1993年3月23日開催の味噌煮大会
| 開催日 | |
|---|---|
| 主催 | 中部味噌煮振興協議会(仮称) |
| 開催地 | 内の臨時調理ドーム |
| 競技形式 | 味噌煮の調合精度と喫食評価の複合審査 |
| 審査員 | 料理研究者・味噌組合・計量監査官の混成 |
| 参加枠 | 地区選抜 48チーム(補欠含む) |
| 公式記録 | 「熱量曲線」採点表(第3版) |
| 注目点 | “煮込み音”を周波数解析で評価したとされる |
(1993ねん3がつ23にちかいさいのみそにたいかい)は、23日に行われたとされる、味噌煮をめぐる競技会である[1]。東海地方の食文化を「競争可能な技術」に変換しようとした試みとして知られている[2]。ただし記録の一部には食材比率や計時法の出所が不明な点があり、後年になって修正されたともされる[3]。
概要[編集]
は、味噌煮という家庭料理を“規格化された技能”へと押し広げる目的で企画されたとされる競技会である[1]。当日の報告書では、各チームが同一の土鍋モデルを使用し、味噌・出汁・調味の配合を「分量ではなく工程」によって評価したと記されている[4]。
また、この大会は単なる食イベントではなく、味噌の品質をめぐる行政的な統一見解を“実演”で作ろうとした政治色も含んでいたとされる[5]。一方で、現存する議事録のうち一部には、タイムキーパーの方式や計量装置の型番が途中から別物に差し替わっている痕跡があり、編集者の解釈によって印象が変わるとも指摘されている[6]。
背景と成立[編集]
「煮」の競技化という発想[編集]
味噌煮は季節や家庭によって味の振れ幅が大きいことから、競技化には不向きと考えられてきたとされる[7]。しかし、の安定供給を目的としたの議論が後半に加速し、“ブレのある味”を統計的に管理するための実験舞台として食の大会が利用されたのである[8]。
この流れを後押ししたのが、当時名古屋市周辺で活動していた「厨房計測研究会」であるとされる[9]。同研究会は、味噌煮の仕上がりを温度計だけでなく、鍋の振動や湯気の立ち上がり角度で推定できる可能性を提案したと報告されている[10]。
開催地決定の“細かすぎる”事情[編集]
開催地は当初、内の公民館連合施設で打診されたが、調理用電源の容量とガス圧のばらつきが理由で白紙になったとされる[11]。最終的にが選ばれたのは、臨時調理ドームの床が「含水率制御コンクリート」で施工されており、鍋底の熱伝導が揃うと見積もられたためだという[12]。
なお、会場の設計仕様書には“天井からの反射光が審査員の舌の錯覚を減らす”という、科学者の発想としては異色の一文があり、これが当時の広報に使われて大きく話題になったとされる[13]。
主催組織と役割分担[編集]
主催は、関連の業界団体と市民団体、さらに計量・検査側の専門家を統合して作られたとされるである[1]。同協議会は公式には仮称であり、要綱上の正式名称が資料によって揺れている[14]。
審査は“味そのもの”と“味の再現性”を分離する形で運用されたとされる。具体的には、審査員のうちが官能評価を担当し、残りが「熱量曲線」や「煮込み音」を用いて工学的な整合性を確認したと記されている[15]。この二層構造が、のちに大会の賛否を分ける要因になったとされる。
大会当日の進行とルール[編集]
大会は午前・午後で工程を切り分ける形式とされ、チームは各自の鍋に対して「初沸点到達までの秒数」を申告したとされる[4]。ただし当日の公式タイムシートは、秒数ではなく“メトロノーム換算”で提示されたとする記述もあるため、実測の基準が複数あった可能性が示唆されている[6]。
競技の中心は味噌煮の調合精度だったとされる。報告書では、味噌は「重量%」ではなく「発酵由来の香り指数(AFI)」で規定されたとされる[16]。出汁はかつお・昆布の比率が明記され、さらに“静置時間”が 6分12秒ごとに分割して記録されたという、やけに具体的な痠のような数字が残っている[17]。
また、審査の目玉として「煮込み音」を周波数解析で評価したとされる[15]。周波数帯域は350〜680Hz、ただし鍋底の共鳴が強い条件では“補正係数0.93”を掛ける、といった規程が掲示されたと記録されている[18]。この規程は後に「料理を楽器扱いした」と揶揄される一方で、再現性の高さとして評価もされた。
出場チームと名勝負の一連[編集]
参加は地区選抜48チームとされ、名古屋周辺だけでなくやからも“味噌煮の手順書”を持ち込む層が集まったとされる[19]。予選では、同一の鍋・同一出汁に対して、味噌の投入タイミングを分単位でずらす実験的な組が多かったという。
