足の手
| 分野 | 民間医療・舞台訓練・身体技法 |
|---|---|
| 起源とされる時期 | 1890年代 |
| 主な舞台 | 周辺の興行街と、の海運関係者向け衛生講座 |
| 関連概念 | 足底把持、指趾擬似触覚、踵の反復訓練 |
| 伝承形態 | 講習会・奇談・実演記録 |
| 評価 | 医学的妥当性は低いとされるが、訓練文化としては残存 |
足の手(あしのて、英: Ashino-te)は、の器官を使って「把持」や「微細操作」を補助するという独自の身体技法として、19世紀末の民間医療文献で断片的に記録された概念である[1]。その後、舞台芸術の訓練法としても採用されたとされるが、医学界では一貫して異論が多い[2]。
概要[編集]
足の手は、足を「第二の手」とみなし、足先や足底の感覚・筋収縮を使って物をつかむ、位置を微調整する、あるいは小さな作業を模倣することを指す概念として説明されることが多い。
一方で、医学的な診断名ではなく、民間講師が用いた呼称であったとする説がある。なお、起源については「負傷した職人が、利き腕の代替として編み出した」などの物語が語られてきたが、文献の成立過程には地域性と興行性が強く反映されているとされる[1]。
足の手は、身体文化としては「できる/できない」の判定よりも、「どんな手順を踏めば芸として成立するか」に関心が寄せられた技法である。そのため、同じ言葉でも実演の内容は講師ごとに微妙に違い、記録も断片的に残ったとされる[2]。
概念と技法[編集]
足の手は、いくつかの段階的手順(型)として整理されることがある。もっとも説明されやすいのは、足先での把持動作だけではなく、足底の圧力分布を「触覚の代替」として扱う点である。
一般に、足底の感覚を細分化し、特定の点(かかと外側、拇趾球、左右の土踏まず境界など)へ意図的に圧を移すとされる。このとき、講習会では「圧を3秒保持し、1秒で戻し、さらに3回連続」というように、わずかな時間制御が強調されたと記されることがある[3]。
ただし、実演の成否が厳密に検証されたわけではなく、芸能団体の記録では「失敗は珍しくないが、観客の驚きで成立する」といった趣旨の文章が見られる。また、ある地方紙には「足の手は骨の話ではなく、場の話である」とする匿名コラムが掲載されたとされる[4]。
歴史[編集]
民間医療から興行訓練へ[編集]
足の手の語が初めてまとまって現れたのは、の路地裏薬舗を拠点にした衛生講師、の講義案内だとする伝承がある。案内では、腕の機能が落ちた人向けに「足底で薬包を折りたたむ」練習が提案されたとされる[5]。
その後、1896年頃にの港湾労働者向け講話がきっかけとなり、興行師たちが「視覚的な手品」として取り入れたと考えられている。特に、客席の前方から見える角度で足の動作が強調される点が評価されたとされ、足の手は「床上の器具操作」として再編集された[6]。
さらに、1902年にで開かれた身体衛生展覧会では、足の手の実演が「軽い傷害者の職能復帰モデル」として紹介された。しかし同時期に、保健系官庁(名称は講師間で揺れる)により「効果を断定しない」条件付きで出展許可が出たともされる[7]。
制度化と“細かすぎる”採点表[編集]
足の手は、1920年代にかけて「型」として制度化されるようになった。きっかけは所管の衛生嘱託会が、興行現場での外傷予防ガイドを配布したことだと語られる[8]。ガイド自体には“足の手”という語はないが、練習内容が一致していたため、後年に足の手のルーツとして回収されたとされる。
この時期に特に有名になったのが、採点表である。ある訓練団体の内部資料では、足の手の到達度を「踵圧移動 8点」「拇趾球把持 12点」「土踏まず境界の保持 20点」のように配点し、合計が50点に達すれば“実演可”としたと記録されている[9]。ただし、資料の所在は不明であり、後の編者が脚色した可能性も指摘されている。
また、細部の数値が妙に統一されている点については、当時の計測器(圧力板の試作)の入手難が影響した可能性があるとされる。実際、圧力板の仕様が「縦横9cm×9cm、厚さ4mm、読み取り間隔は1.0mm」といった説明で語られることがあり[10]、計測ができたならなぜ採点が“見世物仕様”になったのか、という矛盾が生まれたといわれる。
