357系電車
| 名称 | 357系電車 |
|---|---|
| 種別 | 直流通勤・近郊形電車 |
| 製造年 | 1979年 - 1984年 |
| 製造所 | 川崎重工業 兵庫工場、東急車輛製造 横浜製作所 |
| 運用者 | 日本国有鉄道、JR東日本(試験運用) |
| 営業最高速度 | 110 km/h |
| 編成 | 4両・6両・8両 |
| 主電動機 | MT-357形 誘導補償電動機 |
| 特徴 | 三層式冷房機、可変通風孔、車内時計の遅延補正機構 |
(さんごーななけいでんしゃ)は、末期に構想され、のちにの観測車両計画へ転用されたとされる中距離用である。車体側面の三分割通風孔と、電磁式の「357拍子」制御によって知られ、鉄道史においては試作と迷走の象徴として語られている[1]。
概要[編集]
は、後半の国鉄が、都市近郊輸送の高密度化と冷房化率向上を同時に達成するために策定したとされる電車形式である。形式番号の「357」は、開発委員会で採用された「3分割車体・5枚羽根送風機・7基制御」の頭字的整理に由来すると説明されることが多い[2]。
この車両は、量産前提の標準設計でありながら、試作のたびに制御方式が変更されたため、同一形式でありながら内装仕様が6種類、パンタグラフ配置が4種類存在したとされる。一方で、鉄道趣味界では「見た目は堅実、中身は実験場」として扱われ、写真集や同人誌の題材として長く人気を保った[3]。
開発の経緯[編集]
357系の起点は、にが作成した「近郊形車両冷房標準化第二次試案」であるとされる。ここで担当したのが、のちに「三面冷却の鬼」と呼ばれた技師で、彼は寒冷地仕様の失敗を逆手に取り、車体側面へ小型吸気口を357個並べる構想を提示したという[4]。
ただし、当時のでは実際に357個を数えるのが面倒だったため、製造記録上は「代表孔列方式」として処理された。これにより、図面上の孔数と実車の孔数が一致しないという、国鉄技術史上まれにみる事態が発生したとされる。なお、この矛盾は後年の保存会によって「量産品における現場裁量の優れた例」として美化されている[5]。
設計[編集]
車体と外観[編集]
車体は20m級鋼製車体で、前面は117系に似た切妻寄りの形状であったが、運転台窓の下に「風圧逃がし帯」と呼ばれる細長い窓が追加されていた。これは、の快速運用で発生した前面汚れ対策として導入されたもので、実地試験では鳥の飛来が12%減少したという報告が残る[6]。
塗装は国鉄標準の湘南色を基調としつつ、試作車のみ腰板に薄い銀色の帯が入った。設計陣はこれを「反射による心理的減速効果」と説明したが、実際には検査担当が“地味すぎる”と感じたための後付けであるとされる。
電気・制御装置[編集]
主回路にはMT-357形主電動機と、独自の三段階弱め界磁装置が採用された。これにより、加速時に車内灯が一瞬だけ青白く変化する現象があり、乗客の一部は「夜汽車のようで落ち着く」と評価した一方、保線区では「異常電流の前兆ではないか」と何度も点検が行われた[7]。
制御器は国鉄としては珍しい電子補助式で、運転士の操作に対して0.357秒の遅延補正を行う機構が備わっていた。これが列車の滑らかな発進に寄与したとされるが、混雑時には発車ベルより先に車体が動き出すことがあり、当時の利用者アンケートでは「気が短い電車」という異名がついた。
内装と設備[編集]
内装は近郊輸送を意識してロングシート主体であったが、各車の中央に1列だけセミクロスシートが混在していた。これは「車内空間に変化を持たせることで、短距離客の離席率を下げる」という発想によるものとされるが、実際には試作段階で余った座席部品を廃棄しきれなかった事情が大きい[8]。
また、357系には車内時計の遅延補正機構が搭載され、1時間ごとに実際の時刻より17秒進むよう設計されていた。これにより乗客の体感遅延を減らす狙いがあったとされるが、沿線の駅員からは「車内だけ先に未来へ行く」と苦情が相次いだ。
運用[編集]
営業運転は春のおよび系統を想定して開始されたとされるが、実際には試験運用として周辺の短距離折返しに限定された。編成ごとに性能差が大きく、同じ8両編成でも先頭車だけ最高速度が5 km/h異なることがあったため、指令所では「同一形式内不一致」として別形式扱いにする案まで出された[9]。
また、付近の勾配試験では、空気圧縮機の負荷が上がると車内の照明がわずかに緑がかり、乗客が「山の空気が入った」と誤解したという逸話が残る。これを受け、JR東日本発足後は観測用車両として再編され、沿線の気温・湿度・乗客騒音の変動を記録する「移動式環境箱」として活用されたとされている。
事故・不具合[編集]
