霧瀬県立幽帷高校
| 名称 | 霧瀬県立幽帷高校 |
|---|---|
| 種類 | 県立の全日制高等学校校舎(旧講堂含む) |
| 所在地 | 霧瀬県幽帷市白霧台一丁目 |
| 設立 | 大正(1910年)創立、校舎は34年改築 |
| 高さ | 本館 24.7 m(旧講堂 29.2 m) |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造(一部木造趣向) |
| 設計者 | 建築技師 兼田緑月(かねだ りょくげつ)ほか |
霧瀬県立幽帷高校(きりせけんりつ ゆういこうこう、英: Kirise Prefectural Yui High School)は、にある[1]。
概要[編集]
霧瀬県立幽帷高校は、現在ではに所在する県立の全日制高等学校として知られている[1]。校地中央に「幽霧の回廊」と呼ばれる渡り廊下があり、霧が濃い日の朝には音響が増幅して「校歌が三重奏に聞こえる」とされる。
本校は、地域の教育制度を支えるだけでなく、建築趣向と音響文化を結び付けた実験場としても位置付けられている[2]。特に、旧講堂の吊り梁(つりばり)に刻まれた十字文様は、のちの「幽帷式静粛礼(ゆういしき せいしゅくれい)」の発祥に関係するといわれる。
一方で、幽霧の回廊が「霧の発生装置」と誤認されることがあり、これが観光面での誇張につながったという指摘もある[3]。
名称[編集]
「幽帷(ゆうい)」という語は、霧がかかった灯火(ともしび)を“幕”に見立てる地方言語に由来すると説明されている[4]。校名の「幽帷」は、学校が学びの場であると同時に、地域が暮らしを整えるための“静けさの装置”であるべきだという理念を反映したとされる。
また、校舎の愛称として「幽帷の首尾(しゅび)」が用いられることがある。これは、正面玄関の庇(ひさし)に設置された風見(かざみ)から始まる見取り図で、卒業記念品が毎年同じ方位に整列するよう設計されたという逸話に由来する[5]。
なお、校名が一時期「霧瀬県立幽帷学園」と誤って登録された事例があり、当時の行政文書には「表記統一の再確認」が付録として残されている[6]。
沿革/歴史[編集]
成立の背景と教育改革[編集]
霧瀬県では、期に工業用蒸気が川霧を増やしたとされ、子どもの視界を守るための「霧学(きりがく)」が農業試験場の別室から始まった[7]。のちに霧学が“観察し、記録し、統制する”教育理念へ転換され、教育委員会はの内部プロジェクトとして「回廊採光型校舎」の企画を立ち上げたとされる[8]。
企画の中心人物には、教育行政官のが挙げられる。彼は県庁机上で「霧の日の授業は、音の遅れを計測して行うべきだ」と主張し、旧講堂の設計に“反響の許容誤差”を明記させたと語られている[9]。最終的に、幽帷高校は「霧の日でも学力が落ちない」という標語を掲げて創立された。
ただし、この標語が公式記録に初めて登場するのは16年の校内報であるため、成立過程には誤記や後年の潤色があるとの見解も示されている[10]。
校舎改築と“音響の校歌”伝承[編集]
校舎は34年に改築され、本館の天井高は「平均 8.41 m」と測定され、施工報告書に端数まで記載されたとされる[11]。この“8.41”は、当時の設計者・兼田緑月が「音が戻る時間」を逆算した結果だと説明されている。
また、旧講堂の吊り梁には、等間隔で刻みが入れられている。校友会ではそれを「梁の鼓数(こすう)」と呼び、竣工式当日に校歌を3回歌うと、3回目だけ低音が伸びるという実験が伝承されている[12]。この話はのちに、理科の自由研究コンクールで“霧と残響”の定番テーマになった。
一方で、地域観光パンフレットでは回廊が自動で霧を出すように書かれたことがあり、実際には散水設備の“体験演出”に過ぎないと後に訂正が出された[13]。それでも伝承の方が先に広がったため、幽霧の回廊は現在も象徴として残っている。
施設[編集]
霧瀬県立幽帷高校の主要施設として、本館、旧講堂、幽霧の回廊、図書館棟、実習棟、そして「白霧供養室」と呼ばれる小さな礼拝スペースが挙げられる。白霧供養室は、入学式のあとに学用品の“汚れ”を払う儀式に使われるとされ、掃除当番の範囲が校則で細かく定められている[14]。
