黒部得善
| 別名 | 得善(とくぜん)、黒部式調整師 |
|---|---|
| 活動地域 | 氷見〜沿岸の用水網 |
| 分野 | 土木民俗学、灌漑音響学(とされる) |
| 時代 | 明治末期〜大正初期 |
| 関連組織 | 灌漑部(設立文書に類似記載) |
| 代表的実践 | 得善式「溜り声」測定 |
黒部得善(くろべ とくぜん)は、の北陸沿岸を舞台に活動したとされる、〈灌漑詠唱〉の研究家である。彼の名は、明治末期から大正初期にかけて広まった土木民俗の「得善式」調整法と結び付けて語られている[1]。
概要[編集]
は、実在の人物として言及される場合もあるが、むしろ「地域の記憶に残る技法名」として説明されることが多い。
その特徴は、河川・用水路の調整を、物理量だけでなく人が口にするリズム(詠唱)によって“最終微調整”するという点にあり、得善式は用水組合の帳簿や口承の双方に散見されるとされる[2]。
一方で、資料の保存状況や筆致の揺れから、得善という名が複数人の合成像である可能性も指摘されている。
成立と技法の成り立ち[編集]
「灌漑詠唱」への転回[編集]
得善式が生まれた経緯は、の信濃川筋で行われていた「水口替えの掛け声」が、北陸の豪雨復旧期に移植されたことに求められる説がある。とくに、流域の復興工事で余った測量用の板材が打音検査に転用され、そこへ“唄うように一定間隔で叩く”作法が合体したという物語が伝えられている[3]。
この過程で得善は、音の高低を絶対値ではなく、隣家の子どもが返す反響のタイミングとして扱うよう指導したとされる。なお「反響は八拍遅れで十分」というルールが口伝化し、実測では遅れが毎回 7〜9拍に揺れるにもかかわらず、なぜか会議がそのまま進んだという[要出典]。
得善式「溜り声」測定の仕組み[編集]
得善式では、堰の水位を直接測らず、「溜り声」(水が満ちる直前の共鳴)を合図にして調整する。具体的には、取水口の下流に小さな木樋を追加し、そこへ一定の水量(当時の帳面では「寸勺で三勺半」と記される)を流すことで音を固定する手順が取られたとされる[4]。
その結果、反響が“薄く聞こえる帯”に入ったら、弁板を 2厘だけ戻す。これを「二厘戻し、十呼吸待ち」として標準化したのが黒部得善だと語られる。ただし、現存する草稿の一部には「十一呼吸」と書かれた頁もあり、編集者による改稿の可能性があるとされる。
社会への影響と流通[編集]
得善式は、の灌漑部を通じて講習会に組み込まれ、用水組合の会計担当者までが“音”を監査する役割を担ったとされる。実際、会議録には「今月は反響監査が3回できたので、延滞利息を半分免じた」という妙に実務的な記述が残ると伝えられている[5]。
また、工事の進捗が遅れた年には、得善式が単なる技法ではなく“士気調整装置”として扱われた。つまり、現場が荒れるときほど詠唱が増え、逆に穏やかな工区では声が減る、という奇妙な相関が「経験則」として採用されたとされる。この相関が統計として整理されたという噂があり、ある内務官僚が「相関係数は算出不要、声が落ちたら即修繕」と書き残したとされる[6]。
さらに、周辺の商家では“水口替えの日”に無料の井戸水提供を行う習慣が広がり、黒部得善の名が一種の地域ブランドとして機能した。宣伝文句は「二厘戻しの家は、米が倒れない」といった縁起物に寄り、民俗と実務が絡み合っていったとされる。
批判と論争[編集]
一方で、得善式は科学的根拠が薄いとして批判され、特にの土木系研究者を中心に「反響は偶然であり、調整を誤らせる」との指摘があったとされる[7]。
当時の新聞(地域紙の縮刷とされるもの)には、得善式を真似た村で堰の調整が翌日になって逆戻りし、結果として田が一週間ほど“水無き沼”になったという報告が掲載されたとされる。ただし、その記事の末尾だけが妙に広告めいた文言で終わっており、編集方針の介入が疑われている[8]。
また、得善が何者かも曖昧で、北陸各地で「黒部得善に似た調整師」たちが現れたことから、オリジナルの手順がいつの間にか分岐したという説もある。こうして、得善式は“正しい継承”と“勝手なアレンジ”が同居する形で存続していったとされる。
参考にされる一次資料(架空)と伝承の揺れ[編集]
黒部得善に関する資料として最も頻繁に引用されるのは、の郷土文書館に保管されているという「得善式灌漑詠唱記」であるとされる。しかし同書は、目次のページが1枚だけ欠けているうえ、頁番号が途中から“七”を飛ばす(6の次が8)という変則があると指摘される[9]。
そのため、専門家の間では「音の手順が本体で、数字は演出に過ぎない」と考える立場もある。ただし一方で、弁板の移動量が「2厘」「2.1厘」「2厘+墨筋一条」と表記ゆれしていることから、伝承者の癖や工具差を反映している可能性が高いともされる[10]。
なお、得善式の“十二拍で潮目に合う”という有名な言い回しは、実測では 11〜13拍で揺れたという報告がある。にもかかわらず、その揺れが“法則の証拠”として語り直され、かえって権威を強めたという逸話も存在する。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯正鵬『北陸用水の口承史:水口替えの掛け声と調整文化』北陸書房, 1932.
- ^ Margaret A. Thornton『Acoustic Practices in Rural Engineering』Oxford Historical Press, 1978.
- ^ 内藤景峰『灌漑音響学の前史』【東京帝国大学】出版部, 1919.
- ^ 斎藤珠里『得善式“溜り声”の数理化と帳簿監査』農業技術史研究会, 1961.
- ^ Kazuhiro Nakazawa『Rhythm as Measurement: Folk Chronometry in Irrigation』Journal of Water Folk Science, Vol. 12, No. 3, pp. 41-66, 2004.
- ^ 田中祐輔『堰の二厘戻し:調整言語と現場意思決定』河北文庫, 1987.
- ^ 山本貞治『地域科学と編集の癖:郷土資料の頁飛び問題』富山学芸紀要, 第9巻第2号, pp. 101-129, 1955.
- ^ 勝沼春彦『灌漑詠唱記(解題)』文献継承社, 1943.
- ^ 編集局『得善式灌漑詠唱記:復刻版』北陸郷土資料刊行会, 2010.
- ^ Peter W. Hargrove『Measuring Without Instruments: Myth and Procedure in Early Works』Cambridge Field Studies, Vol. 3, pp. 12-29, 1992.
外部リンク
- 黒部得善研究アーカイブ
- 北陸用水口承データベース
- 灌漑詠唱の音源集(民俗採譜)
- 得善式復元プロジェクト
- 郷土文書館デジタル閲覧