西宮藝術大学
| 名称 | 西宮藝術大学(本館群・創作工房地区) |
|---|---|
| 種類 | 芸術系私立大学キャンパス(大学本館・講堂・陶芸棟・音響劇場等) |
| 所在地 | (架空地番:港町二丁目一番地) |
| 設立 | 42年(1967年) |
| 高さ | 地上7階相当(音響劇場塔屋含む算定で23.6m) |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造(一部、軽量鉄骨フレーム) |
| 設計者 | 設計統括:渡辺精一郎/舞台計画:ハロルド・K・グラント |
西宮藝術大学(にしのみやげいじゅつだいがく、英: Nishinomiya College of Arts)は、にある[1]。
概要[編集]
現在ではに所在する芸術系キャンパスとして知られ、講義と実技が同一空間に組み込まれることで「作ることが学びになる」方式が特徴とされる[1]。
本施設は、大学というよりも“創作のための都市装置”として運用され、雨天時にだけ開閉する天窓回廊や、音響劇場の残響調律を講義単位として記録する慣行があるとされる[2]。
名称[編集]
「西宮藝術大学」という名称は、当初の構想段階で「西宮美術院」「西宮造形学校」などの案が並存していたものの、最終的に“藝術”の漢字が採用された経緯があるとされる[3]。
とくに、初代学園長の渡辺精一郎は、ドイツ語圏の工房文化に由来する語感を重視したとされ、「藝術」を“学位のためではなく、工程のために使う言葉”として掲げたという指摘がある[4]。
一方で、名称の「西宮」は現在の自治体名に由来すると説明されるが、設立当初の登記簿では「ニシノミヤ・アート・アーキテクチャ区」と併記されていたとも言われ、内部資料には謎の略号「NAA-17」が残されている[5]。
沿革/歴史[編集]
創設の動機と資金の出所[編集]
本学の創設は、終戦直後の地域復興計画に結びつけて語られることが多いが、実際には34年(1959年)に始まった「青潮(あおしお)造形奨学制度」が前史だとする説が有力である[6]。
奨学制度は、港湾測量会社の共同事業として、寄付金を年単位ではなく“作品の失敗回数”に比例して拠出する仕組みで運用されていたとされ、記録上は年間支給が「平均28.4件の試作分」に相当していたとされる[7]。
また、建設費の一部は、音響劇場の残響計測器一式(当時の試算で1台あたり当時価格62万3千円)を海外から調達したことにより不足し、最終的に地域の鋳物工場が無利子で資材を提供したという“ほぼ伝説”が残っている[8]。
校舎計画の奇妙な技術要件[編集]
施設計画は、設計統括の渡辺精一郎が「芸術教育は湿度で決まる」という信念のもとで、講堂の客席下に段階制御された換気ダクトを組み込んだことに由来するとされる[9]。
この換気ダクトは、夏季は相対湿度を“64±3%”に寄せ、冬季は“51±2%”へ戻すよう調律されていたと記録されている[10]。なお、その数値は実験室で測ったものではなく、学内の学生が制作した木版の反り量を基準に決めたとされ、妙に具体的である[11]。
さらに、音響劇場の残響は、客が拍手をした瞬間の指向性から逆算して定められたと説明される。講義ノートの書式には「拍手ログ第3版」との記載があり、そこから“教育の成績表が音響で裏付けられていた”とする奇説まで生まれた[12]。
施設[編集]
西宮藝術大学は、本館群と実技棟から構成される複合施設であり、中心に位置するでは、陶芸・金工・織物・印刷の工程が同じ導線でつながるよう計画されている[13]。
本館は鉄筋コンクリート造で、外壁の一部には“撤去可能な彫刻壁”が組み込まれているとされる。これは学生の作品発表ごとに壁面を入れ替えるための仕組みであり、工期短縮として「搬入時間を平均41分以内」とする内部基準があったという[14]。
また、音響劇場(塔屋含め23.6m算定)は、舞台上のスピーカー配置が学期ごとに変更される仕様で、設計者のハロルド・K・グラントが「芸術は同じ形で同じ音を出さない」との趣旨で提案したとされる[15]。
なお、大学の公式案内では“塔屋は象徴的要素”とされるが、実測資料では塔屋内に温調ユニットと微風用の整流板が設置されていたとされ、建築が教育機器として機能していた可能性が指摘されている[16]。
交通アクセス[編集]
最寄りのアクセスとしては、中心部からバスで約12分、徒歩で約9分の経路が案内されている[17]。
特記すべき事項として、構内の“回送者通路”が学生実習の時間割と連動して開閉されるため、時間外は正門手前に仮設の看板「工房開閉待機」が掲出される運用があるとされる[18]。
また、学生向けの通学ルートには「残響を測るため、風向きが南東のときのみ推奨」とする注意書きが配布された時期があるとされ、真偽のほどはともかく、構内掲示の文体が妙に官学的であることが知られている[19]。
文化財[編集]
西宮藝術大学の本館群は、教育施設としては珍しく、意匠部材が工学的にも保存価値があるとしての登録文化資産に準じた扱いで整理されている[20]。
とくに、講堂の天井格子は、学生の実技履歴に合わせて“交換前提”で作られていたにもかかわらず、当初材の一部が残存したことから、当時の通気条件を復元する資料として保存されているとされる[21]。
一方で、登録要件の根拠文書には「拍手ログに基づく残響調律資料」との記載が含まれており、通常の文化財指定の書式から逸脱している点が批判の種にもなったという[22]。
なお、施設周辺の路地には“彫刻壁の痕跡”が残る区画があり、そこが小規模な景観資源として案内されている例があるとされる[23]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「西宮藝術大学創設計画の設計思想」『建築芸術紀要』第12巻第2号, 1968年, pp.13-39.
- ^ 田中麻衣「作品工程と湿度制御—芸術教育施設の試作史」『日本造形施設研究』Vol.5 No.1, 1971年, pp.41-62.
- ^ Harold K. Grant, “Resonance Education in Municipal-Scale Theaters,” 『Journal of Applied Aesthetics』Vol.9 No.4, 1970, pp.201-219.
- ^ 森本健司「回送者通路の運用実態と時間割連動」『大学キャンパス運営資料集』第3号, 1973年, pp.77-89.
- ^ 西宮市教育部 編『港町二丁目一番地の学園建築』西宮市役所, 1975年.
- ^ Kobayashi R., “Architectural Humidity as a Pedagogical Variable,” 『International Review of Studio Design』第8巻第1号, 1972年, pp.5-24.
- ^ 佐藤由紀子「拍手ログによる残響調律の誤解—一次資料の読み替え」『舞台音響論文集』第21巻第3号, 1980年, pp.120-138.
- ^ 兵庫県文化資産課「登録文化資産に準じる教育建築の評価基準」『県域保存年報』第16集, 1999年, pp.33-58.
- ^ 渡辺精一郎「藝術を工程として扱う—“撤去可能な彫刻壁”の設計」『美術館技術報告』Vol.2 No.7, 1969年, pp.90-111.
- ^ 『建築芸術便覧(改訂版)』大阪学術出版社, 2004年, pp.512-518.
外部リンク
- 西宮藝術大学 公式アーカイブ
- 播磨湾音響調律研究会
- 文化資産・教育建築データベース
- 青潮造形奨学制度の記録庫
- NAA-17 内部資料閲覧室