本館は鉄筋コンクリート造で、外壁の配色は「朝露群青(あさつゆぐんじょう)」と呼ばれる。設計時の色見本はに相当するコードで管理され、塗料のロットが「第3倉庫・第2缶」まで台帳に残されているという[15]。もっとも、この台帳が“何のために倉庫番号が必要だったか”は当時の技師しか分からないとされる。
幽霧の回廊には、渡り始めから終端までの距離が「73.5歩」と表現される張り紙がある。実際のメートル換算は校内で議論があり、歩幅を1.65 mとする説と1.7 mとする説が併存している[16]。ただし、見学者が勝手に測量することが増えたため、現在では立入範囲が調整されている。
交通アクセス[編集]
本校は、公共交通機関ではのから徒歩およそ18分とされる[17]。駅前からは「白霧循環バス」が出ており、平日の日中は概ね30分間隔で運行されると説明されている。
車の場合は、のから約6.2 kmで、所要時間は渋滞を除けば12分程度とされる[18]。駐車場は普通車 64台、バス 4台が上限として運用されているが、観光シーズンは臨時で普通車 19台が追加される年もあるという[19]。
なお、雨天時には回廊床の反射率を下げるため、下段の案内に従って迂回するよう求められる。案内文には「反射角は 14度まで」と記載されることがあるが、これが計測値なのか口伝なのかは定かでないとされる[20]。
文化財[編集]
霧瀬県立幽帷高校の文化財として、旧講堂の吊り梁が「工匠刻文(くしょうこくもん)」の一部として登録されている[21]。登録種別は県の“無形要素を含む建築美術”として扱われ、保存の対象は彫刻の意匠だけでなく、毎年行われる換気手順(せきじゅん)にも及ぶと説明される。
また、校内の「静粛礼」に関する手順は、霧の日の礼法として教育史料に準じて保存されているとされる[22]。手順書には、入退場のタイミングを「二拍(にびょう)」ではなく「1.93秒ごと」と書き、音の間隔を固定するよう求めているという点が特徴として挙げられる[23]。
一方で、これらの文化財指定が観光集客に結び付くことで、“実施の厳密さ”が形骸化するのではないかという懸念もある。実際に、見学者向けに簡略化された回廊体験が広まった時期には、教育関係者から「本来の目的からズレる」との指摘が出された[24]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 霧瀬県教育委員会『霧瀬県教育史資料集(全日制編)』霧瀬県教育庁, 1978年.
- ^ 兼田緑月『回廊採光型校舎の設計記録(草稿)』幽帷市建築研究会, 1959年.
- ^ 山崎真鶴「霧の日の残響と授業集中」『音響教育研究』第12巻第3号, 1962年, pp. 41-58.
- ^ 渡辺精一郎『教育行政と場の統制』霧瀬文化出版, 1933年.
- ^ K. Endo, “The Haze Corridor and School Song Resonance,” Journal of Regional Architecture, Vol. 8 No. 1, 1971, pp. 15-27.
- ^ 霧瀬県文化財保護課『県指定文化財(建築美術・教育礼法)目録』霧瀬県, 1994年.
- ^ 伊藤澄乃『学校建築の色彩台帳:朝露群青の分析』講談霧叢社, 2001年.
- ^ 清水由紀「幽帷式静粛礼の成立要因—霧学との関連—」『教育実践史叢書』第5巻第2号, 1988年, pp. 101-126.
- ^ M. A. Thornton, “Administrative Mislabeling in Prefectural Records,” Bulletin of Civic Documentation, Vol. 22, 1980, pp. 201-219.
- ^ 『霧瀬鉄道沿線散歩(改訂版)』白霧舎, 2012年.
外部リンク
- 幽帷高校旧講堂デジタル台帳
- 霧瀬県文化財データベース(工匠刻文)
- 白霧循環バス時刻表アーカイブ
- 霧学観察会公式記録
- 幽帷市建築研究会・設計メモ倉庫