。_。
| 行事名 | 。_。 |
|---|---|
| 開催地 | 東京都港区(慈光稲荷神社) |
| 開催時期 | 4月中旬(春分後の最初の戊の日) |
| 種類 | 神事・年中行事(再誓約儀) |
| 由来 | 文字記号「。_。」に託す供犠の象徴化と継承 |
。_。(まるあんだーすこあ)は、のの祭礼[1]。初期より続くのの風物詩である。
概要[編集]
は、慈光稲荷神社において春の夜に執り行われる年中行事であり、祭礼の中心は「再誓約儀(さいせいやくぎ)」と称される儀式である。儀式は、形の上では供物を捧げるが、近年は“人身”を直接扱わない形に作法が整えられているとされるものの、古い記録には人身に関する言及が残るとされている[1]。
この祭りは、地元の人々にとって「約束の句点を打ち直す日」として親しまれている。神職が巻物を読み上げる際に、最後の行末へ必ず「。_。」の記号を置く習わしがあり、これが行事名の由来になったと説明される[2]。一方で、外部の研究者からは、起源の説明があまりに記号論的である点が指摘されており、実際には別の供犠文化が“象徴化”されて混ぜ込まれた可能性も論じられている[3]。
名称[編集]
祭り名の「。_。」は、単なる表記ではなく、祭の所作を表すとされる。具体的には、白布に墨で打たれる「。」が“締結”、下線「_」が“留保”、最後の「。」が“赦免”を意味すると神社側は説明する[4]。
また、地元では行事を「句点供(くてんぐ)」「下線の夜」「稲荷の再留め」などとも呼ぶ。これらの呼称は、江戸期の書付に見られる“誓文の末尾”の書式に由来するとされるが、同時に戦後に入ってから音韻が整えられたとも推定されている[5]。
なお、祭の案内札では記号の前後に小さな神紋が添えられることがあり、昭和初期から運用されているとされる[6]。この仕様があることで、文字記号そのものが信仰対象として扱われ、結果として「。_。」が独立した祭礼名として定着した、と語られている。
由来/歴史[編集]
創始伝承(ボツワナ“供犠様式”の日本移植説)[編集]
由来として最も広く語られているのは、「海の往来で伝わった供犠の作法を、日本の文書文化に移し替えた」という伝承である。神社の保存文書『芝稲荷縁起草(第七冊)』では、遥か西の海域で“句点の印”を添えて行われていた再誓約の儀が、のちに日本へ“符号化して持ち込まれた”と記される[7]。
この伝承は、かつてボツワナで行われていた可能性がある人身供犠の一種を想起させる内容を含むとされるが、神職の口伝では「人を扱うのではなく、取り替えるのだ」と強調される[8]。つまり、象徴として“身代わりの名札”を用いることで、直接的な人身の要素を避ける方向へ作法が変遷した、という筋書きになっている。
ただし、同文書の成立には異説もある。外部の文献調査によれば、第七冊の筆跡は昭和中期のものと一致するとの指摘がある一方で、前半の物語部分はそれより古い書式に似ているともされる[9]。このため、記号論的に整えられた“正当化の物語”が後から付与された可能性があり、伝承の層が複数あると考えられている。
神社の実務化(供犠から再誓約へ)[編集]
昭和初期、港湾労働者の事故が多かった時期に、慈光稲荷神社では「再誓約」の運用が制度として導入されたとされる[10]。当初、参列者が“自分の名前を一度だけ外す”と誓い、その代わりに神職が代筆する作法だったという。
実務には細かな規定があり、記録上では「戊の日に限り、午前3時から午前3時12分の間に札を三度折る」「折り目は合計9本で揃える」といった手順が残っている[11]。このような厳格さが、祭りを“呪術”から“儀礼工学”へ近づけ、結果として都市型の年中行事として定着したとされる。
さらに、祭りの終盤に参列者へ配布される「句点饅頭(くてんまんじゅう)」は、元来“身代わりの印”を食べることで誓いを封じる発想に由来すると説明される[12]。もっとも、現代では饅頭は単なる縁起菓子として扱われ、原義は語られなくなっているとされる。
日程[編集]
はに行われ、春分後の最初のの日(つちのえのひ)を基準として決められる。神社の告知では「午前2時45分に太鼓が“点”を打ち、午前2時46分に下線を引き、午前2時47分に赦免が読み上げられる」といった比喩的時刻が併記される[13]。
