蟹久保しちみ
| 種別 | 香辛料(混合物) |
|---|---|
| 主用途 | 刺身・焼き魚・雑炊の調味 |
| 特徴 | 甘海老粉末のような香りと、七味状の粒度設計 |
| 流通形態 | 樽詰め(業務用)と小袋(家庭用) |
| 主要産地(伝承) | 沿岸の旧漁村 |
| 関連文化 | 荒天祈願・船回し祭 |
| 味の目安 | 辛味・甘味・海の香気の三層設計 |
| 標準配合(仮) | 唐辛子 28%、山椒 9%、乾燥柑橘 15% 等 |
(かにくぼしちみ)は、主にの沿岸地域で用いられるとされる、香辛料混合物である。江戸期の漁港文化と深く結びついたものとして語られてきたが、成立経緯は複数の説に分かれる[1]。
概要[編集]
は、七味(しちみ)の名を冠しつつ、実際には“七種”に収まらない粒度・香気の設計を含む香辛料混合物である。とくに「海の香りの立ち上がり」を狙って、唐辛子だけでなく乾燥海産物由来の微粉が混合されるとされる。
成立は古いとされ、漁の出入りが多い港町で「今日は凪でも、食卓は荒れないように」という縁起担ぎとして配合が改良された、という言い回しが広く見られる。一方で、配合比率や名称の由来は複数の系統があり、後述の通り同名の別物が混在していた時期も指摘されている。
なお、名の「蟹久保」は地名由来とも人名由来ともされるが、最終的に“舌の記憶を船の揺れに合わせる調味料”として定着した点に特徴があるとされる。結果として、料理研究家の間ではを「味覚工学的な漁港プロトコルの一種」と呼ぶこともある。
概要(選定・評価基準)[編集]
市場での評価は、辛味の強さよりも「舌上での層の順序」と「時間差で香りが戻る現象」で行われるとされる。具体的には、温かいごはん(約)にかけた後、最初の香気ピークが以内、二次ピークが前後、乾いた後味がで落ち着くものが“上物”とされる。
配合は、唐辛子粉を均一にすり潰すだけではなく、香辛料を“重量”ではなく“落下速度”で分級する工夫があったと伝えられている。ある仕込み書では、ふるいの目開きが、秤の分解能がと記され、これが後の製造工程標準になったとする説もある。
また、業務用樽のラベルには製造者コードが併記され、の杜氏のように“混合職人”が記録されたとされる。今日では再現性が疑問視されるものの、手順の細かさが伝承の説得力を底上げしてきたとも説明される。
歴史[編集]
誕生:船回し祭と“味の保険”[編集]
の起源は、の架空港湾地区である(※実在地名としては同名表記が見られる時期があるとされる)における船回し祭の調合帳に求められる、とする説がある。そこでは荒天のたびに、同じ魚でも味の“当たり外れ”があると記録され、対策として「舌が揺れても味が戻る配合」が模索されたとされる。
最初期の記録では、配合を決める会議が期(17年頃)に開かれ、参加者が“漁師 9名”“味見役 3名”“粉ふるい役 2名”と細かく書かれている。会議の議事として「香りを先に裏切り、あとで正す」という表現が残り、これが三層設計の比喩になったとされる。
さらに、災害対策として“味の保険”があったという伝承が付随する。ある日、船が転覆した翌年の祭では、救援物資の保存のために乾燥柑橘が配られ、それを香辛料へ転用する流れが生まれたとされる。ここで初めて「海の香り」が混合物の必須要件になった、という物語が定着した。
発展:工場規格化と“七味でない七味”[編集]
明治以降、沿岸の食品加工が制度化されると、もまた“漁港仕様”から“流通仕様”へ移行したとされる。特にの地方出先機関が、香辛料混合物の衛生基準をまとめる際に「辛味粒子の均一性」を重視したことが、分級工程の整備につながったとする説がある。
このとき、名称の不一致が問題になった。伝承上は七種のはずだが、実際には乾燥海産物の微粉や香気保持剤に近い植物繊維が混じるため、当局の帳簿では“八味以上”に分類され、現場が慌てたとされる。そこで“七味”という呼称だけは祭礼の象徴として維持し、実体は粒度設計で別物にする方針が取られた、と語られている。
なお、配合比率の標準値は、ある民間規格案で唐辛子 28%、山椒 9%、乾燥柑橘 15%、粉末昆布 7%、甘海老粉 11%、黒胡椒 6%、白胡麻 10%、その他香り保持繊維 13%と記されている。ただし、この“その他”の内訳は記録から削除されており、後に編集者が「意図的に隠された」と書いたことが、むしろ人気の種になったとされる。
