90式戦車盗難事件
| 名称 | 90式戦車盗難事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 東富士演習場周辺不法搬出事案 |
| 日付 | 1997年11月3日 |
| 時間 | 午前2時30分ごろ |
| 場所 | 静岡県富士宮市上井出付近 |
| 緯度経度 | 35.3492°N, 138.6412°E |
| 概要 | 東富士演習場近傍から90式戦車1両が移送中に行方不明となり、翌朝までに県内3か所を転々としたとされる盗難事件 |
| 標的 | 陸上自衛隊の90式戦車1両 |
| 手段 | 偽造搬出許可証、夜間誘導灯、仮設牽引装置 |
| 犯人 | 不明(後に『富士搬送研究会』の関与が疑われた) |
| 容疑 | 窃盗、器物損壊、業務妨害 |
| 動機 | 演習車両の民間輸送転用を主張する過激な実証運動とされる |
| 死亡/損害 | 死者なし、戦車1両の外装損傷および道路補修費約840万円 |
90式戦車盗難事件(きゅうまるしきせんしゃとうなんじけん)は、(平成9年)に日本ので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「東富士演習場周辺不法搬出事案」であり、通称では「90式戦車盗難事件」と呼ばれる[1]。
概要[編集]
90式戦車盗難事件は、陸上自衛隊の90式戦車が演習地周辺から一時的に持ち去られたとされる未解決のである。事件は、深夜帯にの周辺道路で発生し、翌朝には車両の誘導痕が内の複数地点に残されていたことから、県警との双方が異例の合同捜査を行った[2]。
この事件は、軍事機密の流出よりも「戦車が本当に道路を走り、しかも盗まれるのか」という点で社会の注目を集めた。報道各社は当初、訓練移動中の誤認とみたが、搬出許可証の写しが内の古物商経由で見つかったことで、単なる迷子事件ではないと受け止められた[3]。
背景[編集]
事件の背景には、1980年代末から続いていた「重装備の民間輸送化」論争があるとされる。当時、と一部の地方議員のあいだでは、戦車や自走砲の大型運搬ノウハウを災害復旧へ転用できるという議論が進んでおり、周辺でも試験的な夜間搬送が行われていた[4]。
一方で、東富士演習場周辺では、演習のたびに住民が低周波振動や路面の損耗を訴え、自衛隊側が補修費を負担する例が増えていた。地元紙『』によれば、1996年には戦車運搬車の通行時に信号機の角度がずれ、商店街のアーケード照明が一斉に誤作動したという奇妙な記録も残されている[5]。
経緯[編集]
発生当夜[編集]
午前2時30分ごろ、演習終了後の90式戦車1両が格納予定地から消えていることが確認された。最初の通報は、のコンビニ店員が「黒い建設機械が自力で曲がっていった」と110番通報したもので、当初は酔客の目撃談として扱われた[6]。
しかし、現場には幅2.7メートルの特殊タイヤ痕と、油性チョークで書かれた「回送済」の文字が残されていた。後に鑑識は、チョークの成分が浜松市の模型店で販売されていた輸送用マーキング材と一致したと発表したが、なぜ戦車にそれが使われたのかは最後まで説明されなかった。
搬出経路[編集]
盗まれた90式戦車は、を経由して方面へ向かったとみられている。途中、付近で一度停止し、近隣の監視カメラには「誘導員らしき3人組」が反射ベストを着用して歩行する姿が映っていた[7]。
翌朝、車両は境の林道入口で発見されたが、その時点でエンジンは停止し、砲塔は南西を向いていた。捜査関係者は、車体が自走したのではなく、特殊な低床トレーラーで牽引された可能性が高いとした一方、現場にトレーラー本体が残されていなかったことから、当時のの関与が取り沙汰された。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
事件発覚後、は窃盗容疑で捜査本部を設置し、と合同で約160名態勢の聞き込みを開始した。初動では、戦車の通行記録を管理していた担当者が、搬出許可証の確認印を「きれいすぎる」として別紙保管していたことが判明し、内部協力者の存在が疑われた[8]。
また、近隣のガソリンスタンドでは、深夜2時台に「軍用車両に使うには少し足りない」量の軽油が分割購入されていたことが分かり、警察はこの不自然な購入履歴を重要な手掛かりとした。なお、この軽油は結局、戦車本体ではなく、誘導灯の発電機に使われた可能性が高いとされる。
遺留品[編集]
現場からは、陸上自衛隊の部外者立入禁止テープ、輸送用の白色軍手、そして「90式 戦車は静かに」という手書きの注意札が見つかった。注意札の筆跡は富士市の物流会社元社員・佐伯幸一に酷似していたが、本人は「展示会の下書きである」と供述し、起訴には至らなかった[9]。
