鳥屋栞
| 分類 | 民俗技法・記録体系 |
|---|---|
| 主対象 | 鳥の観察メモ、書籍の余白記録 |
| 成立時期 | 明治後期〜大正期にかけて体系化されたとされる |
| 中心地域 | を軸に周辺へ波及したとされる |
| 関連分野 | 、、フィールドノート学 |
| 鍵となる要素 | 「栞(しおり)」形の追記片と索引運用 |
| 特徴 | 観察日と書誌情報を同一の書式で管理する点にある |
| 今日の位置づけ | 研究者間では半ば伝承的概念として扱われる |
鳥屋栞(とりや しおり)は、で一部に伝わるとされる「鳥屋(とりや)」と名乗った人物・実践の系譜を指す呼称である。字面は個人名のようにも見えるが、実際にはや界隈での技法名として扱われることが多い[1]。
概要[編集]
鳥屋栞は、鳥の鳴き声や飛来状況を記録する「現場ノート」に、読書記録用の索引(栞)を接合し、観察から書誌へと読み替える仕組みとして説明されることが多い。形式だけを追うと単なる手帳術にも見えるが、運用の細部において「誰が・どの紙を・どの順番でめくったか」が記号化される点が特色とされる。
呼称の由来は、文字どおり「鳥屋」と「栞」の二語を並列させたところにあるとされる。ただし鳥屋は特定の職業名に限定されず、期の役人が持ち場の異なる鳥見を“鳥屋”として内規化したという伝承がある。栞は当初、読書のための紙片ではなく「追記の許可証」として配られていたという説が広く引用されており、ここに鳥屋栞の一見正しいが妙にズレた起点がある[1]。
鳥屋栞はまた、図書館側の資料整理にも波及したとされる。たとえば(現存名は史料集により揺れる)では、1957年当時、利用者の持ち込みノートを“観察資料”として受付に回す取り扱いが行われたとする記述が残っている。もっとも、この記述は後年の編集者が「鳥屋栞」という語を後付けで補って作った可能性も指摘されている[2]。
成立と歴史[編集]
前史:鳥見の“許可”と紙片の制度化[編集]
鳥屋栞の前史として、周辺の鳥見小屋における“追記許可”が語られる。ある地方文書では、夜間の観察メモは本来その日のうちに封緘し、翌朝に「栞掛け役」へ提出しなければならないとされていた。提出時には栞(紙片)を「一目で折りの回数が数えられる」方法で作らなければならず、折りは“七折(ななおり)”と定められていたという[3]。
この七折の規格は、のちに“書誌番号の桁数”と同期したとされる。具体的には観察票の欄にある日付を、当時の役所が運用していた書誌番号(仮)と同じ桁数(5桁)へ変換して記す運用が採られた、と説明される。ここで奇妙なのは、鳥見が本来暦の関与を嫌ったとする常識と矛盾している点である。けれども矛盾があるからこそ、編集者の間では“鳥屋栞らしさ”として語り継がれている[4]。
なお、七折の栞を紛失した場合は「鳴き声の記録が無効」とされ、無効分は裏紙に回される“沈黙処理”があったとされる。沈黙処理は、筆者の筆圧で紙が透けることを逆利用した“判読工学”にも触れており、鳥屋栞が単なる記録術ではなく工学的な運用へ発展したことを示す材料とされている[5]。
体系化:明治末期の“索引鳥”計画[編集]
鳥屋栞が一つの技法として「鳥屋」と名乗る複数の実践者により体系化されたのは、末期から期の“索引鳥”計画に起因するとされる。この計画は、鳥の飛来記録を県立図書館の所蔵目録へ接続し、地域の自然史を貸出統計と同期させようとしたものであった。
推進者として知られるのが、金沢で教育事業を行っていたとされる渡辺精一郎(-)と、その補佐役である清原モト(戸籍上の本名は不明とされる)である。渡辺は「鳥の移動は読書の回遊に似る」と述べ、鳥屋栞を“移動索引装置”として普及させたと記されている[6]。一方、清原モトは、栞をつける位置を固定化し、挟み込む向きを“北東の角だけが欠けている”紙片の癖に合わせた、という細部にまでこだわったとされる[7]。
また、索引鳥計画の運用にはやけに具体的な数値が残っている。すなわち、月ごとの観察票は「31束」を目標に作り、図書館ではその31束から毎週“3束”だけを利用者へ回覧したとする。ところが翌年、記録が突然“30束”へ減っており、当時の新聞に「館内の湿度が上がったため」とある。湿度の数値は“相対湿度72%”とされるが、当時の観測機器が一致しないため、後の編集者による調整が混ざった可能性もある[8]。ただし鳥屋栞の物語としては、減った数字を理由づけする滑らかさが評価されたとされる。
戦後の変容:貸出制度と“鳥屋ログ”の分岐[編集]
戦後、鳥屋栞は自然史の記録術として残った一方で、図書館の貸出制度の変化に応じて二系統へ分岐したとされる。分岐の名として「鳥屋ログ」と「栞式索引」が挙げられることがある。前者は利用者の返却日と観察日を同一封筒で管理する方式、後者は栞の位置(上端・下端・背の角)で分類する方式であった。
このうち栞式索引は、の一部の司書が導入したとされるが、導入の経緯は奇妙である。『司書術と余白裁定』によれば、大阪では“返却の遅延”を罰するため、遅延者の本だけに栞の折り目が増える仕組みが採られたという[9]。読書者の心理に直接作用する手法であり、鳥屋栞の社会的影響が「自然観察」から「管理と監督」へ移動したことを示す事例とされている。
このような変容は批判の対象にもなった。もっとも批判は“鳥を題材にした制度管理”への反発というより、紙片に宿るはずの“許可”が、いつの間にか“罰の記号”へ転用されたことへの戸惑いだったとされる。編集者はこの点を、鳥屋栞が本来の意味を失いつつ、名前だけが残る典型例としてまとめた[2]。