社会的影響[編集]
は、家庭の調味から外食の定番へと広がり、海辺の生活文化を“味の記号”として運搬したとされる。とくにの大衆食堂で、仕込みが簡略化できるとして採用が進んだ時期があり、店主が「一振りで港の天気になる」と語ったとする証言が残る。
また、学校給食の献立調整にも影響したという話がある。ある年、栄養士向けの研修資料では、魚料理に対する嗜好差を縮める目的で、の“香気だけ”を先に湯気へ移す方法が紹介されたとされる。ところが実施後、辛味よりも甘い香りが先行し、生徒から「これは海老のデザートですか」と問い合わせが殺到したという記録があり、現場の笑い話として長く残った。
さらに、地域の観光施策としても利用された。港の民芸品売り場では、しちみの小袋に“船の安全祈願シール”を貼る商法が生まれ、周辺の来訪者が「お守りの味」として購入する現象が見られたとされる。こうした流通上の成功が、名称のブランド化を後押ししたと説明される。
批判と論争[編集]
一方で、には品質の再現性に関する批判がある。特に、職人ごとに乾燥海産物の由来や保管期間が異なるため、同じ銘柄でも香りの立ち上がりが変わると指摘される。ある研究者は「香気ピークのは再現条件に依存しすぎる」と述べたとされ、測定装置の校正表が“どこかへ行った”という逸話まで語られている。
また、原材料の表記をめぐる論争もあった。行政文書では“七味”の扱いに合わせるため、実際には複数成分が“その他”へ吸収された可能性があるとされる。これに対し、料理文化の保護を主張する側は「祭礼の言葉を商品ラベルで解剖しないでほしい」と反論したとされる。
さらに、最も有名な論点として“蟹久保”が何を指すのかがある。地名説、人名説、あるいは船の部品名由来説などが並立し、百科事典に載るほどの定説は形成されなかったと指摘される。結果として、名称だけが一人歩きし、別地域の似た配合が勝手に同名で流通した時期があり、消費者が混乱したとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山下樹里『港町の調味混合物史:香気ピーク測定の試み』朝潮書房, 2012.
- ^ Carter, William & Tanaka, Reiko “Layered Aroma Kinetics in Coastal Spice Blends,” Journal of Culinary Metrics, Vol. 14 No. 2, pp. 55-73, 2018.
- ^ 【蟹久保しちみ】編集委員会『七味でない七味:職人規格の解読』蟹久保文化出版, 2006.
- ^ 内田芳昭『分級精度と微粉末:0.45mmの世界』日本微粒子協会, 1999.
- ^ 佐々木静一『荒天祈願と食卓の相関:船回し祭の食物誌』海風民俗学会紀要, 第27巻第3号, pp. 101-140, 2004.
- ^ Hernandez, Marta “Consumer Confusion and Naming Conventions in Traditional Seasonings,” International Review of Food Sociology, Vol. 9 No. 1, pp. 12-29, 2020.
- ^ 【農商務省】編『香辛料混合物の取扱指針(草案)』【農商務省】地方出先資料, 1889.
- ^ 鈴木一彬『舌の保険:調味料を“保険”として扱う発想』調味学研究叢書, 第5巻第1号, pp. 1-26, 2015.
- ^ Kunikawa, Daisuke “Two-Phase Rebound Smell in Warm Rice Seasoning,” Culinary Aroma Letters, Vol. 3 No. 4, pp. 201-214, 2011.
- ^ 中村まどか『蟹久保の民芸流通と観光マーケティング』港都経済出版社, 1993.
外部リンク
- 港町調味アーカイブ
- 香気ピーク測定ラボ
- 船回し祭保存会公式記録
- 分級機技術資料館
- 沿岸食文化研究会