芦原チューバダンス
| 分類 | 身体音楽、地域芸能、管楽器舞踏 |
|---|---|
| 起源 | 1920年代後半の福井県芦原地区 |
| 発祥地 | 福井県坂井郡芦原周辺 |
| 代表楽器 | チューバ、足鈴、踏板 |
| 標準編成 | 6〜12名 |
| 主要節 | 湯けむり節、砂丘返し、逆吸い足 |
| 保護団体 | 芦原チューバダンス保存協議会 |
| 祭礼での使用 | 温泉祭、出港前夜祭、校区文化祭 |
芦原チューバダンス(あしはらチューバダンス、英: Ashihara Tuba Dance)は、の低音振動と足踏みの拍動を同期させることで演奏者と聴衆の呼吸を揃えるとされる日本の身体表現である。の芦原温泉圏で体系化されたとされ、現在ではの周縁文化として知られている[1]。
概要[編集]
芦原チューバダンスは、チューバの長い管を「鳴らす」のではなく「歩かせる」ことを重視する演目である。演者は胴に巻いた革帯で楽器を支え、8拍ごとに半回転しながら低音を地面へ落とすように奏でるとされる[1]。
芦原地方では、温泉宿の番頭が客を呼び込むために即興で始めたものが元とされるが、後年になって旧の青年団が体系化し、初期には地方紙の芸能欄で「歩く低音楽」と紹介された。なお、初期資料には「チューバ盆踊り」とも記されており、名称の揺れが多い[2]。
定義と特徴[編集]
最大の特徴は、旋律よりも重心移動が優先される点にある。演者は息を吹き込む直前に必ず右足を二度鳴らし、これを「呼気の前座」と呼ぶ。1公演あたりの平均歩数は1,248歩、最大心拍数は154前後であると記録されているが、この数値はの健康診断係が独自に集計したもので、学術的裏付けは弱いとされる[要出典]。
地域文化としての位置づけ[編集]
では、冬季の観光客を宿に留めるための「足を止める芸」として歓迎され、沿線の土産物店では、チューバ型の木製下駄が売られていた時期もある。特に芦原の老舗旅館では、チェックイン時に短い演目を見せることで夕食の茶碗蒸しが一品増える慣行があったと伝えられる。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
最も広く知られる起源説では、に芦原温泉の楽隊指導者であったが、浴衣の裾さばきを楽器運搬の振動に合わせて研究したことが始まりとされる。彼はで音響を学んだとするが、同窓名簿には同名の記録が見つからず、保存協議会内部でも「半ば創作の可能性がある」と認められている[3]。
一方で、地元にはさらに古い説もあり、の湯女が桶を叩きながら呼び込みをした動作が原型だとされる。ただしこの説ではチューバの存在をうまく説明できないため、現在は「象徴的先祖」として扱われることが多い。
戦前から戦後への展開[編集]
にはの音楽部がこれを取り入れ、農繁期の余興として校庭で上演した。記録によれば、演奏中に1名が滑って用務員室へ突入し、以後「安全な半径2.4メートル」の規定が生まれたという。
後は、一時的に派手な身体表現として敬遠されたが、の芦原温泉開湯記念行事で復活した。復活公演では、チューバ4本、足鈴18個、踏板27枚が使用され、観客376名のうち41名が「低音で肩が温まった」と感想を残した[4]。
全国的な広がり[編集]
になると、の一部研究者が芦原チューバダンスを「管楽器を用いた準スポーツ」と位置づけ、各地の文化祭へ紹介した。特にの高校吹奏楽部が行った再現上演は話題を呼び、当時の『月刊ブラス実験』誌上では、演奏者の靴底に米ぬかを塗ると回転効率が上がると報告された。
ただし全国展開は限定的であり、重い楽器と床面保護の問題から、屋内会場ではしばしば中止になった。ある劇場では、舞台袖にあったが共振し、非常ベルが鳴った事件がきっかけで「低音遮断カーテン」が採用されたとされる。
演目と作法[編集]
演目は通常、前奏・踏鳴・逆吸い・締めの四部から構成される。前奏では、チューバのベルを客席ではなく天井に向け、空間に低音を溜める所作を行う。踏鳴では、右足・左足・踵・膝の順に拍を取り、音よりも床鳴りを先行させるのが作法である。
逆吸いは芦原流の核心とされ、演奏者が息を「吸う」ことで周囲の拍手を静める技法である。失敗すると周囲の観客まで深呼吸してしまい、会場全体が一時的に沈黙するため、熟練者ほどこの場面を短く収める。なお、保存協議会は2021年に標準所作31項目を定めたが、実際に守られているのは12項目程度である[5]。
衣装[編集]
衣装は基本的に浴衣型だが、裾の前後に補強布を入れ、両肩からは楽器固定用の帯が交差する。色彩は黒・藍・生成りが多く、発祥地の温泉街では「湯の色を吸う」として白地を避ける傾向があった。また、足元には滑り止めとして稲藁を編んだ短靴を用いるが、湿気で重くなるため公演後の体重増加が1.8kg前後とされる。
伴奏編成[編集]
標準編成ではチューバ2本に加え、太鼓、木魚、踏板係が各1名ずつ付く。もっとも珍しい編成として「三重低音型」があり、テューバ、ヘリコン、オフィクレイドを同時に用いるが、の記録では「音量より湿度のほうが問題」と記されている。これらの編成差は地域ごとに独自発達したため、同じ芦原チューバダンスでも県境を越えるとほとんど別物になる。
社会的影響[編集]
芦原チューバダンスは、観光振興と健康増進の両面で評価された。1980年代には温泉宿の宿泊率が繁忙期で8.7%上昇したとされ、特に高齢客が「見るだけで腰に効く」と評したことから、リハビリ目的の簡易版が内の福祉施設にも導入された。
