重電圧解放機器
| 名称 | 重電圧解放機器(鋸南解放塔群・通称:カイホウトウ) |
|---|---|
| 種類 | 超高圧解放装置(低周波安全放電兼用) |
| 所在地 | |
| 設立 | (鋸南湾岸送電網拡張期) |
| 高さ | 高さ 68.4 m(主柱)・総高 72.9 m(避雷針含む) |
| 構造 | 石巻配合コンクリート+鉄骨リブ+層状避雷格子 |
| 設計者 | 安房工務所技師 斎藤蘭次朗 |
重電圧解放機器(じゅうでんあつかいほうきき、英: Heavy-Electrical Voltage Release Device)は、にある[1]。
概要[編集]
現在ではは、湾岸発電所の送電系統に突発した電圧上昇を「段階的に解放」する装置として知られている[1]。
形式上はであるが、地域では「雷の気配を納める塔」とも呼ばれ、観光資源としても機能している。とくに放電試験の夜間運用が行われる季節には、遠方から見学者が集まることで知られる[2]。
また、同機器は構造体そのものが教育施設化され、内部通路の案内板には、解放手順を示す「逆算図」が掲示されている。案内板の文字数は全32,160字、図表は全214枚とされ、管理会社が毎年校正版を配布している[3]。
名称[編集]
正式名称は「重電圧解放機器」である。施設の通称としては「カイホウトウ」「鋸南解放塔群」などが用いられ、地元紙では「電圧の息継ぎ装置」とも表現された[4]。
名称の由来は、当時の技術文書における略記「重電圧→解放→機器」が、現場で半ばスラング化したことに由来するとされる。ただし、語源をめぐっては「重電圧」を『重き電圧』として扱う解釈もあり、読者によって印象が分かれやすい[5]。
なお、掲示銘板の題字は金属レリーフで、文字の厚みは 9.6 mm、周縁の浮彫線は 0.8 mm幅と計測されたという説明が行われている。数値の細かさは、観光パンフレット制作時に技術者が「誤差がない方が信じられる」と主張したことに由来するとされる[6]。
沿革/歴史[編集]
構想:『電圧の解体』という発想[編集]
の構想は、沿岸の配電網において、雨雲の通過時に電圧が「段差的に跳ねる」現象が増えたことに由来するとされる[7]。当時の発電所側は落雷を原因とみたが、送電会社側は「機器側の戻りが遅い」と反論し、両者の対立は会議室の温度まで上昇したという記録が残る[8]。
そこで、技術系の有志が集まる社内サロンが、放電を『現象の後処理』ではなく『現象を分解する操作』として扱う方針を提案した。提案書の副題には「電圧の解体工程表」と記され、解放手順が小学校の調理実習のように逐次化された点が特徴とされる[9]。
なお、研究会の当時の議事メモは、全ページが湿気を想定して厚手の和紙に印字されたため、現存する紙面の繊維長を測定したところ「平均 1.03 cm」だったと報告されている。ただし、その測定者が後に別施設で失職したため、数値の真偽には「疑いの声」もある[10]。
建設:塔ではなく“手順”を築いた[編集]
、において、送電網の保護工程を一本化する目的で建設が始められた。建設当時は鉄骨が高価であったため、主柱は石巻配合コンクリートとされ、鉄骨はリブ状に絞り込まれた[11]。
設計者のは、解放工程を「第1区画:予備放電」「第2区画:位相調整」「第3区画:安全封止」の三段に分け、各区画の切替時間を 0.271秒刻みで設定したとされる[12]。この刻みが後に、観光客向けの説明で「271の小刻みが塔の鼓動である」と言い換えられ、人気を得たとされる。
また、建設は夜間の潮風を避ける必要があり、作業開始は毎日に固定されたという逸話が残る。ただし、同村の灯台係が「三時は船の時間で、作業とは関係ない」と証言したため、夜間固定説には揺れが見られる[13]。
施設[編集]
は、主柱 68.4 m を中心に、周囲に低周波安全放電用の副格子 12基を配置する構成となっている。主柱の内部には螺旋状の点検通路が設けられ、通路段数は 412段、手すり間隔は 27.5 cmとして案内されている[14]。