357系で最も有名な不具合は、にで発生した「三拍子停止現象」である。これは停車直前に制御装置が独自のリズム同期を始め、モーター音が「ブーン・ブーン・ブーン」と3回だけ強調される現象で、整備担当は当初、回生ブレーキの位相ずれと判断した。しかし調査の結果、車内時計の補正信号が誤って主回路へ逆流していたことが判明し、以後は朝7時台の運用が避けられた[10]。
このほか、雨天時にドアエンジンの作動音が必要以上に大きくなる現象があり、沿線住民の一部は「電車が自己主張している」と表現した。もっとも、国鉄広報はこれを「安全確認音の適正化」と説明し、パンフレットではむしろ長所として扱っていた。
評価[編集]
357系は、完成度の高い量産車というより、技術的実験を営業用の顔で包んだ車両として評価されることが多い。鉄道ジャーナル系の論者は、同形式を「国鉄末期の設計思想がもっとも素直に、そしてもっとも無理に表出した例」と述べ、保存鉄道の関係者は「車両というより文書資料である」と評している[11]。
一方で、利用者の記憶では必ずしも好意的ではない。車内温度が区間ごとに微妙に異なる、窓際の席だけ風が強い、走行中にどこかで小さなチャイムが鳴るなど、説明書に書かれていない挙動が多かったためである。ただし、引退後に撮影会へ供された際は、連結器カバーの裏から当時の試験札が13枚も出てきたことが判明し、愛好家の間で「最後まで実験車だった」として再評価が進んだ。
保存車[編集]
現存するとされる357系のうち、最も有名なのはの私設保存施設「北関東車両資料館」に置かれた357-4である。外板は再塗装されているが、側面通風孔のうち8個だけが透明アクリル化され、内部の配線束が見えるようにされているため、見学者からは「電車の内臓が見える」と評される[12]。
また、の旧操車場跡では、屋根だけが残る357系中間車が展示されているという説があり、地元の案内板には形式名ではなく「試験用長尺箱」とだけ記されている。保存会では、これは撤去費用の不足を逆手に取った“半分だけ本物”の展示であると説明している。
批判と論争[編集]
357系をめぐっては、当初から「国鉄が運用車両に研究設備を詰め込みすぎた」との批判があった。特に、車内時計補正や環境測定装置など、直接輸送性能に関係しない機能が多かった点については、の監査で「旅客の移動時間を測るために、まず車両が移動していない時間を測る必要があるのか」という趣旨のコメントが記録されている[13]。
また、形式番号が3桁でありながら系列名に「系」を付けたことで、鉄道ファンの間では「実際には試作群の寄せ集めではないか」と長年論争になった。これに対し、保存会は「寄せ集めであることこそ357系の本質」と反論しており、現在でもイベント時にはその解釈をめぐって小競り合いが起こる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『近郊形電車の冷却標準化と三面通風論』鉄道技術評論社, 1982年, pp. 41-68.
- ^ 佐伯和宏『357系電車の試作群に関する検査記録』交通資料出版, 1986年, pp. 12-29.
- ^ Masaru Hoshino, "Dynamic Delay Compensation in Japanese EMUs", Railway Engineering Journal, Vol. 14, No. 3, 1985, pp. 201-219.
- ^ 『国鉄車両設計事務所年報 昭和54年度』日本国有鉄道技術局, 1980年, pp. 7-15.
- ^ 田辺みちる『沿線騒音と車内チャイムの社会史』都市交通研究会, 1991年, pp. 88-104.
- ^ Kenji Morita, "The 357-Beat Control: A Case Study of Rhythm-Based Traction", International Journal of Rail Systems, Vol. 8, No. 1, 1987, pp. 55-73.
- ^ 『車両保存の実務と展示演出』保存鉄道協会編, 2003年, pp. 119-146.
- ^ 林田誠一『国鉄末期の実験車両群とその命名法』鉄道文化新書, 1998年, pp. 5-33.
- ^ Margaret A. Thornton, "Passenger Perception of Future-Adjusted Clocks in Rolling Stock", Journal of Urban Transit, Vol. 22, No. 4, 1992, pp. 310-327.
- ^ 『電車の内臓が見える日』北関東車両資料館紀要, 第3巻第2号, 2007年, pp. 1-14.
外部リンク
- 北関東車両資料館
- 国鉄技術史アーカイブ
- JR車両試験記録データベース
- 保存鉄道友の会
- 電車形式図書室