鳴り止み式
| 別名 | 停止音礼、終鈴法 |
|---|---|
| 起源 | 明治34年頃の東京市下町 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、三浦カズミ |
| 目的 | 音響の終息、騒音の収束、空間の静定 |
| 主な実施場所 | 寺院、鉄道停留場、学校、劇場 |
| 関連機関 | 帝都音静協会、内務省衛生局音響班 |
| 代表的文書 | 『鳴り止み式作法集』 |
| 儀礼周期 | 日次、月次、臨時 |
| 禁止事項 | 拍手の途中停止、鐘の逆鳴らし |
鳴り止み式(なりやみしき)は、継続音を意図的に終息させるための儀礼および技法の総称である。末期のにおいて、路面電車の警鈴と寺院の読経が同時化したことを起源とするとされる[1]。
概要[編集]
鳴り止み式は、一定時間続いた音や振動を、定められた所作によって「終わったこと」にするための民間儀礼である。一般にはのいずれかを対象とし、音の物理的停止よりも、聞き手の認知を先に終息させる点に特徴があるとされる。
この方式は、心の旧市街で発達したとされるが、後年にはの寄席、の寺院、さらにはの学校行事へも広がった。なお、警察や鉄道会社が一部で採用していたという記録がある一方で、同時代資料の多くが妙に曖昧であり、研究者の間では「実務と迷信の中間に位置する制度」と評されている[2]。
定義[編集]
鳴り止み式の定義は文献ごとに揺れがあるが、概ね「音を止めるのではなく、止まったことにするための合図群」と整理される。現代の音響学では説明困難な要素も多く、特に第七拍の沈黙を重視する派と、最終拍の前に小さく咳払いを入れる派とで対立している。
名称の由来[編集]
名称は、東京・のとある寺院で行われた「鳴りを止める式」が転じたものとされるが、別説ではの鐘楼修繕工が使っていた作業日誌の表現に由来するという。いずれにせよ、名称が先に定着し、実体が後から追いついた稀な例である。
歴史[編集]
成立期[編集]
成立期はからごろとみられている。都電の警鈴が深夜まで鳴り続けた周辺で、僧侶の渡辺精一郎が「止音札」を用いて騒音を鎮めた記録がある。これが成功例として語られ、後に三浦カズミが儀礼手順を整理して『鳴り止み式作法集』初版をに刊行したとされる[3]。
制度化[編集]
期にはの外郭団体である帝都音静協会が関与し、駅、学校、病院における標準手順が整えられた。特にの「第3回静音講習会」では、参加者286名のうち241名が「鳴り止み式のほうが消音栓より安心する」と回答したという、真偽不明の調査結果が残っている[4]。
拡大と変質[編集]
初期になると、式は実用技術から半ば興行化し、劇場の終演、工場の退勤、さらには雨乞いの終了宣言にまで使われた。とりわけの港湾地区では、汽笛の鳴り止みをめぐって港務局と漁協が共同儀礼を行い、3分17秒間だけ港全体が異様な静寂に包まれたと伝えられる。
衰退[編集]
以降は電気式サイレンや自動アナウンスの普及により、鳴り止み式は徐々に日常から姿を消した。ただしの期間中には、宿泊施設の廊下で起床ラッパの代替として臨時採用され、外国人選手団の一部が「日本の朝は沈黙から始まる」と記したことが知られている。
作法[編集]
鳴り止み式は、対象となる音の種類によって作法が異なる。鐘に対しては、左手で耳を押さえつつ右手で空を三度切る「切音」、汽笛に対しては、紙片を丸めて息を吹き込みながら黙礼する「紙息」、拍手に対しては、最後の一拍だけを自分の胸の内で鳴らす「内拍」が用いられたとされる。
また、式の成否は「静音度」ではなく「余韻の納得度」で判定され、地域によっては近隣の犬が吠えなくなるまでを成功条件に含める場合もあった。東京都内の一部寺院では、式の後に1分45秒の無言茶会を行う慣行があり、これが来客の緊張緩和に効果的であったとされる[5]。
標準手順[編集]
標準手順は、①対象音の確認、②終息宣言、③所作三回、④沈黙維持、⑤「止みました」の復唱、の五段階である。なお第五段階で声が裏返ると失敗とされ、その場合は最初からやり直すのが通例である。
地域差[編集]
関東では手の動作を重視し、関西では掛け声の抑揚を重視する傾向がある。では雪の吸音性を利用して簡略化され、では三線の最後の一弦を残して終える「余音式」が併用された。これらの差異は、民俗学上しばしば議論の対象となっている。
社会的影響[編集]
鳴り止み式は、単なる消音技法にとどまらず、日本近代の集団秩序を可視化する仕組みとして機能したとされる。学校の終礼、工場の終業、寺社の法要などで「いつ終わるか」を共有することが、当時の都市生活に必要だったのである。
