阪神V逸
| 分野 | スポーツ報道史・言語文化 |
|---|---|
| 対象 | |
| 用語の性格 | 準公式な比喩(ただし厳密な統一定義はない) |
| 成立の時期(とされる) | 昭和末期〜平成初期の報道慣行として拡散 |
| 関連概念 | 逆転劇の“遅延”論、勝利確率の儀礼化 |
| 象徴的舞台 | 周辺の“準優勝回廊” |
| 主な語り口 | 数字の精密さを伴う比喩叙述 |
(はんしん ぶいいつ)は、が優勝(V)目前で何らかの形で逸したと説明される一連の出来事を指す、報道史的な用語である。1890年代の“勝利遺産”研究に端を発したとする説があり、のちにの表現技法として体系化されたとされる[1]。
概要[編集]
は、広義には「(V)が確定するはずの局面で、何かがほんの数手遅れた(逸れた)」と説明されるスポーツ報道の言い回しである。狭義には、ある試合日程・天候・人員交代などが重なった結果、“Vの確率が一度だけ反転した”と語られる出来事群をまとめて呼ぶ。なお、学術的な定義が先に確立したというより、実況・紙面・解説が後から整合的に接続した、いわば「編集された記憶」として理解されることが多い。
成立経緯としては、の戦績分析が“確率”を前面に出すようになった時期に、スポーツ紙の編集者が「勝ち切れなさ」を説明するための短いラベルを必要としたことが挙げられる。さらに一部では、記者向けの社内研修が、勝利を「V」として扱うための暗号表現を導入したことが元になったともされる[2]。このためは、スポーツそのものの出来事というより、出来事を意味づける言語運用としての顔を持つ点が特徴である。
用語の特徴と選定基準[編集]
が使われる局面には、一定の“様式美”がある。たとえば、逸れの理由は「戦術」だけで終わらず、、、試合前の記者団の導線まで含めて説明されやすい。また、説明には必ず精密な数字が紛れ込む傾向があり、「5回裏の打球角度が0.7度ずれた」「交代枠を使うまでの累積待機時間が41分13秒だった」など、検証不能なほど具体的な値が提示されることが知られている。
選定基準としては、(1) “Vが確定する条件”が紙面上で提示されていること、(2) その条件が直前で崩れること、(3) 崩れが偶然よりも“物語的な必然”として語られること、の3点が暗黙に共有されるとされる。一方で、どの試合をもれなく含むかは編集者の裁量に依存しており、読者からは「は一覧というより、編集部が飼っている物語だ」との冗談も出た。
なお、起源をさらに遡る説として「勝利遺産」なる研究領域が挙げられる。これは、昭和初期にの元職員が記した“球場の気流ログ”を、のちにスポーツ紙が“勝利の帳簿”として再解釈したものだという。もっとも、そのログが現存するかは不明であり、脚注に「確認できず」と書かれるのが定番になっている[3]。
歴史[編集]
起源:勝利遺産と「V」の暗号化[編集]
の成立は、1897年に始まったとされる「勝利遺産(きしょういさん)」という言葉遊びに遡ると説明されることがある。資料によれば、当時の統計係であった(日本国内の地方新聞社の整理係)が、試合後の票読みを整理する過程で「優勝確率」を“V”という一文字の記号に置き換えたとされる。彼は勝利を神学ではなく手続きとして扱うため、“意味のない記号”にするのがよいと主張した。
次に関わったのは、1931年に設立された「」である。同会は、記者が数字を扱う際の“誤解されない書き方”を競う場であり、の紙面担当がそこで最優秀の添削者として名前を残したとされる。その際の添削は徹底しており、「逸れ」を説明するなら“逡巡”の語を用いよ、などの文体ルールが作られたとされる。
この時点で、V逸は“逸れ”の種類をもつ概念として整備され、後の解説者が「Vは決まっていた。しかし人の目が遅れていた」と語る土台になった。なお、当時の会議録が見つかっていないため、成立日付には揺れがあり、昭和後期の編集者が後付けで年号を付け足した可能性があるとされる[4]。
拡散:甲子園“準優勝回廊”と精密数字の作法[編集]
1950年代後半、周辺で「準優勝回廊」と呼ばれる一種の観光導線が整備された、と一部の回顧録で語られる。この導線はファン向けのものとされるが、実際には記者団が“逸れの瞬間”を目撃する位置を揃える目的もあったとされる。導線の距離は「第三ゲートからベンチ裏まで632.4m」と記録されているが、誰が測ったかが書かれていないため、数字だけが独り歩きした。
その後、の解説欄に、確率を物語へ変換する技法が導入された。具体的には、(1) 試合開始前の“Vの推定値”を提示、(2) 逸れの直前で数値が逆転、(3) 逸れの理由は気象・心理・観客動員の三層に分解、という順序が定式化された。ここでは単なる現象名ではなく、文章の骨格として働くようになった。
さらに、報道の拡散には人物ネットワークがあったとされる。新聞社の編集部には「V編集室(ぶいへんしつ)」なる非公式部署が置かれ、勝利に関する語彙を“使い回せる在庫”として管理していたという証言がある。もっとも、V編集室の実在性は怪しく、当時の名簿は「記載欄に空白が多い」と後年の調査で指摘された[5]。
社会的影響:勝利を“遅延”として理解する習慣[編集]
が広まると、スポーツ理解が「結果」から「遅延」に移ると論じられるようになった。つまり、人々は負けを単純に受け止めるのではなく、「勝利の到着が遅れた」という形で感情を組み替えるようになったのである。これにより、選手批判が抑制され、代わりに運用・段取り・タイミングの議論が増えたとされる。
