高いビルに登ると9/11が頭によぎる現象
| 分類 | 都市環境連想型の認知現象 |
|---|---|
| 想起対象 | 関連イメージ(報道・記憶痕跡) |
| 誘因 | 高いビルへの移動・展望階到達・避難訓練中の視覚刺激 |
| 発症率(推計) | 都市居住者の約2.7%(回顧調査ベース) |
| 典型的持続 | 10秒〜3分程度(多くは反すう前に減衰するとされる) |
| 研究分野 | 認知心理学・災害記憶研究・建築環境心理学 |
| 初出年(学術的呼称) | 1998年とされる |
高いビルに登ると9/11が頭によぎる現象(たかいビルにのぼるときゅういちいちがあたまによぎるげんしょう)は、高所へ接近する状況で関連の映像連想が自動的に想起されるとされる心理現象である[1]。都市部での安全教育や報道接触の増加とともに、注意が向けられるようになったとされる[2]。
概要[編集]
高いビルに登ると9/11が頭によぎる現象は、高層建築の内部または屋上近傍にいるとき、本人の意図に反しての出来事に結びつく連想が頭部に「割り込む」ように出現する現象として説明されるものである[1]。
この現象は、恐怖症のような「特定の刺激に対する回避反応」とは別に扱われることが多く、むしろ安全確保のための注意喚起が過剰に一般化した結果として捉えられることがある[3]。たとえばでのガラス越しの景色、非常放送、エレベーターの停止時刻表示などが引き金になり得るとされる。
また、社会学的には「災害の象徴化」と結びつけて議論されることが多い。報道写真の構図(細い垂直線、煙の色調、空の無彩色など)が、建築の垂直性や避難導線の幾何と同期していると指摘される場合がある[4]。ただし因果関係については、専門家間でも慎重な見解が並ぶとされる。
成立と研究の歴史[編集]
「都市防災」現場が最初の観測場所とされた経緯[編集]
この現象の学術的な呼び名は、1998年にの防災教育プロジェクトに参加した小集団が報告した「高層への移動で、ある年の出来事だけが視界の縁に浮かぶ」という逸話に端を発するとされる[5]。当時は渋谷区の公共施設で避難訓練を実施しており、訓練後の自由記述が収集されていた。
記述の中で「頭によぎる」は比喩であると考えられたが、後年の再聞取では、実際に想起が「自動的・短時間・抵抗しにくい」形式で現れると答えた人が一定数いたとされる[6]。このため、当初は精神医学の診断名として導入されかけたが、本人の苦痛が必ずしも強くないケースが多く、最終的に認知現象として落ち着いたと説明される。
なお、訓練の細部がやけに参照される傾向がある。報告書に残った「放送の最初の7.2秒で、天井スピーカーからの反射音が強まる」という記録が、のちの研究者により「割り込みのタイミング」と結びつけられたとされる[7]。この解釈が妥当かどうかは別として、当時の記録は実務家の間で妙に説得力を持ったとされる。
「記憶痕跡の幾何学」仮説と、建築心理学への拡張[編集]
2000年代に入ると、の研究者が、想起の引き金を「出来事の内容」ではなく「視覚幾何」に求めるようになった。いわゆる仮説では、の直線的な視界、柱の反復、非常階段の縦方向誘導が、報道画像の縦要素と類似して知覚が自動連想を起こすとされる[8]。
この仮説を後押ししたのが、(当時の内部呼称では「神経記憶研究部」)の協力で実施された「縦線マスク課題」であるとされる。参加者は新宿区の模擬高層セットで、窓の外を見ない条件でも、エレベーター表示板の縦棒アイコンが点滅すると想起が増えたと報告したとされる[9]。
ただし、ここで奇妙に細かい数字が登場する。研究班のメモには「表示板の点滅周期が平均1.31秒のとき、想起の自己報告が最大化」したと書かれており、後年の論文では再現性が低いと注記された[10]。それでも、都市の建築素材(蛍光灯のちらつき、サインの縦書き)を「想起の周波数」に置換する考え方が広まり、関連用語が次々に生まれたとされる。
報道接触と安全教育のねじれが「普及」を作った[編集]
社会においてこの概念が“知られる言葉”になったのは、2010年代の防災キャンペーンであるとされる。たとえばの研修教材では、避難訓練の前に「災害想起が頭を横切ることは珍しくない」旨を説明するスライドが入れられ、その補足として本現象が言及されたとされる[11]。
一方で、言及されたことが逆に想起を呼び込む可能性も指摘された。これはと呼ばれ、説明を受けた参加者ほど「自分にも起きるのでは」と自己監視を強め、結果として報告が増えるという現象であるとされる[12]。
ただし、ここで反応が完全に一致するわけではない。職業によっても差が出たとされ、ビルメンテナンス従事者では「想起はあるが、恐怖は同程度ではない」との回答が多かったと記録されている[13]。この差が、単なるトラウマ反応ではなく、都市生活の認知学習として理解される余地を残したとされた。
特徴と見分け方[編集]
一般に、本現象は「高い場所に登る」だけでなく、に“アクセスできてしまう感覚”が条件になるとされる。具体的には、エレベーターの到達音、天井高の段差、風の通り道の変化などが連鎖することで、短時間の連想が起きやすいと説明される[14]。
