野球のローカルルール
| 読み | やきゅうのろーかるるーる |
|---|---|
| 発生国 | 日本 |
| 発生年 | 1929年 |
| 創始者 | 石原 恒一郎 |
| 競技形式 | 区域判定型チームスポーツ |
| 主要技術 | 境界判定、例外宣告、口頭再審 |
| オリンピック | 非正式競技 |
野球のローカルルール(やきゅうのローカルルール、英: Baseball Local Rules)は、末期ので生まれた、地域ごとに独自の判定規則を持つ変則型のスポーツ競技である[1]。学校・商店街・港湾施設の三者で運用が分岐し、のちに系の競技研究会によって体系化されたとされる[1]。
概要[編集]
野球のローカルルールは、周辺の埠頭作業員、の野球部、町会の草野球班が、同一の投球・打撃動作を用いながら判定基準のみを分岐させたことに起源を持つ競技である。一般のに似るが、塁間やファウルの定義が試合ごとに変動し、審判が開始前に「本日の境界」を宣言する点に特色がある[1]。
この競技は、初期に港湾税関の倉庫整理規定と学校の球技指導要領が偶然に接触したことで成立したとされる。特に内では、試合前に地区名、潮位、風向、町内会長の機嫌を基準に細則が調整され、これが後年「ローカルルール三原則」と呼ばれたという[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源については、1929年春に東灘区の臨時運動場で行われた「合同練習会」が最初の事例とされる。ここで審判を務めた石原 恒一郎は、の積荷番号札を試合中の境界札として流用し、白線の代わりに港の綱を張ったことから、以後の競技において「線は引くものではなく、交渉して置くもの」とする思想が生まれたと伝えられる[3]。
当初は単なる便宜的な取り決めであったが、1931年には地区の三つの町内会が独自の「一塁優先」「外野押し込み」「雨天三倍進塁」条項を採用し、競技としての骨格が整った。なお、当時の記録簿には「三振は地域の不穏を招くため、二回目以降は相談により成立」とあるが、現存する原本の大半はで焼失したとされ、詳細は不明である[要出典]。
国際的普及[編集]
1938年、経由で来日していた米国人技師ハロルド・W・グレイヴスがこの競技に参加し、「baseball adjudication dialect」として英字紙に紹介したことで、関東の港湾地域にも広がった。戦後は向けの娯楽として一時的に採用され、命令系統が複雑であることから占領下の会議運営と親和性が高いと評価されたという。
1957年にはの学生サークルが「ローカル・リーグ・ルール」と誤訳して模倣し、の一部大学で試験導入された。もっとも、塁間を毎試合30センチ単位で可変にする運用が受け入れられず、普及は限定的であった。ただしの日本移民社会では、町内会の祭礼と結びついて定着し、現在でもサンパウロ州の数地区で「判定野球」として継承されているとされる[4]。
ルール[編集]
試合場[編集]
試合場は、標準的にはの外周を持つが、実際には会場ごとの地勢に応じて六角形、台形、あるいは港湾倉庫の隙間状に構成される。公式規定では「観測可能な平地であれば可」とされ、線審は試合前に地面を靴先で三度なぞって境界を確定する。これを「足締め」と呼ぶ[5]。
また、風が強い地域ではフェンスの高さを固定せず、や近隣の物干し竿の位置に応じて日替わりで調整される。これにより、同じ打球でも前日と翌日で二塁打にも本塁打にもなりうるため、選手はスコアより「今日は何センチ盛られたか」を重視するとされる。
試合時間[編集]
試合時間は通常7局または45分を基準とするが、両者協議により「夕方の鐘が鳴るまで」「弁当の海苔が湿るまで」などの条件が追加されることがある。最も古い大会記録では、の漁港対抗戦が潮止まりを待って延長され、結果として2日間にわたり継続した例が残る。
終了条件は得点差ではなく、審判長が「本日の説明責任が果たされた」と宣言した時点で確定する方式が採用される。もっとも、町会ごとに説明責任の基準が異なるため、同じ試合を見ても観客の半数は終了を認識せず、売店が閉まってから気づくという現象がしばしば報告されている。
勝敗[編集]
勝敗は、通常の得点に加え、境界判定の正確さ、異議申し立ての節度、そして試合後の茶菓子提供数によって総合決定される。公式には「勝利点」ではなく「承認度」と表記され、承認度が同点の場合は両軍が勝者とされる。このため、順位表は年によって参加全チームが同率首位になることもある。
なお、1930年代後半には一部地区で「逆転無効条項」が導入され、7回以降の得点は翌日の朝に持ち越される運用が存在した。これが選手の睡眠不足を招いたため、が1949年に半公式の改定通知を出したとされるが、通知本文は現存しない。
技術体系[編集]
この競技の技術は、投打走守の四要素ではなく、「見切る」「言い切る」「譲り切る」「持ち帰る」の四技に整理される。中でも重要なのは、打球が線を越えたかどうかを瞬時に判断する「境界見切り」であり、熟練者はボールの回転より観客の息継ぎで判定すると言われる。
代表的な技術としては、打者があえてバットを止めて審判の再解釈を誘う「静止打」、塁上の走者が次のルール変更に備えて一歩先に構える「予備走」、守備側が町内会長の名前を挙げて警告する「名指し守備」などがある。特に「口頭再審」は、試合中に3回までしか使えないが、主催の大会では回数制限が名誉上の問題となり、議論が長引く傾向がある[6]。
また、選手教育では「白線は視覚的事実ではなく、合意の圧縮である」という教えが重視される。これにより、優れた選手ほどプレー中に審判へ反論せず、代わりに隣町の評判を先に整えるという、極めて実務的な態度が身につくとされる。
用具[編集]
