鉛筆削りのカスを使った京料理
| 地域 | (主にの職人地区) |
|---|---|
| 分類 | 伝承京料理/食材利用技法 |
| 主な調理法 | 焙煎・抽出(“削り粉”の前処理) |
| 連動する職能 | 鉛筆削り職人、京菓子師、衛生検査官 |
| 成立時期(伝承) | 後期〜初期 |
| 評価指標(業界用語) | 香気指数KSK-12 |
| 論点 | 安全性・規格化の難しさ |
鉛筆削りのカスを使った京料理(えんぴつけずりのかすをつかったきょうりょうり)は、を中心に伝承されたとされる食文化である。鉛筆の削りカスを“旨味の担体”として扱う点が特徴で、期の職人街から広まったと説明される[1]。
概要[編集]
鉛筆削りのカスを使った京料理は、字を書く際に生じる鉛筆の削りカスを、単なる廃棄物ではなく調味素材として再解釈することで成立したとされる料理ジャンルである[1]。とくに内の路地に残る古い店では、削りカスを“香りの芯”として扱い、料理の立ち上がりを調整する作法が語られている。
食材としての中心は、削りカスそのものではなく、削りカスに付随する油分・微細炭粉・結合剤由来成分を、一定の温度と湿度で“おとなしくする”前処理にあると説明される。こうした前処理は、後述する衛生検査官制度のもとで手順化され、のちに複数の流派へ分岐したとされる[2]。
なお、ここでいう“鉛筆のカス”は、純粋に「鉛」成分を食べるというより、削り工程で生じる微粉の性質(吸着性・香気保持性)を利用する、という建付けで語られてきた点が特徴である。ただし、この建付けが現代の感覚と噛み合わないことは早くから指摘されており、学術的な検証は“雰囲気調査”として行われた時期もあった[3]。
歴史[編集]
職人街の“余り香”理論[編集]
起源は、後期にの製図・写経の需要が高まった時代へ遡るとされる[4]。当時、製図机の周辺に溜まる削りカスは火種になりやすかったため、火消し役の町内会が“捨てない工夫”を促した、という逸話がある。町内会は、削りカスの山を薪ではなく乾燥室へ運び、一定時間ごとに微粉を回収していたとされる。
さらに、菓子製法の延長で、粉体の香りが砂糖の香気を底上げすることが見出された、とされる[5]。このときに提示されたのが「余り香(あまりか)理論」であり、削りカス中の微細な“炭の骨格”が、砂糖液の揮発性成分を“しがみつかせ”、結果として香りが長持ちするという説明が与えられた。なお、この理論名は学術論文に登場する前に、なぜか同時期の腕時計修理の記録簿にだけ先に出てくるとされ、史料の偏りが指摘されている[6]。
当該ジャンルの流派名としては、炭素の香りを“抑える”作法から派、逆に“引き出す”作法として派が記録されたとされる[7]。ただし、後年の聞き書きでは、派の区別は味よりも仕込み時間の長さに依存していたとも語られている。たとえば派は“削り粉を一晩お湯で泣かせる”作法で、東山派は“削り粉を3分だけ素早く乾煎りする”作法だったという具合である[8]。
衛生検査官制度とKSK-12[編集]
削りカスの食用化が“伝承”の域を出るのは、が初期に導入した簡易衛生検査制度(通称「かす香保安」)によるものとされる[9]。この制度は、飲食店に対して香気の数値化を求めた点が特徴であり、物質の成分を直接測るのではなく、匂いの立ち上がりを一定の手順で計測した。
指標として用いられたのが香気指数KSK-12である。数値の算出は次のように説明される。まず削りカス前処理後の粉を、温度・相対湿度の乾燥器へ入れ、タイマーをだけ回す。次に、砂糖水をに希釈した溶液に粉を加え、攪拌子で回し、香りのピークが出るまでの遅延時間(秒)を記録する。この遅延時間が小さいほどKSK-12が高い、という“経験則”が採用された[10]。
ただし、KSK-12はのちに「結局、気分の数値化では?」と笑われるようになり、複数の批評家が測定条件の恣意性を問題視した[11]。それでも制度が続いた理由としては、数値が付くことで店側が統一工程を守りやすくなったからだとされる。一方で、統一工程を守るために手順が細かくなり、料理人の間では「料理は食う前にKSK-12に従え」という格言が流行したとされる[12]。
調理法と流派の実例[編集]
鉛筆削りのカスを使った京料理では、食材が“粉”である以上、前処理が味を決めるとされる。典型的には、削りカスをで二度すすぎ、乾燥器で“音が鳴らない程度”まで水分を飛ばし、その後に焙煎釜へ移す。ここでの焙煎は色よりも手触りを基準にし、「指に粉が残るならまだ早い」「残らなければ香りが抜けた」といった評価が語られる[13]。
代表的な料理として、削りカスを“薄膜”にして載せる、削り粉を出汁に溶かして香りだけを残す、そして粉を粒のまま残して食感を作るが挙げられる[14]。特には、工程中に蓋を開ける回数が味に直結するとされ、蓋の開閉を合計に抑える流派とに増やす流派が対立したという逸話が残る[15]。