さらに、現場近くの土砂からは、戦車の履帯に付着していたとみられる赤土と、なぜかプラスチック製の名札パーツが出土した。名札には『』の印字があり、これが実在するかどうかを巡って、後年まで要出典扱いのまま放置された。
被害者[編集]
本件の直接的な被害者は陸上自衛隊および管理責任を負っていた第1特科群とされるが、実質的には地域住民も巻き込まれた。戦車が移動したとされる沿道では、深夜に警察・消防・自衛隊の車両が集中し、内の4地区で一時的な停電が起きたほか、茶畑の畝が2列分押しつぶされた[10]。
また、盗難そのものよりも「90式戦車が盗める」という事実が、地元の防災訓練の評価を一変させた。以後、内では大型車両の鍵管理が厳格化され、車両保管庫の出入口には二重施錠に加えて「心理的抑止のための赤色灯」が設置されるようになったとされる。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
捜査の中心人物として書類送検された佐伯幸一ほか2名の公判は、で1999年に始まった。初公判では、検察側が「被告らは戦車を盗難対象としてではなく、巨大な移動式展示物として認識していた」と主張し、弁護側は「そもそも90式戦車はあまりに重く、窃盗の対象として非現実的である」と反論した[11]。
裁判長は冒頭で、証拠写真に写る戦車の角度について「本件は車両法よりも測量法の問題に見える」と述べたと伝えられているが、記録の真偽は定かでない。
第一審[編集]
第一審判決は、主犯の特定に至らないまま、佐伯らに対する業務妨害および文書偽造の成立を一部認めるにとどまり、懲役2年6か月、執行猶予4年が言い渡された。戦車本体の窃盗については「搬出意思の立証が不十分」とされ、無罪となった[12]。
なお、判決文には「本件戦車は、物理的には盗難可能であっても、社会通念上は極めて持ち去りにくい」と記され、後年の刑法学の講義で半ば定番の例題となった。
最終弁論[編集]
最終弁論では、弁護側が「戦車を持ち去ったのではなく、展示車両として一時預かっただけである」と主張したのに対し、検察側は、現場に残された牽引痕と誘導灯の電池残量が完全に一致していることを根拠に、計画的犯行であると反論した。被告人らは最後まで「輸送実験だった」と供述し、完成後に真相が半ば闇に葬られた[13]。
控訴審では、90式戦車の所在を示す決定的な証拠として、内の倉庫に保管されていた部品箱が提出されたが、箱の中身は砲弾ケースではなく、イベント用のテープカット鋏であったため、裁判所は慎重な姿勢を崩さなかった。
影響[編集]
事件後、は演習車両の移送記録を電子化し、搬出許可証にICタグを導入した。また、は、重量物の夜間搬送に関する臨時指針を出し、幅員3.0メートル未満の路線では戦車相当車両の回送を原則禁止とした[14]。
一方で、本件は地方自治体の広報にも影響を与えた。富士宮市は「巨大車両は見た目より身近である」という観光コピーを採用し、翌年の市民祭では、段ボール製の90式戦車が子どもたちに引き回される催しが行われた。なお、この催しは地元消防団が「再発防止訓練」として監修したとされる。
評価[編集]
事件に対する評価は分かれている。軍事史の分野では、冷戦後日本における装備管理の脆弱性を象徴する事件とされる一方、輸送工学の研究者の間では、90式戦車が深夜の峠道を通過し得るかを巡る実地試験の記録として扱われている[15]。
また、社会学の一部では、本件は「盗難」というより「巨大機械への共同幻想」であり、複数の人物が同じ車両を見ていたはずなのに誰も正確に説明できなかった点に、1990年代日本の制度疲労が表れていると論じられている。もっとも、当時の警察発表には誤記が多く、今日でも学術的な確証には乏しい。
関連事件・類似事件[編集]
類似事件としては、の『』、の『』、および千葉県で起きたとされる『』がしばしば挙げられる。いずれも、重機の管理不備と現場責任の曖昧さが問題となった点で共通している[16]。
また、同時代の道路行政では、重量車両に対する「徐行」表示が逆に誘導標識として機能してしまう例があり、本件でもその誤読が発生経路の一部を形成した可能性がある。
関連作品[編集]
本件を題材にした書籍として、『戦車はなぜ消えたのか』、『東富士の夜を走る』があるとされる。また、テレビ東京系の特番『』では、CG再現を用いて戦車の逃走経路が検証された[17]。
映画では、1999年公開の『』が本件を下敷きにしたとされるが、実際には戦車が一切登場せず、最後まで登場人物が標識の読み方で揉め続ける異色作であった。なお、DVD特典映像には「戦車が見つからなかったので撮影中止になった」との監督コメントが収録されている。
脚注[編集]
[1] 静岡県警察史編さん室『平成九年 東富士地区重大事案記録』静岡県警察本部, 2004年, pp. 118-126.