技法・運用の実態[編集]
鳥屋栞は、観察メモと読書記録を「同じ索引語」で結びつける点にあると説明される。具体的には、観察票の見出し語に書誌番号(ないしは図書館の分類記号)を置き、鳥の特徴語をその下位語として並べる。すると利用者は、鳥の種類から図書へ辿るのではなく、図書の分類から鳥の飛来へ“逆に読み返す”ことが可能になるという[10]。
現場で用いられた道具として「栞留め(しおりどめ)」が挙げられることがある。栞留めは単なるクリップではなく、紙片の挟み幅を固定するための薄い金具であるとされ、幅は“3.2ミリ”が標準とされた。標準が細すぎるため、当時の工房図面が現存しないことと合わせて疑義も呈されている。しかし鳥屋栞の支持者は、この3.2ミリが“鳥の羽根の角度誤差”を減らす経験則から出たと主張する[11]。
さらに、記録の順番にも規則があったとされる。最初に置くのは「鳴き声の数」、次に「飛来までの秒数(10秒単位で丸め)」、最後に「本の頁数」。この頁数は2の累乗に近い数字で揃えると良いとされるが、その理由は「余白の呼吸が揃うから」と表現され、科学的裏付けが不足する。けれども鳥屋栞の記事を書いた編集者は、その不足を“文学のような運用”として残している[12]。
社会的影響と文化的受容[編集]
鳥屋栞は、自然観察を学ぶ人々のあいだで「記録の責任」を分かりやすくしたとされる。たとえば鳥屋栞を実践した地域では、観察の年表を作るだけでなく、図書館の貸出記録から“見ていた本”が追跡できるようになったという。ここから、学びが個人の趣味から共同のカレンダーへ移ったという評価が出る。
一方で、図書館職員の側では“利用者の生活リズム”が見えるようになったことが問題化した。特に返却期限の管理が強化された時期には、鳥屋栞をしている利用者ほど、観察日と返却日が一致してしまう傾向が指摘された。ある内部資料では、返却遅延が起きた週の鳥の飛来は「平均して2種だけ増える」と述べられているが、統計の母数が不明であり、後から誰かが物語の筋に合わせて数字を整えた可能性がある[13]。
それでも鳥屋栞は、地域のイベントにも利用された。たとえばのある読書会では、参加者に“鳥の図鑑を開いたページ”に栞を挟ませ、そこから次回の観察コースを決める企画が行われたとされる。企画名は「栞と渡りの交点」で、開催日がと記録されているが、出典の形が不自然である。にもかかわらず、コミュニティはその年を「鳥屋栞が再発見された年」として扱い、記念冊子まで作ったとされる[14]。
批判と論争[編集]
鳥屋栞は、情報の接続が強すぎるために監視的に見えるという批判がある。特に「栞の折り目が罰を意味する」という戦後大阪の逸話は、図書館の倫理に反するとする議論を呼んだとされる。もっともこの逸話自体は、後年の編纂物にのみ現れ、一次資料の裏取りが難しいとされる点に、曖昧さが残っている[9]。
また、起源を巡る論争もある。鳥屋栞が金沢の鳥見文化に根差すとする説のほか、もともとは江戸の紙問屋が“返品管理”のために考案した余白規格が鳥見に転用された、という反対説もある。反対説では、栞留めの幅3.2ミリが、紙問屋の棚の規格に一致することが根拠とされるが、棚規格の記載は同時代史料ではなく、聞き書き集に限られている[11]。
さらに近年は「鳥屋栞は実在の技法というより、後世の編集者が作った統合語ではないか」という見方がある。この見方では、複数の地域実践がばらばらに存在し、ある人物が“鳥屋栞”という単語でまとめ直したことで歴史が整えられたとする。実際、鳥屋栞という語が活字で現れるまでに、約40年の空白があると指摘されているが、その数もまた“語りの都合のよい丸め”ではないかとされている[2]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『索引鳥と地方図書館』金沢出版局, 1912.
- ^ 清原モト『栞留めの微差:3.2ミリの理由』北陸文庫, 1920.
- ^ 田中実樹『鳥屋栞の実務書式』第3巻第2号, 図書館実務研究会誌, 1934.
- ^ 山口啓三『七折栞の封緘制度』『日本民俗技法年報』Vol.12, pp.41-63, 1938.
- ^ 森川貞雄『湿度72%と消える観察票』紙と記録の研究, pp.88-103, 1959.
- ^ Margaret A. Thornton『Indexing the Living: Folk Taxonomies in Post-Restoration Japan』Vol.7, pp.201-230, University of Norbridge Press, 1987.
- ^ Akira Sakamoto『Book Circulation as Ecological Memory』Journal of Field Librarianship, Vol.5 No.1, pp.17-29, 1996.
- ^ 石田玲子『余白裁定の社会史』図書館倫理学叢書, 第2巻, pp.121-140, 2001.
- ^ 『司書術と余白裁定』大阪館運営研究会, 1950.
- ^ 中村光一『栞と渡りの交点:読書会記念冊子の検証』北陸地域資料研究, pp.5-26, 2005.
外部リンク
- 北陸フィールドノート倉庫
- 余白規格アーカイブ
- 索引鳥プロジェクト
- 図書館実務研究会オンライン資料室
- 民俗技法資料データベース