阪急三宮延長線
| 名称 | 阪急三宮延長線 |
|---|---|
| 種類 | 地下連絡建造物・回廊複合施設 |
| 所在地 | 兵庫県神戸市中央区三宮町周辺 |
| 設立 | 1958年(昭和33年) |
| 高さ | 地上部 8.4m、地下連絡部 延長 412m |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造・一部鋼骨補強 |
| 設計者 | 神戸都市連絡研究所、主任技師 牧野伊佐雄 |
阪急三宮延長線(はんきゅうさんのみやえんちょうせん、英: Hankyu Sannomiya Extension Line)は、にある地下連絡建造物である[1]。現在では一帯の商業動線を統合する回廊群として知られている[1]。
概要[編集]
阪急三宮延長線は、の地下街整備計画の一環として建設されたとされる連絡建造物で、の三宮側終端を商業地区へ“延長”する目的で構想されたものである。現在では、駅前広場、百貨店地下入口、旧市街側の歩行者通路を結ぶ半地下式の回廊群として運用されている。
名称に「線」とあるが、実際には鉄道ではなく、空調設備と搬送用コンベヤを備えた歩行者専用の連絡路であり、この誤解が長年にわたる観光客の混乱を生んだ。また、設計時にや地元百貨店との調整が難航したため、完成後も区画ごとに床材や天井高が異なるなど、やけに細かい不統一が残されている。
名称[編集]
「阪急三宮延長線」の名は、当初の計画書に記された仮称「三宮連絡延長軸」に由来するとされる。これを当時の阪急側技術室が、輸送路ではなく“線”として扱うことで行政上の折衝を円滑化しようとした結果、現在の名称に固定されたという。
なお、設置当初は「延長線」という呼称が長すぎるとして、駅員や案内係の間では単に「延線」と略されたが、都市景観審議会が1971年に正式表記を統一し、以後は新聞や地図でもこの表記が用いられるようになった。地元では今なお、旧称の「三宮廻廊」や「阪急地下のびしろ」と呼ぶ者もいる。
沿革[編集]
計画の発端[編集]
起源はの復興期にさかのぼるとされ、に神戸駅前の混雑対策として、歩行者を地上から地下へ逃がす「分流構想」が提出された。これを受け、の都市課と阪急側の施設担当者が共同で予備調査を行い、三宮南北の通行量を1日平均18,400人と見積もったという[要出典]。
もっとも、当時の調査票には喫茶店の客数まで含まれていたため、数値の信頼性には後年疑義が呈された。ただし、この“過大な人流”こそが延長線の建設費を正当化したとされ、結果的に予算案は31年度補正で通過した。
建設と開通[編集]
から掘削が始まり、に第一期区間が暫定開通した。工事は地盤中の旧河川跡に悩まされ、地下1.2mの位置で木造の配管束が見つかるたびに、現場監督のが「これも神戸の層だ」と言って保存を優先したため、工程が平均で11日ずつ延びたという。
開通式にはの関係者、地元商店街、ならびに神戸港の荷役組合まで招かれ、テープカットの代わりに可動式シャッターを3枚同時に開ける演出が行われた。これが“地下開業における神戸流の祝儀”として後に模倣されたともされる。
拡張と再編[編集]
1970年代にはの整備とともに再編が行われ、延長線の東側に休憩所兼展示区画が追加された。このとき、床面に貼られた路線図が誤って1.8%縮尺で印刷され、案内図が実際より長く見える現象が発生したため、利用者の間では「歩くと縮む通路」として半ば都市伝説化した。
また、1995年の後には一部区画が補修され、防災備蓄庫を兼ねる形で耐震壁が増設された。復旧後に取り付けられた非常灯は、なぜか通常より17秒遅れて点灯する仕様になっており、設計意図か単なる調整ミスかをめぐって現在も議論がある。
施設[編集]
阪急三宮延長線は、単一の通路ではなく、複数の小施設から成る複合構造である。中心部には全長412mの主回廊があり、その両側に売店、待合ベンチ、案内掲示板、旧式の換気口が配置されている。とくに中央の「時計の間」は、壁面時計が3分ずつずれて設置されていることで知られ、待ち合わせ場所としては不向きだが、観光客の撮影スポットとして定着している。
施設内にはまた、昭和期のタイルを敢えて保存した「復元面」と、平成期改修で導入された白色パネルの「現代面」が隣接している。この不均一さは、建設当時の資材配給の名残を伝えるものとして評価される一方、案内表示の見落としを誘発し、月に約42件の迷子届が出る原因にもなっている。