[2] 佐藤弘明「演習場周辺における大型車両不正移送の実態」『防衛交通研究』Vol. 7, No. 2, 2001, pp. 44-61.
[3] 中村理恵『報道写真が見た平成事件史』日本経済通信社, 2010年, pp. 233-240.
[4] 工藤昌之「災害時重機転用論の形成」『地方行政と輸送』第12巻第4号, 1998, pp. 9-18.
[5] 『静岡日報』1996年8月14日朝刊, pp. 1-3.
[6] 山岸直人『夜間通報録 富士宮警察署編』白河出版, 2002年, pp. 71-74.
[7] 宮沢香織「道路監視カメラと大型車両の可視化」『都市物流ジャーナル』Vol. 5, No. 1, 2000, pp. 101-109.
[8] 防衛庁警務隊資料『搬出許可と印影管理』内部資料, 1998年, pp. 5-11.
[9] 田辺克也『筆跡鑑定の現場』東洋法科学出版, 2003年, pp. 88-93.
[10] 牧野順一「富士山麓における重車両通過の社会的影響」『地域防災学会誌』第18巻第3号, 2005, pp. 57-69.
[11] 静岡地方裁判所平成11年(わ)第482号判決要旨, 1999年, pp. 1-7.
[12] 小笠原透『刑事判決文の読み方』成山堂書店, 2008年, pp. 145-149.
[13] 松村英一「時効後の供述と真相認定」『法社会学年報』Vol. 14, No. 2, 2006, pp. 201-218.
[14] 国土交通省道路局『夜間重量搬送暫定指針』2000年版, pp. 3-14.
[15] 渡辺精一郎「90式戦車の最小回転半径に関する一考察」『機械輸送評論』第9巻第1号, 2001, pp. 77-84.
[16] 高瀬文子『日本の未解決事件と装甲車両』講談社現代新書, 2012年, pp. 52-60.
[17] 『未確認重量物を追え』番組公式ブックレット, テレビ東京メディアセンター, 2000年, pp. 19-27.
脚注
- ^ 静岡県警察史編さん室『平成九年 東富士地区重大事案記録』静岡県警察本部, 2004年.
- ^ 佐藤弘明「演習場周辺における大型車両不正移送の実態」『防衛交通研究』Vol. 7, No. 2, 2001, pp. 44-61.
- ^ 中村理恵『報道写真が見た平成事件史』日本経済通信社, 2010年.
- ^ 工藤昌之「災害時重機転用論の形成」『地方行政と輸送』第12巻第4号, 1998, pp. 9-18.
- ^ 山岸直人『夜間通報録 富士宮警察署編』白河出版, 2002年.
- ^ 宮沢香織「道路監視カメラと大型車両の可視化」『都市物流ジャーナル』Vol. 5, No. 1, 2000, pp. 101-109.
- ^ 田辺克也『筆跡鑑定の現場』東洋法科学出版, 2003年.
- ^ 牧野順一「富士山麓における重車両通過の社会的影響」『地域防災学会誌』第18巻第3号, 2005, pp. 57-69.
- ^ 小笠原透『刑事判決文の読み方』成山堂書店, 2008年.
- ^ 渡辺精一郎「90式戦車の最小回転半径に関する一考察」『機械輸送評論』第9巻第1号, 2001, pp. 77-84.
- ^ 高瀬文子『日本の未解決事件と装甲車両』講談社現代新書, 2012年.
- ^ 『未確認重量物を追え』番組公式ブックレット, テレビ東京メディアセンター, 2000年.
外部リンク
- 防衛交通資料アーカイブ
- 静岡県事件史データベース
- 東富士周辺聞き込み記録館
- 平成重大事案フォーラム
- 軍用車両輸送研究所