一方で、音の終わりを儀礼化したことにより、しばしば過剰な形式主義を生んだとの批判もある。のでは、町内会がラジオのノイズ停止にまで鳴り止み式を適用し、住民の多くが「静かすぎて逆に疲れる」と訴えた記録が残る。さらに、式の継承者が減少した以降は、逆に都市伝説化が進み、現在では一部の吹奏楽部や鉄道ファンの間で半ば趣味的に再現されている。
教育への導入[編集]
の関東大震災後、仮設校舎での授業再開に際して、子どもたちの騒音を一斉に収める目的で使われたという。実際には教師の指導よりも、児童代表が持つ木製の拍子木のほうが効果が高かったとも言われる。
宗教儀礼との関係[編集]
寺院では、読経終了後の「余韻の切り方」として重視され、鐘撞きよりも鳴り止み式の司式者が尊重される場合があった。なお、あるの古刹では、式の失敗が続いた年に本堂の軒先から風鈴を全部外したところ、参拝者が倍増したとの逸話がある。
批判と論争[編集]
鳴り止み式は、近代化の過程でしばしば「科学の衣を着た気休め」と批判された。とくににの音響研究室が発表した報告書では、式そのものが音を減衰させる効果は限定的であり、むしろ参加者の姿勢を揃える社会技術に近いと指摘されている[6]。
これに対して擁護派は、鳴り止み式の本質は音波の消失ではなく、共同体が「もう鳴らなくてよい」と合意する瞬間にあると主張した。ただし、式の最中に子どもが咳をしただけでやり直しになる運用は厳しすぎるとして、ので「人間の自然音をどう扱うか」をめぐる大きな論争が起きたことが知られている。
学術的批判[編集]
戦後の研究者の中には、鳴り止み式を都市民俗の一種にすぎないとみなす立場が多い。もっとも、の寒冷地で実施された場合のみ成功率が高いという調査もあり、要出典とされながらも繰り返し引用されている。
宗派間対立[編集]
終鈴派は最後の鐘を重要視するのに対し、無音派は鐘が鳴る前の沈黙こそ本体であるとする。この対立は、のちに「鳴り止み式第2次解釈問題」と呼ばれ、の研究会で議論が紛糾した。
現代における継承[編集]
現代では、鳴り止み式は主に保存会、郷土史研究会、鉄道模型愛好家の手で継承されている。の一部イベントでは、ミニチュア踏切の警報音を止めるためにわざわざ「終音奉告」が行われ、来場者が拍手をする前に全員で一礼するのが慣例となっている。
また、近年はデジタルサウンドの終了演出に応用する試みもあり、動画配信の終わりに「鳴り止みボタン」を挿入するサービスが登場した。もっとも、実際には単なるフェードアウト機能であるにもかかわらず、説明文に「古式に基づく」と書かれているため、利用者からは妙に信頼されている[7]。
保存活動[編集]
にはの寺院で「第1回全国鳴り止み式大会」が開催され、28団体が参加した。優勝はの民俗研究会で、鐘の余韻を2秒短く見積もる精密さが評価された。
商業利用[編集]
一部の和菓子店では、閉店時に鳴り止み式の所作を取り入れ、客に「本日分はこれで終わりである」と納得させる演出を行っている。売上との相関は不明だが、店主の話ではクレームが17%減ったという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『鳴り止み式作法集』帝都音静協会出版部, 1908年.
- ^ 三浦カズミ『終わりの音学: 近代都市における鳴り止み』明和書房, 1921年.
- ^ 帝国大学音響研究室『鳴り止み式の減衰効果に関する実験報告』『都市衛生学雑誌』Vol.14, No.2, 1931, pp. 41-68.
- ^ 小沢恭平『拍手の終端と共同体感覚』青楓館, 1934年.
- ^ 石田よし江『寺院儀礼における静寂の制度化』『民俗と生活』第8巻第4号, 1952年, pp. 9-27.
- ^ Margaret A. Thornton, The Politics of Silence in East Asian Urban Rituals, Cambridge Meridian Press, 1967.
- ^ 林田寿一『鳴り止み式と戦後学校教育』『教育行動研究』第22巻第1号, 1973年, pp. 113-139.
- ^ Jean-Paul Mercier, The End of the Bell: Notes on Nariyami Practices, Presses de l'Institut Acoustique, 1981.
- ^ 佐伯みどり『無音派の成立と分裂』東京民俗叢書, 1995年.
- ^ 高橋善三『鳴り止み式再考: フェードアウト以前の日本』『文化音響評論』第7巻第3号, 2009年, pp. 77-96.
外部リンク
- 帝都音静協会アーカイブ
- 全国鳴り止み式保存会
- 都市儀礼データベース
- 静音民俗研究所
- 余韻管理学会