藤田.gif
| 選手名 | 藤田 一弥 |
|---|---|
| 画像 | Fujita_Kazuya_2019.jpg |
| 画像サイズ | 250px |
| 画像説明 | 東京ブルーレイザーズ時代の藤田 |
| 愛称 | GIF藤田 |
| 生年月日 | 1994年7月12日 |
| 出身地 | 東京都立川市 |
| 身長 | 178 cm |
| 体重 | 72 kg |
| 国籍 | 日本 |
| 背番号 | 11 |
| ポジション | フォワード |
| 所属チーム | 東京ブルーレイザーズ |
| 利き手/利き足 | 右投左打 |
| medaltemplates | 金メダル |
藤田 一弥(ふじた かずや、〈6年〉 - )は、出身の(フォワード)。右投左打。の所属。での決勝ゴールと、のリーグMVP受賞で知られる[1]。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
の市立第三小学校でを始めたとされる。本人は後年、少年時代にで拾った木片をスティック代わりにしていたことが、独特の低い重心フォームの原型になったと語っている[2]。
ではで2年連続ベスト8に進出し、3年時には大会史上最少の1試合平均タッチ数でに選出された。当時の監督であるは、藤田について「ボールを追うというより、ボールの方が藤田に寄っていく」と評したという。
東京ブルーレイザーズ[編集]
にを経てへ入団し、プロ入り後は主に右ウイングとして起用された。同年の開幕戦でデビューを果たしたが、初出場から3試合は無得点であり、クラブ内では「静かな助走期間」と呼ばれていた。
には途中からを務めたほか、には年間28得点を記録して初の得点王争いに加わった。には自己ベストを更新する31得点でに選ばれ、チームをに導いた。なお、この年の優勝カップは運搬中に一度だけエレベーターに挟まったとされ、式典が15分遅延したという記録がある[3]。
代表経歴[編集]
にに初選出され、で代表デビューを果たした。では左サイドからの折り返しで決勝点を挙げ、日本のの金メダル獲得に貢献したとされる[4]。
その後、に向けた強化指定選手を経て、代表で3大会連続の主力となった。には通算50試合出場を達成し、同年のでは主将代行を務めた。本人は「代表では点を取るより、相手の歓声を減らすことを意識している」と発言したと伝えられている。
選手としての特徴[編集]
藤田は、短い助走から急激に加速するとして知られている。特に、スティックの先端をわずかに外側へ逃がしてから内側へ切り返すは、静止画では把握しにくいほど滑らかであることから、ファンの間で「動画で見ないと存在を信じにくい技」とされている。
また、の分析によれば、藤田のシュートは打点の高さに比して回転数が少なく、ボールがゴール前で一度だけ不自然に沈む傾向がある。これにより、GKのグローブの外側をかすめる得点が多く、2021年シーズンにはその種の得点を11本記録した。なお、この統計はの民間アナリストが自作した計測アプリに依拠しており、要出典とされている[5]。
守備面では、バックチェック時に一度止まってから急に寄せる癖があり、相手選手からは「止まっているのに圧がある」と評された。これを応用したは、後輩選手の間で半ば都市伝説化している。
人物[編集]
藤田は極端なまでの記録魔として知られ、遠征先のホテルでは試合後すぐにメモを取り、スティックの摩耗、遠征バスの揺れ、試合中の風向きまで手書きで残す習慣がある。には、1年間で合計1,143枚のメモを作成し、チームの広報担当が誤って一部を戦術資料として配布したことがある。
食事はを好むが、試合前だけは必ず「3本の半熟卵」を食べるという独自のルーティンがあるとされる。本人は理由を「3本食べると、足が3倍速くなる気がするから」と説明したが、栄養士は特に否定も肯定もしていない。
また、地元の小学校で年1回行われる用具講習会に自費で参加し、児童に対してスティックの握り方を教えている。には参加児童64人全員が、藤田の前ではなぜか声が2割ほど小さくなるという現象が観察された。
記録[編集]
タイトル・表彰[編集]
1回() 1回() 4回(-) 1回() 1回() にはの年間最優秀シーン賞を受賞したが、受賞理由は「最もリプレイ映えした無得点のフェイント」であった。
代表歴・大会成績[編集]
アジア選手権出場 金メダル 代表強化合宿参加 アジアカップ主将代行 国際親善試合5試合出場
なお、のアジア大会では、準決勝の第3クォーターで藤田が記録した走行距離が9.82kmと発表されたが、会場内のが一時的に別競技の値を拾っていた可能性があるとされる。
個人記録[編集]
通算出場数 214試合 通算得点数 97点 1試合最多得点 4点() 連続試合得点 13試合() 自己最長スプリント 34.6m