また、言語の影響も大きい。日常会話では、会議が予定より遅れたときに「V逸みたいなもんだ」と言う若者が出たとされ、行政資料にも比喩が混ざったという逸話がある。例としての一部部署が導入した“遅延許容フレーム”の研修資料に、比喩としてV逸が引用されたが、出典は「編集欄の談話」とされている。なお、その研修資料は保管期限切れで失われたと報告されている[6]。
このようにはスポーツ用語でありながら、時間の感覚を変える文化装置として振る舞った。一方で、遅延を美化する傾向が「負けの責任を薄める」と批判され、後述の論争へつながっていくことになる。
具体的な出来事(よく語られる“V逸”の型)[編集]
とされる出来事は、実際の試合結果というより“型”として語られる。以下は、報道や回顧の中で反復して描かれた代表例であり、どの試合が厳密に該当するかは流派によって異なるとされる。
まず「一球半(いっきゅうはん)型」である。これは、九回裏一死二塁で、最後の打席の球種が“半分だけ”ズレたとされる伝承である。ある解説者は、球速が152km/hから151.6km/hへ落ちたと述べ、さらにミットの角度が「理論値から0.4度傾いた」と語った。なぜ0.4度なのかは説明されないが、その具体性が読者の記憶に残ったとされる。
次に「空調同調(くうちょうどうちょう)型」がある。これはの空調設備が試合当日に“同じ温度勾配”を作り、結果として湿度が一定になったため、打球が想定よりわずかに沈んだという話である。ある記事では、観客の平均滞留時間が「18分07秒」とされ、滞留が湿度に影響したと結論づけられている[7]。ただし、球場に空調計測の記録が残っているかは確認できていない。
さらに「記者導線崩壊(きしゃどうせんほうかい)型」である。これは、試合前に取材導線が変更され、ベンチ上のカメラ位置が16cm後退したため、決定的瞬間の写り込みが遅れた結果、解説が一瞬だけ後追いになり“V逸”という言語が発火した、とされる。ここでは選手よりも取材カメラの挙動が主役になるため、読み物として強烈に面白いと評価されてきた。
最後に「V帳簿反転(ぶいちょうぼほんてん)型」がある。Vの推定値を紙面で提示した直後に、別の紙面で推定値が訂正され、読者が混乱した“言語上の逸れ”を指す。訂正の理由は「推定モデルの小数点桁の丸め」とされ、訂正頁の端には注意書きが小さく載っていたという。これが“実在の負け”を超えて語られ続ける理由であるとする説もある[8]。
批判と論争[編集]
は、比喩としての完成度が高い一方で、その説明が“検証不能な精密さ”に寄り過ぎるとして批判されてきた。特に、「0.4度」「41分13秒」「18分07秒」といった数字が、どの観測装置で測られたか不明である点が問題視されたのである。ある研究者は、こうした数字が“科学っぽさの衣”として働き、記述の真偽を読者から切り離す効果があると指摘した[9]。
また、V逸という言い換えが責任の所在を曖昧にするとして、試合の当事者(選手・監督・運用担当)を免罪するような空気を作ったのではないか、という倫理的な議論も起きた。反対に、擁護側は「V逸は敗北の慰めではなく、物語の編集を言語化したものに過ぎない」と主張した。
さらに“記者導線崩壊型”のように、競技外要因を主役に据える語り方は、ファンの中で分断を招いたとされる。一方の派は「取材もまた試合の一部」とし、他方の派は「取材都合を勝敗に混ぜるな」と反発した。こうした論争は、結果としての報道の透明性を上げる方向にも働いたとする見方もあり、議論が無駄ではなかったとまとめられている[10]。ただし当事者の誰がどの会議でその透明性を提案したのかは不明である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山田正彦「V記号と勝利の言語工学—“阪神V逸”の周辺」『日本スポーツ言語学会誌』第12巻第3号, 2008年, pp.41-63.
- ^ Margaret A. Thornton「Symbolic Delay in Fan Narratives: The Case of Hanshin V-Delay」『Journal of Sports Discourse』Vol.18 No.2, 2012, pp.101-126.
- ^ 渡辺精一郎『勝利遺産の整理術』自家出版, 1899年, pp.7-19.
- ^ 鈴木恭介「甲子園“準優勝回廊”の都市的記憶」『関西メディア考現学』第6巻第1号, 2015年, pp.9-34.
- ^ 田中真理子「数字の精密さが生む信頼—観測不能情報の受容」『社会情報学レビュー』第9巻第4号, 2019年, pp.77-102.
- ^ Kazuya Ishikawa「Editorial Rituals and Probabilistic Storytelling in Japanese Newspapers」『Media Studies Quarterly』Vol.27 No.1, 2021, pp.55-81.
- ^ 新聞言語研究会編『勝利語彙の暗号表—Vと逸の設計』講談社学術文庫, 1964年, pp.113-131.
- ^ 松本礼次「記者導線崩壊の実務—ベンチ上カメラ位置は16cm動く」『映像報道の技術史』第3巻第2号, 2003年, pp.201-218.
- ^ 林田皓「V帳簿反転と丸め規則の社会的効用」『確率と言説』第1巻第1号, 1997年, pp.1-20.
- ^ Caleb R. Watanabe「On the Semiotics of Loss: A Brief Note on V-Delay」『International Sports Semiotics』Vol.2 No.7, 1988, pp.12-27.
外部リンク
- 嘘球場アーカイブ
- 阪神V逸語彙辞典(仮)
- 準優勝回廊研究所
- 新聞編集部・言語訓練資料館
- 気流ログ収集家の部屋