1990年代に流通していた謎のビニ本「くぅ」について
1990年代に流通していた謎のビニ本「くぅ」について(1990ねんだいにりゅうつうしていたなぞのびにほん くぅについて)は、日本の都市伝説の一種[1]である。1990年代に一時的に流通したとされるビニール製の怪奇読本「くぅ」にまつわる、噂が噂を呼んだという話として言い伝えられている。
概要[編集]
1990年代に流通していたとされる謎のビニ本「くぅ」は、表紙がやけに薄く、触ると指先が“湿ったように冷える”と目撃談が語られる都市伝説である[1]。
噂によれば「くぅ」は出版社名も著者名も見当たらず、街の雑居ビルの小さな自販機コーナー、あるいは深夜の古書棚でひっそり出没したとされる[2]。その内容は不可思議な作法(読み方)と、読者の生活圏がじわじわ書き換えられていくという話で構成される、と言われている。
ただし、マスメディアが追跡した“同型”のビニ本が複数存在したともされ、全国に広まったブームは、真偽不明のまま小波のように繰り返されたとされる[3]。
歴史[編集]
起源(「くぅ」が生まれたとされる場所)[編集]
「くぅ」の起源は、東京都台東区の印刷関連下請けが集まる地区で考案された、とする噂がある。1990年、印刷所の廃液処理が追い付かず、紙の代替として“軽くて壊れにくいビニール積層シート”が導入され、それがビニ本の原型になったとされる[4]。
この説では、当時(架空の同業団体とされる)の関係者が「読ませるより“触らせる”用途に向く」と言ったことが契機になった、と語られている[5]。また別の伝承では、深夜の校内放送に混じる奇妙な音「くぅ…」が、作業員の間で合言葉のように広がり、紙型が“自動で整う”錯覚が生まれたとも言われる[6]。
なお、同じ1990年代でも時期が細かく異なる証言があり、「1994年の夏祭りの前後で急増した」や「1992年10月第3週の金曜日に初めて見つかった」など、日付の精度が目撃談の信憑性を上げる結果になったとされる[7]。
流布の経緯(どう全国に広まったか)[編集]
噂では、最初に出回ったのは神奈川県の港湾地区で、値札の付いていないビニ本が“試し読み”の代わりに置かれていた。そこから1993年には埼玉県の深夜定食チェーン店のレジ横に転売同然で置かれ、翌1994年に“読み方のルール”がネット掲示板に書き込まれて全国に広まったとされる[8]。
流布を決定づけたのは、ゲームセンターの景品交換所で起きたとされる小パニックである。伝承によれば「くぅ」を持って並ぶと、交換機が一瞬だけ“硬貨ではなく薄いフィルム”を吐き出した、と目撃された[9]。この出来事が「正体は機械ではなく、お化けの気配だ」として語り継がれたため、マスメディアも“未確認文化”として取り上げざるを得なくなったとされる[10]。
さらに1996年には、地方局の深夜番組が“街角での生朗読テスト”を企画し、台本の読み上げが終わった直後に出演者の一人が席を立ってしまった、という噂も加速した[11]。このように、出没の報告とブームが相互に強化され、都市伝説として定着したとされる。
噂に見る「人物像」/伝承の内容[編集]
「くぅ」に関わった人物像は、怪談の語り手の口調から“半分だけ編集者っぽい”と表現されることが多い。目撃談では、ビニ本を配った人物は名乗らず、代わりに「指を三回鳴らせ。四回目は数えるな」という手順だけを残したと言われる[12]。
伝承の内容としてよく挙げられるのは、1ページ目に“読了後に思い出すな”という矛盾した注意書きがあり、2ページ目以降は、読者の通勤経路・買い物先・友人の呼び名が微妙に変化していく、という話である[13]。また、ビニール越しに読んだ場合は“温度差を使った幻視が起きる”とされ、「夜のコンビニの白い蛍光灯だけは、必ず一度見返せ」と目撃談が付加されることがある[14]。
正体については複数の説があるとされる。第一に「印刷会社の試作品が誤って市場に出た」という現実寄りの噂、第二に「本ではなく、読む者の生活を“縫い直す”という話のある妖怪が作った」とされるお化け寄りの噂、第三に「ビニール表面の静電気で記憶が引っ張られる」という科学風の噂が並立した[15]。
出没の具体例としては、大阪府の住宅街で夜中にポスト投函されたという目撃談があり、同時刻に同じ町内で“同じ誤字のメモ”が見つかった、と言われている[16]。
委細と派生/派生バリエーション[編集]
派生バリエーションとして、「くぅ(薄青版)」「くぅ(黒文字版)」「くぅ(無音版)」が挙げられることがある。薄青版は表紙が青みがかっていて、触るとほんの数秒だけ視界が青緑に滲むとされる[17]。黒文字版は本文の字が“墨ではなく、微細な光点で組まれている”ように見えると言われ、無音版は読み進めると鼓膜に負荷がかからない代わりに、周囲の生活音が消えると噂される[18]。
委細として頻出する細かい数字もある。例えば「1章は17枚」「読み返しは2回まで」「袋入りでない個体は必ず“返却期限なし”」などである。特に“17枚”は、目撃者が「数えたら偶然じゃなくなった」と言い切るため、噂の中核になったとされる[19]。
また、起源の説明に絡んで“印刷ロット”の番号が語られる場合もある。1994年秋に見つかった個体が「ロットK-9473」と刻まれていた、という話は、別の目撃談では「K-9472のはずが、机の上でK-9473に変わっていた」と変形し、恐怖の演出として流通したとされる[20]。
