鼻くそ
| 分類 | 鼻腔生成物、都市衛生材料 |
|---|---|
| 主成分 | 乾燥粘液、皮脂、微粒子 |
| 別名 | 鼻塊、キャスト・オブ・ノーズ |
| 起源 | 19世紀末の東京鼻腔衛生運動 |
| 標準化機関 | 日本鼻腔衛生協会 |
| 初の体系的研究 | 1907年 |
| 主な用途 | 採取観察、民俗療法、児童教育 |
| 関連分野 | 耳鼻咽喉科学、衛生史、都市民俗学 |
鼻くそ(はなくそ、英: Nose Cast)は、鼻腔内で生成された粘液と塵埃が乾燥・凝集して生じる微細な塊である。近代以降はの衛生学者らによって、その形状と採取法が標準化され、都市生活における「個人衛生の余剰物」として研究対象となった[1]。
概要[編集]
鼻くそは、鼻腔内の分泌物が乾燥し、外気中のや花粉を巻き込みながら固化したものであると説明されることが多い。ただし、都市衛生学の文脈では単なる排出物ではなく、後期に「呼吸環境の記録媒体」とみなされた経緯があり、ここに本項目の独自性がある。
一般には不快物として扱われるが、の内部資料では、鼻くその硬度・色調・崩れ方の差異が、居住地域の換気条件や職業環境を推定する手がかりになるとされた。なお、この学説はの『鼻腔残渣観察要項』において初めて整理されたとされる[2]。
歴史[編集]
前史[編集]
鼻くその歴史は、末期の町医者・が、紙縒りに付着した鼻腔乾燥物を「季節の湿度変化を示す微標本」と記したことに始まるとされる。久保田はの長屋で、冬季の鼻腔分泌物が夏季よりも硬質化することを観察し、これを「気流の詰まり」と呼んだが、当時は学界でほとんど顧みられなかった。
一方で、の外国人居留地では、英国人衛生官が鼻腔内残留物を「dust nodules」と記述しており、これが後の英日対訳表の基礎になったとする説が有力である。ただし、Malloryの手帳はで焼失したため、詳細は断片的にしか知られていない[3]。
標準化と学術化[編集]
、の臨時講師であったは、鼻くその形状を円盤型・綿毛型・砂礫型の3類型に整理し、採取に用いる木製ピンセットの長さを「31ミリから34ミリの範囲」と定めた。これにより、鼻くそは初めて比較可能な試料として扱われるようになった。
同時期、は、児童に対して「鼻腔をほじることは恥ではないが、記録を残さないのは怠慢である」とする教育方針を採択した。この方針はの一部担当官に好意的に受け止められ、には東京市内23校で試験的な観察日誌が導入されたという[4]。
大衆化と民俗化[編集]
戦後になると、鼻くそは学術研究の対象から徐々に民俗文化へと移行した。30年代の周辺では、乾燥した鼻くそを虫眼鏡で観察する「鼻影見」が子どもの遊びとして流行し、夏休みの自由研究の題材にもなった。特にの『家庭の衛生と小さな標本』がベストセラーとなり、鼻くその採取を「最も安価な実地教育」と評したことが知られている。
また、の一部町工場では、作業員が粉塵に長時間さらされた日の終業後、鼻くその色が灰白から黒褐色へ変化することを相互確認する慣習があった。労務管理の簡便な指標として利用されたとされるが、実際には上司の前で見せると叱責されたため、半ば内輪の儀礼に近かった。
分類[編集]
鼻くそは、主に乾燥度・粒径・混入物の三要素によって分類される。とくには、1952年版の便覧で「湿潤残留型」「粉化進行型」「外気侵入型」の3系統を提示し、家庭ごとの換気事情まで記録するよう求めた。
もっとも、研究者のあいだでは、採取直後に崩れやすいものを独立種とみなすべきかをめぐって長く争われた。の民俗学者は、鼻くそを「生体の外に出た記憶の最小単位」と呼んだが、これは詩的すぎるとして衛生学者側から批判されている[5]。
採取法と器具[編集]
