18(すし)
| 分類 | 食文化暗号・帳簿運用 |
|---|---|
| 起源とされる時期 | 1800年代初頭 |
| 主な用途 | 席料・支払額・段取りの指標化 |
| 表記ゆれ | 十八(すし)、18寿司、数珠すし |
| 関連概念 | 握り手順(八段階)と“十六加算” |
| 伝承ルート | 日本橋—深川—横浜の廃帳市場 |
(じゅうはち(すし))は、江戸後期から流通したとされる「寿司」の暗号的呼称であり、主に通貨計算や席次の調整に用いられたとされる[1]。その語は、のちに飲食業界だけでなく各種の帳簿記録、さらには港湾労務の配分にも波及したと説明されている[2]。
概要[編集]
は、「寿司」という語が口にされること自体を避けたい場面で、数字のだけを合図として用いた呼称であるとされる。たとえば、夜間の屋台商では、役人の目をかわすために帳面上は「十八」と記し、実際の品書きでは別名を並べたとされる[1]。
一見すると単なる縁起数字の遊びに見えるが、実務的には席次と価格の対応表として運用されていたと説明される。具体的には、「一席=二人掛け」とし、そこに握りの提供順を紐づけることで、提供時間のばらつきを平均化するために使われたという説がある[3]。
なお、後世の民間記録では、が“味そのもの”を意味するのではなく、“計算手続き”を意味したとされる点が強調されている。ただし、同名の別系統として「十八貫(かん)相当」の新商品が現れたともされ、混同がたびたび起きたと指摘されている[4]。
歴史[編集]
成立:数札(すうふだ)から会計暗号へ[編集]
が生まれた経緯は、当時の江戸で「屋台は営業許可を携帯せねばならない」という運用が強まった時期に求められる。表向きは“衛生点検”の口実として名目の書類が増え、裏方では現金のやり取りを速くする必要があったとされる[5]。
そこで、深川の帳付職人であるが、紙札に「十八」とだけ書いて配り、注文の取りまとめを合図にしたという伝承がある。渡辺は、日本橋の両替商に出入りし、金額の書き換えを得意としていた人物として語られる[6]。この仕組みが“寿司の注文を連想させない”ことから、役人の視線を逸らすのに有効だったとされる。
さらに、この暗号は席次の運用にも拡張された。たとえば、冬季は握りの提供が遅れるため「十八=提供順の固定化」として、上がり刻(きざみ)を平均化したという細かな記録が残っているとされる。ある手書き控えでは、提供の開始は毎夜19時ちょうど、最初の供出から次の供出までの間隔は平均で2分14秒だったと記されていたという[7]。この“秒まで”の記述は、後世の誇張だとする反論もあるが、帳簿文化としてのリアリティは高いと見なされている。
拡散:港の労務配分と「十六加算」[編集]
は、寿司屋の枠を越えて港湾労務の配分にまで波及したとされる。根拠として挙げられるのが、横浜のに残るとされる「夜勤割当表」であり、そこでは食事支給の換算が「十八点」と記されていたと説明される[2]。
この点数は、実際の支給量と一致しないことが知られていた。理由として、塩分調整や氷代を差し引く計算が別枠で行われていたことが挙げられる。そこで「十八点=(実支給貫数×一)+(十六加算×0.5)—(氷代×0.25)」のような“係数”が口伝で整備されたとされる[8]。
また、この体系は職人の弟子入り制度にも影響したとされる。新弟子は最初の2週間、握りを教わるのではなく「十八の換算手順」を暗記させられたという逸話が残るとされる。とくに、加算を間違えると手当の差額が“銀一匁(もんめ)の四十分の一”単位で発生したという噂があり、細部にこだわる文化が定着したと説明される[9]。
近代化:電信と帳簿の“18互換”[編集]
明治期に入ると、帳簿が紙から整然とした様式に置き換えられるなかで、も「互換表」として整理されたとされる。ここで関わったとされるのが、内務官僚系の書式整備に携わったである。田村はの前身組織で電信文の短縮を研究していた人物として挙げられる[10]。
彼の提案として語られるのが、「18=食席の確定コード」「—=天候遅延」「○=追加握り」のような符号化である。この符号化により、遠方の仕入れに遅れが出た際でも、現場の手配を最小限の通信で更新できたとされる[3]。
ただし、符号化が進むほど誤解も増えた。とくに大正期には、寿司そのものを“十八貫”として売り出す宣伝が一部で流行したとされる。結果として、本来のが“計算手続き”を指していたのか、“品数”を指していたのかで業者間の論争が起きたと記録されている[4]。
批判と論争[編集]
は、学術的検証が難しいことで知られる。理由として、伝承が帳簿の“空欄”や“削除痕”を手掛かりとしているため、同定が揺れる点が挙げられる[11]。とくに、実物の帳面が見つからないまま「十八の提供間隔が平均2分14秒だった」といった数値が語り継がれていることは、後世の語り部が作った可能性があるとされる。
また、暗号としての有用性に対しても疑義が出ている。通行人にとって「十八」が寿司を連想させることは、逆に摘発の危険を高めたのではないかという指摘がある[12]。一方で、反論として「摘発担当が“数字だけでは意味を確定できないようにした”」という説が提示されている。ここでは、帳簿の外側に「十八=点数」という説明文をわざと混ぜ、読める人だけが読める状態にしたという運用が語られる。
さらに、近代以降の派生としての「十八貫」商法が、元来のの意図を歪めたのではないかという議論もある。ある編集者は「“暗号”は保存され、検算は捨てられた」と評したとされる[13]。この評価は比喩としては巧みだが、記録の整合性には欠けるとも指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐藤美咲『江戸夜席の暗号帳簿』東京書房, 2012.
- ^ Watanabe, Seiiichiro『On the “18” Notation in Late Edo Catering』Journal of Culinary Accounting, Vol. 12 No. 3, pp. 41-66, 2009.
- ^ 田村正典『電信符号と現場運用—短文化の実例』逓信史叢書, 第5巻第2号, pp. 201-244, 1918.
- ^ 篠崎勘定所編『横浜税関夜勤割当表の研究』横浜公文書館, 1933.
- ^ 金子頼純『通行監視時代の隠語実務』日本文書学会誌, 第22巻第1号, pp. 77-103, 1956.
- ^ Parker, Lionel『Numbers as Food Codes: A Speculative Review』Transactions of the Institute for Folkloric Economy, Vol. 8, No. 1, pp. 1-29, 1984.
- ^ 内藤卓也『握り手順の八段階化と平均化』調理工程研究, 第3巻第4号, pp. 55-90, 1977.
- ^ 鈴木篤志『銀勘定の微細差額—一匁の四十分の一の世界』経済史ノート, Vol. 6 No. 2, pp. 10-33, 2001.
- ^ 編集局『都市の隠語が残したもの—削除痕の読解』都市史資料編集室, 1999.
- ^ Jung, Mira『Port Labor Meal Accounting in the Modernizing Ports』Maritime Bureau Reports, pp. 88-112, 1911.
外部リンク
- 帳簿隠語アーカイブ
- 横浜税関写本コレクション
- 江戸夜席研究会データベース
- 符号化料理史ミュージアム
- 港湾労務換算資料室