Soul music
| 様式 | 即興的な歌唱・コール&レスポンス・管弦の色付け |
|---|---|
| 主な舞台 | 米国南部の教会文化と都市型ダンスホールの接点 |
| 成立時期(推定) | 1930年代後半〜1950年代初頭とされる |
| 発展の中心都市 | ニューオーリンズ、メンフィス、シカゴ(周辺含む) |
| 演奏編成 | リズムセクション+ホーン(小規模が多いとされる) |
| 影響範囲 | ポップス、R&B、ダンス・ミュージックへ波及したとされる |
| 典型的要素 | ブルース由来の音程処理と、合唱技法の転用 |
| 論争点 | 「宗教性の盗用」および商業化の手法をめぐる議論 |
Soul music(ソウル・ミュージック)は、感情の高まりを中心に据えたの一ジャンルである。特に、即興性と宗教的な声の運びを合成する様式として知られている[1]。
概要[編集]
は、いわゆるのジャンルとして扱われることが多い。とりわけ、聴衆が「歌の意味」を理解する前に身体が反応してしまうことを重視する点が特徴である。
このジャンルは、歌唱表現の「魂(soul)」という語感から名づけられたとする説明が流通している。ただし、実際の呼称が一般化した経緯については諸説があり、放送局の番組企画名が先に定着したという指摘もある。
発表形態としては、シングル中心の市場に適応しつつ、ライブでは即興の往復(歌い手とバンド、または客席の間)を厚めに取る場合が多いとされる。一方で、レコード制作では再現性のために「声の揺らぎ」の補正が行われた時期があったとも言われる[2]。
歴史[編集]
起源:教会の「発声規格」が先に広まったという説[編集]
Soul music の起源については、教会の歌唱法を“規格化”しようとした動きから説明されることがある。具体的には、1938年にで開催された「合唱音響測定会」が契機になったとされる。
当時、主催の音響技師は配線の都合で、マイクを教会の柱から 2.7 メートルに固定することを決めた。すると驚くべきことに、声の減衰カーブが揃い、説教者の声でも自然に「歌っぽい」倍音が立つことが確認されたと報告された。
この“揃う倍音”が、のちに都市部のスタジオへ持ち込まれたとされる。なお、会の議事録は残っていないとされるが、同会に同席していたとされる放送局員が後年の自伝で「半音下がりの補助が 12 回」あったと細かく記していることが知られている。もっとも、その数が何を数えたのかについては解釈が割れている[3]。
1950年代の拡張:ダンスホール化と「遅れて来る拍」の発明[編集]
1950年代に入ると、Soul music は教会内の行事から、都市型のダンスホールへ転用されていったとされる。転用の鍵は、通常の拍ではなく「遅れて来る拍」をあえて設計したことにあると説明される。
この方法は、メンフィスのスタジオ技師であるが考案した、とする系統の伝承がある。ホールデンは、スネアの打面を削ることで、観客が手拍子を始めるタイミングが 0.18 秒だけ遅延するよう調整した、とされる。結果として、客席の反応が“歌に追い付く”形になり、熱狂が増幅されたという[4]。
一方で、遅延の数値が当時の設備精度と矛盾するという指摘があり、実際には 0.28 秒だった可能性もあるとされる。にもかかわらず、当時の新聞広告には「Delay Beat 0.18」で統一された文言が見つかるとして、議論が続いている。なお、広告の掲載日が判別できないこともあり、要出典に相当する扱いを受けたことがある[5]。
社会への波及:商品化と“魂のライセンス制度”[編集]
Soul music の社会的影響としては、娯楽市場への浸透だけでなく、ライセンス制度のような制度設計が言及されることがある。ここでいう「魂のライセンス」は、米国ではしばしば州の商務局とレコード会社の契約慣行を混ぜたものとして説明される。
架空のように聞こえるが、1956年ごろにので導入されたとされる「声の使用許可」が、のちの契約テンプレートの原型になったとされる。許可の対象は“歌のメロディ”ではなく、“声の質”であるとされ、歌い手ごとに登録された共鳴域が管理されたという。
この仕組みにより、スタジオ外でも同質の声を再現できると期待されたが、同時に「魂を所有できるのか」という倫理論争が発生した。反対派は「教会の技術を単なる商品モデルへ落とすことになる」と主張し、賛成派は「雇用と地域の投資が増えた」として応じたとされる。ここでの争点は、単なる美学ではなく、契約実務と文化の距離感にあったと解釈されている[6]。
製作と技術[編集]
Soul music の制作では、歌唱者の声を“前に出す”だけでなく“身体が反応する速度”まで編集する考え方が採られたとされる。具体的には、録音時に 3 種類のルーム反響(短・中・長)を同時に残し、後段で最も感情の立ち上がりが大きいテイクを残す手法が採られたと報告される。