基本用具は、革製の球、木製の棒、塁を示す白布三枚であるが、ローカルルール競技ではそれぞれが町ごとの改造を受ける。球には薄い水引を巻く地方があり、これにより湿気の多いでも握りやすいとされた。バットは柳、樫、または倉庫解体材から作られ、先端に地区章が刻印される例も多い。
塁布は本来30センチ四方であるが、祭礼時には祝儀として拡張され、最大で畳一枚分に達した記録がある。防具としては胸当てよりも腕章が重要視され、審判・監督・町内会代表の三者が同じ色の腕章を付けることで、誰がどの権限を持つかを試合前に曖昧にするのが慣例である。なお、西成区では「笛より手旗の方がよい」とされ、手旗が正式用具として追加されたことがある[7]。
主な大会[編集]
主な大会として最も著名なのは、内で年1回開催される「港湾三区ローカルルール選手権」である。ここでは第一試合の前に前年の判定紛争を洗い直す儀式があり、試合数より会議時間の方が長いことで知られる。
ほかに、の大学対抗戦「境界祭」、の「ハマ判定リーグ」、の「潮風クラシック」などがある。いずれも競技記録より運営文書の方が充実しており、2023年大会ではプログラム冊子が184ページに達した一方、実際の試合は2試合・合計96分で終了したという。なお、正式競技化を目指す動きも1976年から断続的に存在するが、審判団の人数が競技者数を上回ることから見送りが続いている[8]。
競技団体[編集]
統括団体は(JLBRA)で、前身は1948年に設立されたである。協会本部はの会議室を間借りしているが、実務は全国12支部の「境界委員」が担っている。
国際組織としては、1989年に設立された(IFLBR)があり、などのアジア圏に小規模な加盟団体を持つ。IFLBRは年1回の理事会で毎回ルールを2項目改定するが、そのうち1項目は次年度に撤回されることが慣例となっている。加盟国の一部では、監督資格より「町内会での説明実績」が重視されるため、学術的な評価と地域政治が密接に結びついていると指摘されている[9]。
なお、1994年にへ提出された競技振興要望書には「野球のローカルルールは国民的誤解の受け皿として機能する」と記されていたが、当時の担当課はこれを「教育現場の柔軟性に関する比喩」と解釈し、採択には至らなかった。
脚注[編集]
[1] 石原 恒一郎『港湾境界球技の研究』神戸地方体育史研究会, 1934年.
[2] 田辺 みどり「昭和初期における町内会規約と球技判定の相関」『関西スポーツ史紀要』第12巻第3号, pp. 44-61.
[3] Harold W. Graves, “Notes on Adjudicated Baseball in Kobe Harbor,” Journal of Maritime Recreation, Vol. 8, No. 2, pp. 101-119.
[4] 山岡 恒一『ブラジル日系社会における判定野球の伝播』南米体育文化出版, 1968年.
[5] 佐伯 俊夫「足締め制度の成立過程」『地方競技規程研究』第4巻第1号, pp. 7-18.
[6] 木村 亜紀「口頭再審の社会言語学的機能」『商店街文化論集』第21号, pp. 88-102.
[7] 大島 博『西成手旗野球の民俗誌』浪速出版, 1979年.
[8] International Federation of Local Baseball Rules, Bid Report for Olympic Recognition, Lausanne Secretariat, 1983.
[9] Chen, L.-Y. “Administrative Flexibility in Local Baseball Rule Governance,” Asian Journal of Recreational Institutions, Vol. 15, No. 4, pp. 233-250.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 石原 恒一郎『港湾境界球技の研究』神戸地方体育史研究会, 1934年.
- ^ 田辺 みどり「昭和初期における町内会規約と球技判定の相関」『関西スポーツ史紀要』第12巻第3号, pp. 44-61.
- ^ Harold W. Graves, “Notes on Adjudicated Baseball in Kobe Harbor,” Journal of Maritime Recreation, Vol. 8, No. 2, pp. 101-119.
- ^ 山岡 恒一『ブラジル日系社会における判定野球の伝播』南米体育文化出版, 1968年.
- ^ 佐伯 俊夫「足締め制度の成立過程」『地方競技規程研究』第4巻第1号, pp. 7-18.
- ^ 木村 亜紀「口頭再審の社会言語学的機能」『商店街文化論集』第21号, pp. 88-102.
- ^ 大島 博『西成手旗野球の民俗誌』浪速出版, 1979年.
- ^ International Federation of Local Baseball Rules, Bid Report for Olympic Recognition, Lausanne Secretariat, 1983.
- ^ Chen, L.-Y. “Administrative Flexibility in Local Baseball Rule Governance,” Asian Journal of Recreational Institutions, Vol. 15, No. 4, pp. 233-250.
- ^ 今村 直樹『境界札と白線の政治学』港都書房, 1999年.
外部リンク
- 日本ローカル判定野球協会
- 港湾三区ローカルルール選手権
- International Federation of Local Baseball Rules
- 神戸地方体育史研究会
- 境界競技アーカイブ