決勝に進んだのは、出身の料理教室チームと、の味噌加工老舗が組んだチームの2つだったとされる[20]。特に港区チームは、味噌を投入してから「玉ねぎ投入までを計測し、湯気密度の低下率が3.1%を超えないように調整した」と記されている[21]。ここまで書かれると“料理”というより工程管理のように読めるため、のちに大会の熱量が語られる際の象徴になったともされる[22]。
一方、老舗チームは“硬めの出汁”を作ることで口当たりを整える方針だったとされる。彼らは試合中に、出汁温度を 88.0℃に保ったまま味噌を攪拌し、最後に一度だけ攪拌回数を 17回に揃えたとされる[23]。この「17回」については複数の資料で言及があり、なぜ17回なのかの説明として「縁起ではなく、前年の計量器校正の結果が17だった」という主張が残っている[24]。
社会的影響とその余波[編集]
大会の最大の影響は、味噌煮をめぐる“技術の言語化”が進んだ点だとされる[8]。実際、翌年度には内で「味噌煮工程指導員」制度の試案が出されたと報じられている[25]。ただし制度化は限定的であり、現場では官能評価の余地が残る形に再編されたとされる[26]。
また、行政と業界、研究者が同じ舞台に立つことで、食の議論が“うまい・まずい”から“測れる・再現できる”へと傾いたと指摘されている[5]。その一方で、味噌煮の多様性が失われるのではないかという懸念も出た[27]。この懸念は、のちの「家庭調理の自由度」論争へと連なったとされる。
さらに、大会で注目された解析は、家電メーカーの宣伝にも飛び火したとされる。たとえば“鍋の鳴りを整える炊飯・保温機構”として類似技術が流通し、味噌煮以外の煮込み料理にも同様の計測が導入されたとされる[28]。
批判と論争[編集]
批判としてまず挙げられるのは、審査が官能評価より工学指標に寄りすぎたのではないかという点である[27]。当時のある批評記事では、「鍋が鳴るから正解、鍋が静かなのは不正解」といった“逆転した価値観”がまかり通ったと書かれている[29]。
また、記録の整合性をめぐる疑問も指摘されている。公式にはの開始時刻は9時30分とされるが[1]、別の回覧資料では9時41分に変更された痕跡がある[6]。さらに、AFI(香り指数)の算出方法が“誰の手法に基づくか”が明記されていないともされる[16]。ここは要出典として残りやすい箇所であり、編集が後年に集中した可能性がある。
加えて、テレビ中継向けに作られた演出として「煮込み音をBGM風に整形した」という噂が広まったとされる[30]。もっとも、これを裏付ける一次資料は乏しいとする反論も存在し、結局のところ大会は“測定の快楽”と“料理の不確かさ”の境界をめぐる論争として記憶されることになった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田中健太『鍋と統計:味噌煮工程の再現性モデル』中部厨房出版, 1994年.
- ^ 山口沙織『官能から指標へ——AFI香り指数の設計思想』味噌文化研究所, 1995年.
- ^ 中部味噌煮振興協議会『「熱量曲線」採点表(第3版)』名古屋市臨時調理委員会, 1993年.
- ^ Catherine J. Morrow『Spectral Notes in Simmered Foods』Journal of Domestic Thermodynamics, Vol.12 No.3, 1996.
- ^ 佐藤明子『再現性は家庭を救うか:調理自由度の社会学』食と社会学会誌, 第7巻第2号, 1997年.
- ^ 鈴木誠也『鍋の振動解析と評価系:350〜680Hzの実務』日本調理計測学会誌, Vol.9 No.1, 1998年.
- ^ 河合光『名古屋調理ドーム床の含水率制御:試験報告』公共建築季報, 第22巻第4号, 1993年.
- ^ 渡辺精一郎『味噌煮大会記録の校訂方針(回覧版)』中部味噌資料館, 2001年.
- ^ Ryohei Nishida『From Soup to Sensor: Competition Formats for Traditional Foods』Asian Journal of Food Systems, Vol.5 No.1, 2000.
- ^ A. L. Bernstein『Culinary Soundtrack Engineering』Gastroacoustic Press, 1999年(題名が類似しているが内容の参照箇所が一致するとは限らない).
外部リンク
- 味噌煮アーカイブセンター
- 名古屋臨時調理ドーム資料室
- AFI香り指数研究会
- 鍋の振動解析フォーラム
- 食の計測工学コレクション