藤田朔太郎
| 生誕 | (推定)、の城下町 |
|---|---|
| 死没 | 、 |
| 研究分野 | 民俗学・計量民芸・触覚記録学 |
| 主な業績 | 「接触度数」測定法の提唱 |
| 所属 | 地方史研究会→客員 |
| 特徴 | 祭具の摩耗をミリ単位で記録する |
| 影響を受けた思想 | 生活技術の地図化、博物館学 |
藤田朔太郎(ふじた さくたろう、 - )は、の民俗学者・計量民芸研究家として知られた人物である。特に、衣服や祭具の「形」と「手触り」を数値化する手法を体系化し、後の生活文化研究に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
藤田朔太郎は、民俗資料を収集するだけでなく、日常の「使われ方」を計測しようとした人物として説明されることが多い。とくに彼は、布や木器、縄類に対して、触れたときの抵抗や温度変化を簡易装置で記録し、その総和を「接触度数」と呼んだとされる[1]。
一方で、藤田の評価は研究者の間で分かれている。彼の方法は、のちにの実務へ取り入れられたとされるが、その測定条件が現場ごとにブレる点が問題視されたとも指摘される[2]。ただし、藤田自身は測定誤差を「文化の揺れ」と見なす立場を取ったと書き残されている。
藤田はまた、民俗行事の「型」を研究対象としつつ、型を支える道具が変化していく時間を重視した。たとえば彼は、祭り用の鈴が交換される周期を「平均して七年弱」と推定し、さらに個体差を「金属の耳の重み」によって分類したとされる。なおこの分類表は、現存する写本が少なく、研究者の間では幻の一次資料として語られている[3]。
生涯と研究の成立[編集]
幼少期と「糸の音」への執着[編集]
藤田はの城下町に生まれ、幼いころから織工の作業場に出入りしていたとされる。彼が特に見ていたのは、糸が張られる瞬間に立つ音の立ち上がりで、後年にはそれを「初速振動、指標A」と呼ぶようになったという[4]。
この話には細部が多い。伝記によれば、藤田は家の梁に取り付けた糸を弾くたび、メモ帳の余白に「何回目で音が丸くなるか」を記録し、合計分の試行を行ったとされる。さらに彼は、音の丸みが出るまでの平均回数を、ばらつきをと書き分けていたとされ、当時の素朴な実験として紹介されることがある[5]。
研究機関と「接触度数」測定法の発明[編集]
藤田の研究が公的に注目される転機は、の小規模博物館で「触れてよい展示」を巡る試行が行われた時期と結び付けられている。彼はの依頼で、展示品がどれだけ手に触れられたかを推定する簡易指標を作ったとされる[6]。
藤田が考案したのが「接触度数」測定法である。方法は、展示品の表面に極薄のワックス膜を施し、一定期間後に膜の摩耗深さを単位で読み取るというものであったと記述される。ただし、ここで重要なのは摩耗そのものではなく、摩耗が示す「人の動線」だと藤田は主張したとされる[7]。
なお藤田は、測定のたびに必ず同じ温度帯(資料では「で」などと記される)を維持するよう求めた。これは再現性を狙ったものとして紹介されるが、同時に「温度条件こそが祭りの空気であり、文化を変える」とする奇妙な理屈も混ざっていたと指摘されている[2]。
日本の民俗研究へ与えた影響[編集]
藤田の業績は、民俗資料の観察を「鑑賞」から「手続き」へ変えるものとして受け止められた。彼が残した記録様式は、道具の材質だけでなく、触れる回数、触れる時間帯、触れる手の圧といった項目を含めた点で特徴的だったとされる[8]。
この考えは、のちにと地方文化行政の橋渡しとして利用されるようになった。例として、内の自治体で「触覚文化台帳」なる文書が作成されたという。記録は、展示品ではなく祭礼の道具に適用されたとされ、鈴・面・縄・木槌などが、毎年の準備段階で「接触度数」がどれだけ上がったかでランク付けされたとされる[9]。
もっとも、藤田自身が意図した社会的効果は、単なる分類ではなかったとされる。彼は、祭りの道具が摩耗する速度を「信仰の密度」と見なし、密度が落ちた年には修繕の仕方が変わると書いたと伝えられる。ただしこの説明は、後年になって「信仰を機械的な指標に落とし込む危険がある」と批判されたとも言われている[10]。
また藤田は、生活用品の技術史を「手の習慣史」として書こうとした。たとえば鍋の鍋底の削れ方を観察し、削れが浅い家は味噌汁の攪拌が早く、削れが深い家は煮詰める時間が長い、という相関の仮説を立てたとされる。これらは統計というより物語に近いが、当時の聞き取り研究の流行を背景に、講演では強い説得力を持ったとされる[11]。
批判と論争[編集]
一方で、藤田の方法には多くの異議が唱えられた。最大の論点は、「接触度数」が測定条件に強く依存する点である。とくにワックス膜の厚みが前後で揺れると摩耗読み取りが変わり、結果として祭具ごとの比較が不正確になる可能性があると指摘された[12]。
また、藤田の書式は現場に過度な手間を強いたという批判もあった。地方の関係者からは、測定のたびに「祭の準備が遅れる」「記録係が必要になる」といった不満が出たとされる。さらに、藤田が好んだ指標が増えるほど、測定担当が「何を信じているか」よりも「測定を回すこと」に目を奪われる状況が生まれたとも述べられている[9]。
そのほか、藤田が残した測定記録には、都合のよい結果が混ざっているのではないかという疑いも持たれた。たとえばある写本では、同一行事の道具が「三年連続で接触度数が完全一致した」と記されているが、同様の事例は一般には起きにくいとされる。これに対し藤田の支持者は「文化は一定のリズムを保つため、まれに完全一致は起きる」と反論したとされる[10]。
以上のような議論は、藤田の死後しばらくして整理されることになったが、完全な決着には至らなかったとされる。むしろ藤田の遺産は、手続き化された民俗学の方向性を押し広げた点で、賛否両論のまま次世代へ継承されたとまとめられることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 藤田朔太郎『触る記録:接触度数と展示運用』東京民芸協会出版部, 1939.
- ^ 佐伯綾乃『民俗を数える手:接触度数測定法の成立』筑波書房, 1978.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『The Metrology of Folk Implements』Oxford Journal of Cultural Instruments, Vol. 12 No. 3, pp. 201-239, 1956.
- ^ 小林錬太『ワックス膜と誤差の哲学』【昭和】研究出版社, 第4巻第2号, pp. 44-67, 1961.
- ^ 坂東春雄『展示はどこまで触れてよいか』地方史叢書刊行会, 1947.
- ^ Yuki Nakamura『Tactile Indices in Museum Practice』Journal of Applied Anthropometry, Vol. 5 No. 1, pp. 11-38, 1991.
- ^ 井戸田昌弘『祭具のリズム統計:七年周期説の再検討』文藝科学社, 2003.
- ^ 田中澄夫『接触度数台帳の読み方』博覧会資料研究所, pp. 1-120, 1952.
- ^ 高瀬梓『糸の音と生活の記録体系』日本音響民俗学会誌, 第9巻第7号, pp. 77-105, 1984.
- ^ (要出典)R. H. Sato『The Rounded Onset Hypothesis』Harborfield Press, 1932.
外部リンク
- 接触度数アーカイブ
- 東京民芸協会デジタル文庫
- 地方祭具台帳研究会
- ワックス膜誤差シミュレータ(旧版)
- 触覚記録学講義ノート