当日の流れは、宵宮から始まり、夜半に再誓約儀が置かれる。宵宮では参拝者が白紙に自分の筆名を書き、神職がその紙を“。_。”の形に切り抜く儀が行われるとされる[14]。なお、供物の搬入は「正確に18往復のみ」と決められており、19往復目が来ると“夜の帳が揺れる”という言い伝えが残る[15]。
一方、雨天時には“切り抜き”が水に弱いため、紙を麻布に貼り替える補修手順が定められる。神社では「濡れた記号は罰を呼ぶ」とされ、予備布が常備されるという[16]。このように、日程は暦的要素と手順的要素の両方で固定化されていると解される。
各種行事[編集]
再誓約儀の前に、参列者は「三度の沈黙」と呼ばれる短い所作を行う。最初の沈黙は“締結”、二度目の沈黙は“留保”、三度目の沈黙は“赦免”に当たるとされ、神職が巻物を開くたびに胸の前へ小さな札を掲げる[17]。
次に「下線奉奠(かせんほうてん)」が行われる。この工程では、参列者が持つ小袋の紐を結び目で9つ数え、最後の結びで必ず一度ほどく。神社は「ほどく行為が、人の代わりを作る鍵になる」と説明する[18]。ただし、古い口伝では“身代わりの名札”が誰かの代替になる、という含意が強く、外部からは倫理面の曖昧さが指摘されている[19]。
終盤には「句点行進(くてんこうしん)」があり、境内の石段を“句点の数だけ”登り降りする。記録によれば、石段は全部で27段で、登り14、下り13とされる[20]。この不均等が「迷いが一歩遅れるため」と説明され、笑い話のように語り継がれている。
また、儀式の後に行われる「句点あめ配布」では、飴の数が参加者の人数に比例し、過不足を防ぐために前日夜に“キャンドルが36本”並べられるとされる[21]。この“計数の癖”が、祭の宗教性を実利に接続し、地域の共同作業として維持してきた面もあると考えられている。
地域別[編集]
では、都市の夜間物流と結びつき、再誓約儀のために境内周辺の歩道が一時的に封鎖される運用がある。神社が発行する案内文書には「封鎖は12分」「解除は太鼓の余韻が消えたのち」と細かく書かれており、地元では“役所手続きの祭り”として少し半ば真面目に語られる[22]。
一方で、近隣の内では“句点行進”だけを切り出した簡略版が広まったとされる。そこでは、石段の数ではなく「手拍子の回数」を27回に合わせることで代替する。伝承では「数を数えられる者は迷いに勝つ」とされ、幼い子どもが中心になって参加することが多いという[23]。
さらに、地方都市の一部では記号を読みやすくするため、祭の夜に灯す行灯(あんどん)へ大きく「。_。」が描かれる。たとえばの協力自治会では「行灯を28基」とし、うち1基だけ色を変える運用があるとされる[24]。もっとも、変色した行灯が“留保の不吉”だという噂もあり、地域差が新たな物語を生む構造になっていると解される。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 慈光稲荷神社編『芝稲荷縁起草(第七冊)』慈光稲荷神社史料刊行会, 1956.
- ^ 伊能真澄『記号と祭礼の都市史』山手学芸出版社, 1989.
- ^ L. K. Motswana『Ritual Punctuation and Substitution Tokens』Journal of Comparative Symbolics, Vol.12 No.3, pp.44-61, 2002.
- ^ 田坂和馬『暦の読み替えと儀礼工学』東京暦學会, 1997.
- ^ Margaret A. Thornton『The Ethics of Substitution in Urban Shrines』University of Eastfield Press, 2011.
- ^ 小田切澄人「戊の日の社会運用—夜間封鎖の前例」『港都行政史研究』第4巻第2号, pp.101-129, 2008.
- ^ 中村梓『句点饅頭の意匠—甘味に潜む誓文』甘味文化研究会, 2015.
- ^ R. Ndlovu『On the Semiotics of Offerings Across Oceans』Vol.9, No.1, pp.1-19, 1995.
- ^ 要出典『再誓約儀の復元と解釈(改訂版)』芝湾文化資料室, 1974.
- ^ 高橋礼子『記号信仰の調査手法(簡易版)』日本記号民俗学会, 2020.
外部リンク
- 慈光稲荷神社 祭礼アーカイブ
- 港区暦と行事データベース
- 句点饅頭研究会
- 記号儀礼・市民講座ポータル
- 夜間封鎖の歴史メモ