社会的影響[編集]
足の手は、身体の復権をうたう運動の補助線として語られた。特に、港湾労働に従事する層の中で「利き腕の負傷は、仕事の終わりではない」という物語が必要だったことが背景にあったと考えられる。
一方で、興行界は別の価値を見出した。足の手の実演は“職能の代替”だけでなく、“身体の滑稽さ”と“精密さ”の落差によって観客の笑いを誘発しやすかったとされる。実演を見た観客が、翌週の売店で「足で掴む小判(玩具)をください」と注文する程度には文化が広がったという[11]。
こうした広がりのなかで、各地で「足の手講習会」が開かれるようになったとされる。たとえばでは、失業対策の職能教室に“軽作業の補助”として導入された記録があるが、その後すぐに財政難で打ち切られたとされる[12]。
批判と論争[編集]
足の手は、医学的根拠の薄さでしばしば批判対象となった。医師団の書簡では「足の手は、感覚の誇張と心理暗示を混同している」といった趣旨の指摘が繰り返されたとされる[13]。
また、訓練が「危険な我慢」を促すという懸念もあった。講習会の手順が“気合い”へ寄っていくと、靭帯や足底の過負荷を招く可能性があるとする報告が出回ったという。ただし、その報告書は後年に要約だけが残り、原本は確認されていないとされる[14]。
さらに、最も笑いどころのある論争として「足の手は本当に二の手か」という点がある。1927年のの地方裁判記録に、興行主が観客へ返金を求められた件として「足の手は歩行の延長にすぎない」という記載が引用されることがあるが、その出典が不自然に誇張されており、編者の創作が混ざった可能性が指摘されている[15]。この逸話が独り歩きし、足の手が“万能技能”のように語られる時期もあったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『足の手講義録—足底で掴むということ』横浜衛生社, 1901.
- ^ Ethel M. Carrow『Manual Substitutions in Maritime Convalescence』Journal of Amateur Medicine, Vol. 4, No. 2, 1912.
- ^ 佐伯孝之『足底感覚と民間訓練の相互参照』東都医療研究会, 第3巻第1号, 1923, pp. 41-63.
- ^ Hiroshi Tanaka『Stage Precision and the “Second Hand” Metaphor』Transactions of Performing Bodies, Vol. 9, No. 5, 1930, pp. 110-129.
- ^ 【神奈川県】衛生嘱託会編『外傷予防のための運動手順(暫定版)』官報別冊, 1921.
- ^ 村瀬玲子『滑稽さと精密さのあいだ—興行における足の手の受容』演芸史叢書, 第12巻, 1958, pp. 77-96.
- ^ Theodor L. Wernicke『Pressure Plates and Folk Metrics』Proceedings of the Odd-Measurement Society, Vol. 2, No. 1, 1926, pp. 5-18.
- ^ 吉田政信『返金された奇術—1927年大阪の裁判メモ』大阪府民雑録社, 1959.
- ^ 匿名『足の手採点表の起源(複製資料の解題)』月刊・脚注研究, 第7巻第3号, 1971, pp. 201-219.
- ^ Mina K. Roussel『Convalescence Theater: A Comparative Note』International Review of Stage Medicine, Vol. 1, No. 1, 1984, pp. 12-29.
- ^ 志賀信太郎『足の手は歩行の延長か』医学雑誌かくれ研究, 1996, pp. 3-9.
外部リンク
- 横浜衛生アーカイブ(仮)
- 興行身体史データベース
- 足底圧計測物語館
- 演芸採点表コレクション
- 民間医療講義録の所在目録