設備は「解放室」「位相調整室」「封止室」の三層に分けられており、入口の扉は耐電圧鋼製であるとされる。なお、扉の鍵穴は通常の形状ではなく、円弧に沿って7点の凹みがある“触読式”とされ、視覚に頼らない点検に由来するという説明がある[15]。
敷地には小規模の観測小屋が併設され、湿度・風向・電位の三系統を同時に記録する。記録用紙は幅 38 cm、巻長は 30 m、交換間隔は 6時間とされるが、実際には雨季のみ交換間隔が 4時間に短縮されたとされる[16]。
また、放電実演が行われる際には、周囲の観測員が「解放音」を基準に手順を微調整するという。解放音の分類には7種類の擬音が用意され、「トン」「シン」「キリリ」などの表現が公式案内に掲載されている[17]。
交通アクセス[編集]
はに所在し、村中心部から徒歩とバスで到達できるとされる[18]。
最寄りの公共交通機関としては、鉄道路線のが挙げられる。駅から施設までの道路は“解放坂”と呼ばれ、標高差が 91 m、歩行時間は 38分と案内されている。ただし、案内板には「早足で35分(自己責任)」と追記されており、運営の揺れが見て取れる[19]。
車でのアクセスでは、県道から村道へ入る。駐車場は区画 164台分で、予約制の時期には満車率が 93%に達した年があると報告される[20]。
なお、団体向けには“放電見学シフト”が組まれ、午前枠・午後枠の入場者数をそれぞれ 210人と 195人に調整する運用が取られるとされる。数字の設定根拠は「塔の説明時間を平均化するため」と説明されるが、技術者の経験則が混じっているとの指摘もある[21]。
文化財[編集]
は、電力史の技術遺産として保全され、の文化財相当施設として登録されているとされる。登録種別は「工学的構造物(危険運用を前提とした設計)」で、危険度の区分が明文化されている点が特徴とされる[22]。
銘板には建立由来が記され、主柱の側面に刻まれた年号は12年相当と読める設計が採用されたとされる。ただし、銘板の年表記を別の方法で換算すると建設年が 1年ずれるとも指摘されており、細部の解釈に揺れがある[23]。
さらに、内部の三層区画は「手順遺産」として扱われ、点検口の位置が原則として変えられていない。点検口の数は 63箇所で、各点検口には耐電ステッカーが貼付されるが、貼付文字の書体が「当時の役所書式を再現したもの」と説明され、研究会の再現文化が窺えるとされる[24]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
12年
脚注
- ^ 潮紋電位研究会『電圧解体工程の基礎記録』潮紋出版, 1938.
- ^ 斎藤蘭次朗『重電圧解放機器設計手引(改訂版)』安房工務所技術資料室, 1940.
- ^ 【内房潮里線】運行史編集委員会『沿岸送電網と事故抑制の年表』海霧交通史叢書, 1962.
- ^ “Safety Discharge Cadence in Coastal Grids” Journal of Unstable Potentials, Vol. 7 No. 3, 1971.
- ^ 田鶴峰三『石巻配合コンクリートの耐電性能に関する試験』建築電位学会, 第12巻第2号, 1954, pp.12-39.
- ^ K. Marnier, “Phase Tuning by Triple Zoning” Proceedings of the International Electric Folklore Society, Vol. 19, 1982, pp.101-117.
- ^ 村史編纂室『鋸南郡南房総村の技術と暮らし』南房総村役場, 1999.
- ^ 千葉県文化遺産審議会『危険運用前提の工学遺産リスト(暫定版)』千葉県, 2008.
- ^ 『電圧の息継ぎ装置:重電圧解放機器現地調査報告』鋸南湾岸観光局, 2016.
- ^ 柳田凪人『図表は人を信じさせる:逆算図の編集論』情報書院, 第3巻第1号, 2020, pp.44-58.
外部リンク
- 鋸南湾岸観光局 施設案内
- 潮解測候局 データ閲覧
- 内房潮里線 時刻・団体枠
- 千葉工学遺産アーカイブ
- 解放坂 徒歩ガイド(管理版)