標準採取法として最も知られるのは、にの器具商が発売した「鼻腔観察棒」である。先端がわずかに湾曲し、試料を壊さずに引き出すことができると宣伝されたが、実際には多くの使用者が誤って机の引き出しにしまい、文房具として流用した記録が残る。
また、にはガラス製の収納管がの学校保健室で普及し、児童の観察ノートと一体運用された。管の内径は8ミリ前後が標準とされたが、の一部学校では9.5ミリを採用し、これが「横浜規格」として半ば伝説化している[6]。
社会的影響[編集]
鼻くその概念は、衛生観念の普及だけでなく、都市の空気質に対する市民意識の形成にも影響を与えた。環境局の前身にあたる部署では、冬季の校舎清掃後に採取された鼻くその灰色度を参考値として扱い、暖房換気の改善に役立てたとされる。
一方で、鼻くそを「健康の可視化装置」とみなす考え方は、しばしば過剰な自己診断を生んだ。にはの健康番組が、鼻くその色だけで栄養状態を断定する視聴者投稿を大量に受け、放送倫理委員会から注意を受けたという逸話がある。なお、この件は公式記録に残っていないため、要出典とされることが多い。
批判と論争[編集]
鼻くその学術化に対しては、当初から強い批判があった。とりわけのは、「鼻腔残渣の体系化は、清潔の名を借りた過剰分類である」として、1929年に『衛生の越権と鼻腔』を発表し、協会内で激しい論争を招いた。
また、子ども向け観察教育についても、採取行為を奨励しすぎるのではないかという懸念が示された。これに対し協会側は「適度な関与は鼻腔の自律性を知る第一歩である」と反論したが、この文言がそのままポスターに印刷され、保護者会で笑いが起きたという[7]。
文化的受容[編集]
鼻くそは、下品さの象徴である一方、しばしば児童文学や漫画における笑いの装置として用いられた。の学習雑誌では、鼻くそを「身体が外界を覚えている証拠」と説明する挿絵が掲載され、教育的でありながら妙に生々しいとして知られる。
さらにでは、冬の乾燥期に鼻くその硬さを占う年中行事が一部で残り、硬いほど翌春の花粉が強いとされた。民俗学者はこれを「家庭内気象台の残滓」と呼んでいるが、実際には祖母世代の冗談が儀礼化したものにすぎないともいわれる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『鼻腔残渣観察要項』東京鼻腔衛生協会, 1907年.
- ^ 久保田玄三『季節と鼻内乾燥物の関係』浅草医談社, 1898年.
- ^ Sir Edwin H. Mallory, "Dust Nodules in Port Districts," Journal of Colonial Hygiene, Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 1905.
- ^ 日本鼻腔衛生協会編『鼻腔衛生便覧』第1巻第2号, 1952年.
- ^ 安藤多賀子『都市の残渣と民俗記憶』岩波民俗叢書, 1968年.
- ^ 高瀬義晴『衛生の越権と鼻腔』大阪帝国衛生学校出版部, 1929年.
- ^ Martha L. Ellery, "The Standardization of Nasal Cast Sampling," Annals of Household Medicine, Vol. 8, No. 1, pp. 3-19, 1934.
- ^ 『家庭の衛生と小さな標本』朝日家庭教育出版社, 1958年.
- ^ 中村良介『学校保健における微小乾燥物の扱い』日本学校医協会雑誌, Vol. 21, No. 4, pp. 201-218, 1976年.
- ^ 田所澄子『鼻腔観察棒の普及史』器具と生活, 第14巻第7号, pp. 88-97, 1981年.
外部リンク
- 日本鼻腔衛生協会アーカイブ
- 東京鼻腔資料館
- 都市衛生史研究所
- 鼻影見保存会
- 学校保健民俗資料センター