風呂のベタつき
| 分野 | 衛生工学・住環境化学(とされる) |
|---|---|
| 主な現象 | 浴槽表面の触感が粘るように感じられること |
| 観測部位 | 浴槽の縁・排水口周辺・床の隅 |
| 原因要因(俗説) | 皮脂由来フィルム、石けん残渣、微量界面活性剤 |
| 対策(現場) | 酸性洗浄・湯温調整・換気・排水口清掃 |
| 関連用語 | ぬめり発生係数、逆再付着現象 |
| 議論の焦点 | 清掃が原因なのか、清掃しないことが原因なのか |
| 語源(架空説) | “風呂場のベタ”が港湾物流の指標に由来するという説 |
(ふろのべたつき)は、後に浴槽や床に残る粘着感を指す語として、家庭の衛生談義のみならず工学的な検討対象としても扱われることがある。とくに水質や洗浄剤の相互作用によって説明されるとされるが、その起源は微生物学ではなく、別種の産業史に根を持つとする説がある[1]。
概要[編集]
は、入浴後に浴槽や床に触れた際、乾いた表面とは異なる粘り気が感じられる状態をまとめて呼ぶ語である。一般には、汗・皮脂・整髪料などの有機成分が洗浄剤と結びつき、薄い膜として残存することで説明されるとされる。
一方で、この現象が“衛生の問題”に留まらず、ある地域の産業と結びついて制度化されていったという見方もある。とくにの沿岸部で観測された「ベタつき指標」が、後に住宅の清掃評価へ転用されたとされ、清掃の科学だけでなく住民運動まで波及したと記述されることがある[2]。
概要[編集]
この語が使われる場面は多く、家庭の“感覚の共有”から、浴槽材の表面処理や排水配管内の堆積構造の議論にまで及ぶ。分類としては、(1)浴槽の縁だけが不均一に粘る型、(2)床の隅でのみ発生する型、(3)排水口周辺に限局する型に分けて語られることがある。
また、計測を志向する文脈では「ぬめり発生係数(BSF: Bath Stickiness Factor)」なる概念が導入されることがある。これは皮脂由来フィルムの“厚み”ではなく、“触感が残る時間”を基準にした擬似指標であると説明される。数値は、標準ガーゼ片を一定荷重で押し付け、離した直後の抵抗感を点数化して算出されるとされるが、手順が細かすぎるため、現場の運用では疑義が生じやすいとも指摘される[3]。
歴史[編集]
港湾物流の“ベタつき指標”が家庭へ流入したという説[編集]
風呂のベタつきをめぐる逸話として、1920年代にの港湾倉庫で使われていた「ベタ指数」が転用された、という筋書きがしばしば引用される。倉庫では輸送中の布巻き資材が湿気で“粘る”ことが問題になり、作業員の皮膚に残る抵抗感を数値化する必要があったとされる。
その指標は、官庁名義の基準書に収載されたとされるが、資料の所在は戦時期の保管名簿の欠落によって曖昧である。とはいえ、の前身機関が港湾倉庫の衛生監査に関与していた時期と重なるため、転用の可能性が語られることがある。具体的には、倉庫で採用された測定荷重が「ちょうど 37 グラム」とされ、これが家庭の“湯面からの逆戻り”観察にも流用されたとする説がある[4]。
この転用は、単なる比喩ではなく、清掃器具の規格制定にも結びついたとされる。たとえば、浴槽清掃用のブラシが、港湾用の“粘着除去”補助具と同じ毛質(当時は“白硬毛”と呼ばれた)が採用されたという記述があり、結果としてベタつきに似た触感が生じやすくなったとも述べられる。つまり、家庭へ来た科学が、家庭で問題を増幅したという皮肉が含まれている。
洗浄剤産業の“逆再付着”戦争[編集]
第二の大きな物語として、1950年代以降の洗浄剤産業における競争が挙げられる。ここではの内部資料が引かれ、ある企業が「一回の洗浄で油膜を完全除去する」ことをうたった結果、皮脂成分が微小分散し、逆に薄膜が“より粘る”ようになったと説明される。
その企業名はとして、当時の広告文書に由来するとされる。しかし文献によって“田中”の表記が揺れており、担当編集者が後年に誤植を直した可能性が指摘される[5]。なお、広告では「1分でサッパリ(ただし換気扇は必ず回す)」という注記があったとされ、換気が不十分な家庭でベタつきが増えた、とする回想も残っている。
社会への影響は、家庭内の清掃が“技術”として語られるようになった点にある。自治体が主催する住環境講習会の中で、浴槽の表面処理だけでなく、排水口の微小勾配まで取り上げられるようになり、の公衆衛生局(当時)が“ベタつき通報”を受ける窓口を試験導入したとされる。試験期間は「昭和」33年の冬季のみで、月あたり 412 件の相談が寄せられたと書かれているが、同時期の季節要因を無視しているとして後に批判も出た[6]。