このうち自己最長スプリントは、練習中にコーチが「今のを再現してみろ」と言った際、藤田がもう一度まったく同じ軌道で走ったため正式記録になったとされる。
出演[編集]
藤田は競技人気の高まりとともに、やへの出演も増えた。特にのCMでは、無言で氷の上を滑るような芝生の上の走りが話題となり、放送後2週間で再生回数が480万回を超えたとされる。
にはの特集番組『静かな突破口』に出演し、試合中の思考法を解説した。同番組では、藤田が「シュートの前に一度、観客席の一番遠い人を見つける」と語った場面が印象的で、制作側は編集で少しだけその人物の顔をぼかしたという。
また、の情報番組で行われた「最速ホッケー選手ランキング」企画では、藤田が出演者の私物スティックを用いて即興デモを披露し、スタジオの観葉植物を2鉢倒した。
著書[編集]
『藤田式ホッケー思考』(、) 『――見えない加速の作法』(、)
前者は発売直後にとしては異例の初版4万部を記録し、特に第4章「止まってから始める」が指導者層の間で話題となった。後者はタイトルの妙な視覚効果が注目され、書店員の手書きPOPに「動いているのに止まって見える」と書かれたことがヒットの一因であるとされる。
背番号[編集]
藤田の背番号はである。これはからの番号であり、本人は「1対1でも1対0でも、最後は自分で決める」という意味を後付けで説明している。
ただし、の一時期だけを着用したことがある。これはユニフォーム発注の都合で空いていた番号がそれしかなかったためで、本人は試合後に「大きすぎて背中が先に走っている気がした」と述べたという。
脚注[編集]
[1] 2024年時点の所属および成績に基づく。 [2] 立川市スポーツ史編纂室『多摩川とスティック文化の萌芽』には藤田家の証言が収録されているが、記述の一部に年代のずれがある。 [3] 東京ブルーレイザーズ広報部『2019シーズン記録集』。 [4] 日本ホッケー協会『第18回アジア大会 報告書』。 [5] 民間計測アプリ「StickTrace Pro」の解析値であり、公式記録ではない。 [6] 本人の「3本の半熟卵」発言は、2021年12月のファンミーティングでのものとされる。 [7] 一部の得点記録は映像のコマ落ちにより過大評価された可能性があると、後年の分析で指摘されている。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
[東京ブルーレイザーズ公式プロフィール]
[日本ホッケー協会 選手データベース]
[立川市スポーツ名鑑 藤田一弥]
[アジア大会記録アーカイブ]
[藤田式ホッケー研究会]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『多摩川とスティック文化の萌芽』立川体育史研究会, 2021年, pp. 41-58.
- ^ 佐伯美奈子『日本フィールドホッケー選手名鑑 2010-2024』スポーツニッポン出版, 2024年, pp. 112-115.
- ^ K. Thornton, "Low-Gravity Forwards in Modern Field Hockey," Journal of East Asian Sports Science, Vol. 18, No. 2, 2020, pp. 77-89.
- ^ 日本ホッケー協会編『第18回アジア大会 報告書』日本ホッケー協会, 2018年, pp. 9-14.
- ^ 島田浩一『立川南ホッケー部の十年』私家版, 2019年, pp. 203-214.
- ^ M. A. Hargreaves, "The Semi-Beat Press and Its Applications," International Review of Hockey Tactics, Vol. 7, No. 1, 2021, pp. 15-31.
- ^ 東京ブルーレイザーズ広報部『2019シーズン記録集』東京ブルーレイザーズ, 2020年, pp. 3-27.
- ^ 立川市スポーツ史編纂室『立川市スポーツ史年表』立川市教育委員会, 2022年, pp. 88-93.
- ^ 藤田一弥『3秒で抜ける 藤田式ホッケー思考』講談社, 2022年, pp. 1-221.
- ^ 小林真央『芝生の上のGIF――見えない加速の作法』集英社インターナショナル, 2024年, pp. 66-79.
- ^ 日本プロホッケー協会『年間最優秀シーン賞選考資料』第6巻第4号, 2021年, pp. 5-8.
外部リンク
- 東京ブルーレイザーズ公式プロフィール
- 日本ホッケー協会 選手データベース
- 立川市スポーツ名鑑
- アジア大会記録アーカイブ
- 藤田式ホッケー研究会