症状の多くは、数秒で薄れ、意志で押し戻せることがあるとされる。一方で、避難訓練や非常放送が重なる場合は、反すうが始まりやすいとされる。報告例では「非常放送が鳴った後の30〜45秒で、胸の奥が締まるような感覚とともに映像が浮く」と記述されたものがある[15]。
また、引き金の言語的要素も挙げられることがある。たとえば館内アナウンスに含まれる「落ち着いて行動してください」という定型句が、過去の映像の音声断片と結びつくとする説があり、これはとして知られる[16]。ただしこの説には個人差が大きいとされ、同じ放送でも一部の人にだけ発生したという報告がある。
関連する概念・擬似現象[編集]
本現象に近いとされるものとして、まずがある。これは階段の「左→右」や「北→南」などの方向指示が、過去の地図映像と重なることで想起が生じるとされる[17]。実務者の間では「案内サインの矢印の角度」が鍵だと語られることがあり、角度測定のためにプロトラクターを携行する人までいたとされる。
次にが挙げられる。窓際の注意喚起プレートや、非常階段の番号札が、ある人物の輪郭や煙の形状の“ようなもの”に見えるという報告がある[18]。ただし視覚の錯誤として片付けられる場合もあり、研究班の解釈は割れるとされる。
また、意図的に関連を避けようとしても想起が強まる、という逆説もある。これをと呼び、心理学では皮肉な現象として位置づけられることがある[19]。このため、現象の当事者が「考えないでいよう」と思った直後に起こると述べるケースが一定数見られる。
社会的影響と実務への導入[編集]
この現象が社会に与えた影響としては、まずのトーンが変化したことが挙げられる。従来は「怖くなるのは異常」といった暗黙の前提が置かれることがあったが、本現象の説明が広まってからは「自然な認知の横滑り」として扱われる方向に寄ったとされる[20]。
さらに、企業側ではオフィスビルの運用に微調整が入ったとされる。たとえばの再開発ビルでは、避難訓練の放送タイミングを「昼休み直前(12:59)から2分後(13:01)」にずらし、想起報告の増減を記録する試みがあったとされる[21]。ただし、効果が明確だったかは議論があるとされる。
一方で、過度な説明による「自己監視」の増大も問題になった。教育担当者が“症例”を示すほど、受講者は自分の頭を頻繁に点検し、結果として不安が増すことがあると指摘された[22]。このため、後年の教材では本現象への言及は短縮され、「呼び込まない」説明設計が推奨されるようになったとされる。
批判と論争[編集]
批判としては、まず「という固有の出来事を切り口にすることで、連想の偏りが固定される」という点が挙げられている。つまり、説明のたびに想起対象が特定され、他の災害記憶が相対的に目立たなくなる可能性があるとする指摘である[23]。
また、臨床心理の側からは、診断と混同され得ることが懸念された。うつ病やパニック障害とは区別されるべきだが、一般向けには“トラウマっぽい何か”として誤解されやすいとされる[24]。このため、一部の研究者は「現象の名称を変えるべきだ」と提案したとされるが、一般普及の勢いが強く、変更提案は採用されなかったとする記録がある[25]。
さらに、最も笑えない論争として、研究の再現性が低いという問題もある。前述の「1.31秒で最大化」仮説は、別施設では再現せず、メモの一部が聞き書きである可能性が指摘された[26]。ただし、聞き書きであっても現場の体感が一致していたという意見もあり、結論は固定されていないとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山根礼二『高層空間における非意図的想起:都市連想の実測』文京書房, 2001.
- ^ Margaret A. Thornton『Automatic Memory Intrusions in Metropolitan Settings』Cambridge University Press, 2004.
- ^ 木村真澄『避難訓練教材の言語設計と反すうの変化』日本防災教育学会誌, 2012.
- ^ 佐伯篤史『記憶痕跡の幾何学:縦線刺激と連想の結び目』建築心理研究, 2007.
- ^ 慶應義塾大学防災教育プロジェクト『渋谷区公共施設避難訓練の自由記述分析(内部報告書)』慶應義塾大学, 1998.
- ^ International Journal of Urban Cognition『Elevator Stops as Cognitive Triggers』Vol. 12 No. 3, 2016.(タイトルに基づく推定)
- ^ 国立精神・神経医療研究センター『神経記憶研究部報告:縦線マスク課題の一次解析』第4巻第2号, 2009.
- ^ 小倉亮太『注意循環モデルと自己監視の増幅:防災研修での観察』安全行動研究, pp. 81-97, 2015.
- ^ 東京消防庁『研修スライド集:災害想起への対処指針(改訂第3版)』東京消防庁, 2013.
- ^ 林由紀『高層施設の運用と想起報告の統計:昼休み時間帯の比較』都市施設運営レビュー, Vol. 8 No. 1, 2018.
外部リンク
- 都市連想メモリアル・ラボ
- 建築環境心理学アーカイブ
- 防災教育教材データバンク
- 心理測定ジャーナル(アーカイブ)
- 避難訓練運用研究フォーラム