計測と用語:ぬめり発生係数(BSF)[編集]
風呂のベタつきをめぐる研究が“感覚から設計へ”移った象徴が、BSF(Bath Stickiness Factor)とされる。BSFは、ベタつきの有無を顕微鏡画像ではなく、標準ガーゼの抵抗点数で決める疑似指標であると説明される。抵抗点数は、離した直後にガーゼが浴槽から戻るまでの秒数を用い、「0.8秒以下で合格、0.81秒以上で要再洗浄」といった閾値が運用された、とする記録が残る[7]。
ただし、閾値の根拠は“作業員の腕が慣れた感覚”であるともされ、統計学的な検定には不向きであったとされる。ここで、測定器具の材質が問題になる。報告ではステンレス円板の表面粗さが Ra = 0.06 µm とされるが、後に別の編集者が「Ra は 0.6 µm ではないか」と追記しており、読み物としては面白い一方で学術的な整合性は疑われる。
また、ベタつきの地域差を説明するために「逆再付着現象」という用語が導入された。これは洗浄によって一度取り除かれたはずの膜が、湯の温度低下とともに再凝集し、触感として再び“粘る”ようになる現象であるとされる。自治体のパンフレットでは“お湯が冷えるほど親密になる膜”と比喩され、住民の笑いを取ったとされるが、当時の住民会からは「そんな比喩は事故を呼ぶ」との意見も出た[8]。
批判と論争[編集]
の論争は、原因究明が“家庭の責任”へ収束しやすい点にあるとされる。ある時期には、ベタつきが発生した家庭が、清掃の回数不足と断定され、さらに洗浄剤の“グレードアップ”を迫られたという苦情が出たとされる。
また、BFS(別名で“浴槽粘着評価数”と呼ばれた版)が流通した時期には、同じ浴槽でも家族構成によって数値が変わるのに、測定の規格が一定であったため、結果が恣意的だという指摘がなされた。さらに、換気扇や窓の開閉がBSFに影響するため、測定室そのものを“風呂場”として固定しないと再現性が担保できない、とする反論もある。
とくに笑いどころとして、ある学会報告では「ベタつきは金属臭が増すほど軽減される」と述べられ、根拠として“新しい配管ほど親切”という作業員談が引用されたとされる。読者の間では、理屈よりも現場の気分が測定値を決めたのではないかという疑念が広がり、要出典の注意書きに近い扱いを受けたという[9]。ただし同時に、そうした曖昧さが現場の工夫を促した面もあり、「ベタつきは測れないから工夫する」という結論に着地したという語りが残る。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 鈴木康史『風呂場の触感工学:BSFの仮説と運用』サーモテック出版, 2012.
- ^ 田村礼次『住宅衛生と測定倫理』東京環境統計院, 2008.
- ^ Martha A. Thornton『Surface Residue Dynamics in Domestic Wet Areas』Journal of Applied Comfort, Vol. 19 No. 4, pp. 211-239, 2016.
- ^ 山根一志『洗浄剤競争史と“再び粘る膜”』清掃産業研究会, 第2巻第1号, pp. 45-70, 1999.
- ^ Klaus R. Wellen『Re-adsorption Effects of Soap Films: An Annotated Fiction』International Review of Bathroom Chemistry, Vol. 7 No. 2, pp. 1-18, 2003.
- ^ 【大阪市】公衆衛生局『住環境相談記録(冬季実験)』大阪市衛生資料, 昭和33年, pp. 3-26.
- ^ 田中精密化学『当社広告文書集:1分でサッパリ運用要件』営業史編集部, 1956.
- ^ 渡辺精一郎『港湾倉庫衛生の指標化:ベタ指数と作業員主観』横浜港運衛生叢書, pp. 88-113, 1931.
- ^ 伊藤麻由『ベタつき通報制度の社会史』生活科学史研究, 第5巻第3号, pp. 140-161, 2021.
- ^ 要田光『浴槽の表面粗さと官能評価のズレ』日本材料感触学会誌, Vol. 12 No. 1, pp. 77-102, 2014.
外部リンク
- BSF測定手順アーカイブ
- 住環境清掃・相談FAQ(風呂場編)
- 逆再付着研究所メモ
- 横浜港“ベタ指数”復刻展
- 配管勾配を語る会