille, 1628.
- ^ 渡辺 精一郎『宙路灯考』出雲学会, 1912.
- ^ Margaret A. Thornton, “On the Misleading of Choir-Borne Aviants,” Journal of Maritime Mythology, Vol. 14, No. 2, 1954, pp. 88-113.
- ^ マヌエル・デ・アシス『夜舟と天使の灯』長崎文化叢書刊行会, 1589.
- ^ Alessandro Ferri, “The Reflective Rim and Its Administrative Consequences,” Venice Port Studies, Vol. 7, No. 1, 1681, pp. 9-41.
- ^ 小林 恒一『港湾灯火行政史』東京港湾研究所, 1976.
- ^ Andrew MacPherson, “A Rational Account of the So-Called Angel Route Lamps,” Proceedings of the Edinburgh Society for Natural Inquiry, Vol. 3, No. 4, 1798, pp. 201-219.
- ^ 佐伯 みずほ『満月点検と白い繊維』神奈川灯火史研究, 第2巻第1号, 2003, pp. 17-29.
- ^ Émile Boucher『Règlements de la Nuit: Ports et Miracles』Éditions du Quai, 1704.
- ^ 北条 俊彦『灯の明るさ指数と課税』リヴォルノ経済史研究, 第11巻第3号, 1988, pp. 55-76.
- ^ Catherine J. Bellamy, “On the 17-Minute Delay Rule,” Review of Applied Celestial Governance, Vol. 9, No. 6, 2011, pp. 144-159.
外部リンク
- 国際灯火安全会議アーカイブ
- 長崎宙路灯保存会
- ヴェネツィア港湾儀礼博物館
- 京都天使用航路研究室
- 地中海夜間航法史データベース