このように、同一名称でもバリエーションが増えることで、都市伝説としての“検証ごっこ”が成立し、読者がより深く巻き込まれる仕掛けになったと考えられている。
噂にみる「対処法」[編集]
「くぅ」を見つけた際の対処法は、恐怖を抑えるための儀礼として語られることが多い。代表的なものは「表紙を開く前に、背表紙ではなく“側面”を指でなぞる」である。なぞった回数は3回とされ、4回目以降は“読まされた側の主導権が移る”と警告される[21]。
次に“封印のやり方”として、ビニ本を文京区のに持ち込まず、必ず自宅の押し入れの奥にしまえ、と言われる。理由は、役所の書庫が“公的な呼び名”を優先するため、妖怪が“居場所を定義できてしまう”からだとされる[22]。
さらに「読み始めてしまった場合」の手順として、「3ページ目で出てくる方角を書き写し、翌朝その方角へ行く前に、必ず道の名を口にする」などの伝承がある。実際には役に立つはずがないが、都市伝説としては“行動してしまうことで逃げ道が生まれる”という点が共有され、全国に広まったとされる[23]。
ただし、対処法にも派生があり、「ゴミ袋に入れるなら二重袋」「捨てるなら可燃ではなく不燃にしてから一週間寝かせる」など、現実のルールに似せた慎重さが追加されることがある[24]。
社会的影響[編集]
「くぅ」騒動は、1990年代の消費文化における“境界の曖昧さ”を可視化した、と解釈されることがある。具体的には、古書・雑誌・同人誌のあいだにある曖昧領域で、ビニール製の流通品が“読者の生活に入り込む”として恐怖と興奮の両方を生んだ、とされる[25]。
一方で、学校や地域では「持ち込み禁止」や「夜間に雑居ビルへ行かない」などの注意喚起が増えたとされる。特に千葉県の学区では、1995年に“怪談カード”の配布が行われたという話があり、カードには「くぅは触れるな」とだけ書かれていた、と言われている[26]。
また、ブームの影響で一時的に“ビニ本風”の偽物が大量に出回った。これにより本物とされる「くぅ」の線引きが難しくなり、コミュニティでは噂の正体が“本”ではなく“人々の記憶の同期”にある、という解釈も生まれたとされる[27]。
このように、社会的影響は軽微ではなかったと考えられているが、実際の被害は公式には確認されていないとも指摘される[28]。
文化・メディアでの扱い[編集]
メディアでは「くぅ」は“都市伝説としての怪談枠”に分類されることが多かった。1997年、週刊の娯楽紙が「ビニ本の正体を追え」と題した特集を組み、誌面では『触れると寒気がする』『開くと生活が書き換わる』といった目撃談が箇条書きで掲載されたとされる[29]。
一方でテレビ番組では、再現VTRの段階で「出演者の声が一定の周波数で濁る」という演出が追加され、妖怪にまつわる怪奇譚として強調されたと噂される[30]。この部分は、制作側が“既存の心霊番組の文法”を流用した結果だとする指摘がある[31]。
また、学校の怪談としては、夏休み明けの学級で「くぅの読み方」を真似する生徒が出て問題になった、という逸話が語られることがある[32]。もっとも、これらは伝承の域を出ないとされるが、なぜか「薄青版が多い年ほど成績が落ちた」と冗談めいた関連付けまで行われたとされる[33]。
文化面の最大の特徴は、“ビニールという素材が持つ匿名性”が、怪談の恐怖と相性が良かった点にあると考えられている。
脚注[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北条 実久『失われた1990年代の流通怪談:ビニ本「くぅ」を追って』蒼鷹社, 1998.
- ^ 山口 里音「“触れる読書”の心理機序と噂の増幅」『民俗メディア研究』第12巻第3号, pp. 41-63, 1999.
- ^ 佐伯 直政『匿名印刷と市井の恐怖:ロット管理の都市史』明月堂, 2001.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton "Viral Urban Legends and Material Myths" Vol. 7, No. 2, pp. 113-129, 2002.
- ^ 高橋 克典「深夜掲示板における“読了後の抑制”言説」『情報怪談季報』第5巻第1号, pp. 9-27, 2000.
- ^ 伊達 真澄『都市伝説の作法大全:対処法が生む共同体』朝霧文庫, 2003.
- ^ 志村 健人「ビニール積層シートの流通痕跡と噂の整合性」『日本消費技術史研究』第21巻第4号, pp. 201-226, 2004.
- ^ 『地方局深夜特番アーカイブ:1996-1998』放送学会出版局, 2005.
- ^ 黒崎 葵『学級の怪談と“翌朝の方角”』書肆ユリカ, 2006.
- ^ Liu, Wen-Wei "A Note on Vinyl Pulp and Collective Memory" Vol. 3, No. 1, pp. 77-88, 1997.
外部リンク
- 噂の倉庫(Kuu収集室)
- 台東区夜間印刷史データベース
- 都市伝説対処法ノート
- 1990年代ビニ本目撃録
- 学級怪談アーカイブ