また、店ごとの“約束事”として、削りカスは同一の鉛筆芯メーカーで揃えるべきだとされることがある。これは科学というより伝統の都合で、材料が一定であるほど味の説明が楽になるからだとされる。しかし、その理屈が過度に徹底された結果、仕入れ担当が「芯の銘柄よりも、削りカスの匂いの履歴が大事」と言い出し、倉庫に香りの温湿度ログを貼り始めたという“管理オタク”的なエピソードがある[16]。この管理は行き過ぎとして笑われつつも、現場ではなぜか採用され続けたとされる。
社会的影響[編集]
この料理がもたらした社会的影響は、食文化の枠を超えて“廃棄の再設計”という思想に波及したと説明される[17]。鉛筆削りのカスが料理に転用されるなら、他の微粉も資源になりうる、という発想が教育現場に入り、の一部では「削り粉の標本箱」を作らせる授業が試行されたとされる[18]。
一方で、観光向けには“伝承の物語”が先行し、実際の味よりも体験が売られた時期があった。新聞・雑誌の取材では、料理人がKSK-12の説明をしながら、削り粉を顕微鏡で見せる演出が定番化したとされる。実物は見た目としてはただの粉であるため、体験の説得力を高めるために「粉の粒径はで揃える」といった数字が独り歩きしたという[19]。
結果として、後年には“数字がある料理は安心できる”という消費行動が形成され、食の領域に限らない影響を与えたと考えられている。ただし、その安心感は科学的保証ではなく、説明文の説得力から生まれた側面があると批評されている[20]。
批判と論争[編集]
批判として最も多いのは安全性の問題であり、鉛筆削りのカスという素材名から受ける印象が強すぎる点が問題視された。特に、の“教育枠”で取り上げようとした動きに対して、複数の医療関係者が慎重姿勢を表明したとされる[21]。議論の場では「物質名が誤解を呼ぶ」という指摘が出た一方、「料理名は文化である」という反論も行われた。
また、KSK-12の数値化は、再現性が乏しいという批判も受けた。測定条件の“相対湿度”のような細かさがあるにもかかわらず、最終的に評価者が香りを主観で判断している点が問題視され、「結局は気分指数KSK-12ではないか」と揶揄する論調が広まったとされる[22]。さらに、史料によってはKSK-12の最適値が“12”ではなく“13.7”であると記されているものもあり、そこから「そもそも基準が揺れていた」という説が出た[23]。
この論争の最終的な着地点は、現代の規格化の難しさにより、自治体ごとに“呼称の運用”を変える形で落ち着いたとされる。すなわち、料理名から素材名を外した「余り香京粥」などの派生呼称が増え、名前の衝撃を減らす運用が採用されたという[24]。ただし、そうした運用がかえって“何か隠している”印象を与えたという指摘もあり、批判は完全には沈静化していないとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山本淡雪『余り香理論と京の微粉史』京都文庫, 1926.
- ^ 森田梓人『KSK-12運用記録:衛生検査官制度の現場』【京都府】衛生課刊行物, 1919.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『Odor-Delay Indices in Pre-Processed Powders』Journal of Culinary Instrumentation, Vol. 3 No. 2, 1932, pp. 114-129.
- ^ 中村絹江『鉛筆削りカスの焙煎条件と香気保存』東山食品科学会, 第7巻第1号, 1931, pp. 55-72.
- ^ 小川澄香『伝承京料理の命名戦略:素材名の説得力』京都観光史研究会, 1940.
- ^ 佐伯啓介『微粉の吸着性は出汁に効くか?—現場経験の統計化』日本粉体学会誌, 第12巻第4号, 1938, pp. 201-219.
- ^ International Society for Odor Studies『Guidelines for Subjective Peak Timing』Vol. 2, Issue 9, 1935, pp. 9-22.
- ^ 伊藤蒼月『削り粉顕微鏡図譜と客の安心感』【大正】活字館, 1922.
- ^ ジョルジュ・マレーズ『香りは測れる:KSK-12の誤差論』Maison des Mesures, 1936, pp. 33-41.
- ^ (タイトルが微妙に違う)『余り香理論と京の微粉史 〔増補版〕』京都文庫, 1926, pp. 1-8.
外部リンク
- 余り香保存協会
- 京都微粉料理研究所
- KSK-12計測アーカイブ
- 花園派作法資料室
- 東山派焙煎釜レジスター