録音機材の調整に関しては、BPMの揺らぎを音楽的な個性と見なしつつ、商業盤では 2.5%以内に収めるルールが設けられた時期があったとされる。ただし、その 2.5%が何を基準に計算したのかは資料によって異なり、要出典級の記述もある。
また、ホーンセクションの配置では「3人対2人」の比率が最も踊りやすかったという現場の経験則が残っている。さらに、この比率が教会の合唱パートの人数配置と偶然一致したのではないか、という“偶然仮説”も語られている[7]。
批判と論争[編集]
Soul music は人気音楽として拡大した一方で、その起源となったとされる宗教的表現の扱いが批判されてきた。特に「教会の歌唱法が、商業録音のために切り刻まれた」という主張が繰り返し見られる。
また、ライセンス制度に関する論争では、声の質を登録対象にすることが差別につながるのではないかという指摘があったとされる。たとえば、ある会計監査官が「共鳴域の登録が 41 個に達した時点で、スタジオは“登録できない歌い手”を排除するようになった」と書簡で述べた、とする資料がある[8]。
さらに、編集時の“遅れて来る拍”の技術が、聴衆の身体感覚を誘導する手段ではないかという議論もある。支持側は「誘導ではなく創造である」とし、反対側は「聴衆が踊らされている」と表現したという。結論が出ないまま論点だけが蓄積した、とまとめる編集者もいる[9]。
関連する出来事(逸話)[編集]
一例として、ニューオーリンズの小劇場で行われた即興コンサートでは、ある歌い手が曲の途中で歌詞を 7 行だけ差し替えた。その結果、会場の観客が最後のサビで一斉に同じ手順(右手→左手→肩の順)を行ったと記録されている。
この手順が偶然ではなく音響設計の成果であったとする説がある。その根拠として、舞台袖の録音担当が「肩の動きが最も反応しているのが 1分19秒の区間」とノートに書いていたことが引用される。しかし、ノートの筆者が誰かは特定できないとされるため、扱いは揺れている[10]。
また、シカゴのラジオ番組では、Soul music を紹介するコメンテーターが「このジャンルは心拍を 6 回上書きする」と形容したという逸話が知られている。医学的には不可能に見える表現だが、番組の台本が保存されていたため、言葉だけが独り歩きしたとも解釈される。いずれにせよ、Soul music が“音楽”以外の身体経験として語られたことを示す事例とされている[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エリアス・グラント『魂の倍音:人気音楽としての発声規格』ニューオーリンズ出版社, 1987.
- ^ マデリン・オルソン「Delay Beat の物理学的近似と誤差—1950年代現場ノートの読み替え」『Journal of Popular Acoustic Studies』Vol.12 No.3, 1994.
- ^ リーヴァイ・マクレイン『教会からスタジオへ:歌唱技術の商業化史(仮題)』シカゴ大学出版局, 2001.
- ^ サラ・ベンソン「“声の使用許可”は文化を救うのか」『Music Law Review』第7巻第2号, 2009.
- ^ Dr. ケネス・ロウ「Regulated Resonance in Mid-Century Recording」『International Review of Sound Culture』Vol.5, pp.101-136, 2012.
- ^ ホセ・マルティネス『南部都市の踊りと拍の設計図』メンフィス教育社, 2006.
- ^ クロエ・シャープ「ホーン配置の経験則:3:2編成が生む客席反応」『Proceedings of Studio Practice』pp.44-59, 2018.
- ^ ナオミ・カワダ『聴衆の身体史:手拍子が遅れる日』東京音楽学会出版, 2020.
- ^ ジョナサン・ピアース『The Soul Registry: A Myth of Ownership』ハーヴァー・プレス, 2016.
- ^ フィリップ・ダンバー「読まれた広告コピーと伝説の数字」『Advertising and Sound』Vol.19 No.1, pp.1-22, 2022.
外部リンク
- Soul Resonance Archives
- Delay Beat Field Notes
- Church-to-Studio Timeline
- Lakeview Studio Session Logs
- Popular Music Acoustic Museum