さらに、地下二層部には「延長線資料棚」と呼ばれる小展示室があり、工事写真、設計図、折れた誘導灯のレンズなどが収蔵されている。ここで展示される建築模型は、実物よりも通路が14メートル長く作られており、担当学芸員は「完成後に縮んだのではなく、模型が真実に近い」と説明している。
交通アクセス[編集]
最寄り駅はであり、地下改札から連絡通路を経て直結している。ほかに、からも徒歩圏内とされるが、延長線の内部動線は複雑で、初見では東西の感覚を失いやすい。
バス利用の場合はの三宮停留所が近く、観光案内所では「地上を三回横断してから地下へ入ると最短」と案内されることがある。ただしこの方法は雨天時に限り実用的であり、晴天の日にはむしろ地上を歩いた方が早いという指摘もある。
また、開業当初は自転車の押し歩きが許可されていたが、回廊中央の床材が滑りやすいことから、1964年に全面禁止となった。現在でも一部の旧案内板には自転車アイコンが残っており、これが「未完成の施設」らしさを醸している。
文化財[編集]
阪急三宮延長線の一部区画は、の近代産業遺産候補として扱われている。特に1950年代製の手摺、黄銅製の番号札、楕円形の通風口は、戦後都市交通の意匠を伝えるものとして保存対象になっている。
2012年には、中央回廊のタイル張り壁面が「都市地下空間の初期意匠」として登録される見通しが報じられたが、結局は登録範囲が3.6mほど狭められた。この経緯について、保存団体は「文化財としては狭いが、三宮ではそれが普通である」とコメントしている。
なお、施設内の非常階段踊り場にある銘板には、設計者名の下に小さく「試験施工・第7号」と刻まれている。この第7号が何を意味するかは明らかでなく、研究者の間では“試作回廊の番号”説と“寄付口数”説が対立している。
脚注[編集]
[1] ここでいう「延長線」は鉄道路線ではなく、地下連絡建造物の通称である。
[2] 開通年や設計者に関する一部記述は、当時の広報資料と現存する案内板で差異がある。
[3] 迷子届の件数は、商業施設管理組合の内部集計によるものである。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 牧野伊佐雄『三宮地下連絡軸の構想と実装』神戸都市建築研究紀要, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1961.
- ^ 西園寺和弘『阪急三宮延長線における人流分散の試算』交通計画学会誌, 第18巻第2号, pp. 109-121, 1957.
- ^ Margaret A. Thornton, “Subterranean Retail Corridors in Postwar Kobe,” Journal of Urban Passage Studies, Vol. 4, No. 1, pp. 7-29, 1978.
- ^ 神戸市都市計画局『三宮地区地下空間整備報告書』神戸市公報資料, 1959.
- ^ 田辺正人『地下街の意匠と案内表示』彰国社, 1972.
- ^ Hideo Kuroda, “A Small History of Big Corridors,” Architecture and Civic Flow, Vol. 9, No. 4, pp. 233-251, 1984.
- ^ 神戸地下文化財保存会『阪急三宮延長線タイル壁面調査報告』保存研究叢書第5巻, 2013.
- ^ 渡辺精一郎『都市の延長線:神戸における半地下歩行空間の成立』関西建築書房, 1996.
- ^ James R. Ellwood, “Alignment Errors in Civic Underground Walkways,” Proceedings of the Eastern Urban Fabric Symposium, Vol. 2, No. 6, pp. 88-93, 2001.
- ^ 『阪急三宮延長線案内図 昭和33年版』神戸商業振興会資料室, 1958.
外部リンク
- 神戸地下回廊アーカイブ
- 三宮都市歩行空間研究会
- 阪急三宮延長線保存委員会
- 近代地下建造物データベース
- 神戸歩廊案内図ライブラリ