また、吹奏楽教育においては、音程だけでなく姿勢と視線の統一を学ばせる教材として利用された。ある中学校では、定期演奏会で芦原式を取り入れたところ、立奏中の転倒者が前年の7名から2名に減少したと報告されている。ただし、これは練習回数の増加によるものなのか、単に体育館の床を張り替えたからなのかは判然としない[6]。
行政との関係[編集]
は1994年、地域文化保存事業の一環として芦原チューバダンスを「温泉地における低音身体芸」として登録したとされる。これにより、演目の研究費として年間約420万円が配分されたが、実際の支出の大半はチューバケースの修繕費と滑り止めマットに消えた。県の担当者は「想定より床が鳴る」とだけコメントした。
教育現場への波及[編集]
の公開講座では、音楽学部と地域連携センターが合同で芦原チューバダンスを講義し、受講者の約3割が「管楽器に足があると思っていた」と回答した。講座資料の脚注には、各地に似た風習があった可能性が示唆されているが、比較対象の大半は保存協議会が自ら集めた聞き書きであり、一次資料としての扱いには注意が必要である。
批判と論争[編集]
批判の中心は、芦原チューバダンスが本当に地域固有の伝統であるのか、それとも観光振興のために後年整えられた演目なのか、という点にある。特にの『北陸文化通信』は、初期資料の多くが同じ筆跡で書かれていることを指摘し、保存協議会の起源説明に疑義を呈した[7]。
また、演目が「重い楽器を振り回す危険な見世物」に傾いた時期があり、との兼ね合いから屋内開催が制限されたこともある。これに対し愛好家側は、芦原チューバダンスは決して乱舞ではなく「低音の礼法」であると主張したが、外部からは「礼法にしては足音が大きすぎる」との反応が少なくなかった。
真贋論争[編集]
真贋論争では、の新聞切り抜きとされる資料の活字が、同時期の別紙面と不自然に一致していることが問題視された。保存協議会は複製ミスだと説明したが、調査した研究者の一部は、そもそも記録そのものが「後から作られた神話」である可能性を認めている。一方で、地元住民の証言は非常に具体的で、当時の湯の香りや床板の軋みまで一致しているため、完全否定もできない状況にある。
安全基準の改定[編集]
には、会場内での半径1.8メートル以内の接近禁止、1公演あたりの最大回転数24回、及び演者の事前ストレッチ8分を定めた新基準が作成された。もっとも、現場では「回転数よりも脱水のほうが先に問題になる」との声が強く、実務上は茶番に近い運用になっている。基準書の末尾には「必要に応じて湯気を換気すること」との文言があり、行政文書としては異例である。
現代の芦原チューバダンス[編集]
現在では、芦原温泉街のイベント、学校行事、地域番組の収録などで限定的に実施されている。とくに年末の「湯けむり感謝祭」では、地元の吹奏楽部員と旅館従業員が合同で上演し、最後に湯桶を一斉に持ち上げる決め所作が観光客に好評である。
近年は動画共有サイトで海外にも流通し、英語圏では「walking tuba ritual」と誤訳されたまま紹介されることがある。だが、現地の愛好家はあえてその誤訳を訂正せず、「低音が歩く土地」こそ芦原の魅力であるとしている[8]。
継承団体[編集]
芦原チューバダンス保存協議会は、地元旅館組合、吹奏楽部OB会、商工会青年部の三者連携で運営されている。会員数は2024年時点で62名、そのうち実際にチューバを所有しているのは19名である。残りは衣装係、譜面係、床鳴り鑑定係などに分かれ、必ずしも演奏経験を要しない点が特徴である。
派生文化[編集]
派生文化として、椅子に座ったまま小さく足を鳴らす「座りチューバ」、息だけで拍を取る「無音チューバ」などがある。これらは若者向けに簡略化されたものだが、元来の演者からは「低音の重みが足りない」として半ば公認の亜流扱いを受けている。それでも文化祭では人気が高く、毎年の参加校数は増加傾向にある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『芦原低音舞踏考』北陸民俗出版、1938年。
- ^ 佐藤久子「温泉地における管楽器身体表現の成立」『民俗音楽研究』Vol.12, No.3, pp.41-66, 1964.
- ^ Margaret A. Thornton, "Resonant Footwork in Coastal Spa Towns", Journal of Applied Folklore, Vol.18, No.2, pp.113-129, 1979.
- ^ 福井県文化振興課編『芦原町芸能調査報告書』福井県庁、1986年。
- ^ 小川篤『低音と歩行のあいだ』新潮社、1992年。
- ^ Kenji Morita, "Tuba Mobility and Civic Ritual", East Asian Performance Studies, Vol.7, No.1, pp.9-28, 2001.
- ^ 芦原チューバダンス保存協議会『標準所作集 第3版』内部資料、2016年。
- ^ 高橋みさえ「観光資源としての足音の設計」『地方芸能ジャーナル』第24巻第4号, pp.77-91, 2018.
- ^ Y. Nakamura, "The Quiet Loudness of Ashihara", Proceedings of the 11th International Brass Anthropology Symposium, pp.201-214, 2020.
- ^ 『チューバと温泉の倫理学』北陸芸術文化会議紀要、2023年。
外部リンク
- 芦原チューバダンス保存協議会
- 北陸民俗芸能アーカイブ
- 福井県地域文化データベース
- 月刊ブラス実験デジタル版
- 湯けむり文化研究所