あぺるたんつ
| 名称 | あぺるたんつ |
|---|---|
| 別名 | 影踏み舞、apertance |
| 発祥 | 日本・東京都台東区周辺 |
| 成立年代 | 1927年ごろ |
| 主な用途 | 舞台演出、都市儀礼、採光訓練 |
| 基本動作数 | 12種 |
| 標準拍数 | 7拍子系 |
| 普及期 | 1930年代前半 |
| 保護団体 | 日本あぺるたんつ保存協会 |
あぺるたんつは、の下町で育まれたとされる、光と影の差分を踏み踏みで可視化するための民俗的舞踏技法である。末期にの小劇場から広まり、後にやの分野にも影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
あぺるたんつは、足運びとの角度によって空間の「抜け」を測るために考案されたとされる舞踏である。一般には踊りの一種として扱われるが、初期の文献ではやに近いものとして記述されている。
名称はの露店で売られていた西洋飴菓子「あぺる」に由来し、そこにフランス語風の語尾を付けたものだとする説が有力である。ただし、当時の記録を精査した研究者の中には、実際には「アパルトメント」を聞き違えた町工場の工員が広めたのではないかとする者もいる[要出典]。
定義の揺れ[編集]
この曖昧さが、かえって各地への拡散を容易にしたとされる。特にの港湾地区では、荷役作業のリズム訓練として応用され、のちにのダンスホールで洗練された型が定着した。
歴史[編集]
誕生と初期の普及[編集]
にはの百貨店屋上で公開講習が行われ、1日あたり平均1,240人が見学したと記録されている。講習後、屋上の柵に沿って「影の測り方」を試す客が増え、警備員が注意書きを3回増刷したという逸話が残る。
制度化と戦前の拡大[編集]
の報告会では、日本の都市芸能の一例として紹介されたが、通訳が「apertant dance」を「opening dance」と訳してしまったため、会場では照明器具の新製品かと誤解された。これが海外における初期の混乱を生み、のちに英字表記が定まらない原因になったとされる。
戦後の再編と保存運動[編集]
にはの特集番組『影を踏む日本人』で一度だけ全国放送され、放送直後に問い合わせ電話が2,300件を超えたという。半数以上は「子どもの運動会で使えるか」という質問だったが、残りは「あの人たちは何を測っていたのか」という純粋な疑問であった。
技法[編集]
あぺるたんつの基本は、足音ではなく床面の明暗変化を数える点にある。演者は、の内側で3回だけ止まり、残りの4拍で影を前に押し出すとされる。
代表的な動作には、窓辺で片足を引く「窓返し」、背後の灯りを横に逃がす「灯流し」、二人で互いの影を交差させる「交差盆」がある。これらは舞台映えする一方、狭い廊下ではほぼ実用にならないため、稽古場の設計にまで影響を与えた。
また、上級者になると、演技者の呼吸によって影の輪郭がわずかに揺れる現象を利用し、観客に「今、空間が一段広くなった」と錯覚させる。これをと呼ぶ研究者もいるが、心理学者の間では「単に照明が暗いだけではないか」とする慎重論も根強い[要出典]。
服装と道具[編集]
標準衣装は裾の長い作務衣風の上衣に、先端が鈴状に割れた地下足袋を合わせる。鈴は音を出すためではなく、光を受けたときに金属縁が細く光るようにするためのものであるとされる。道具としては、小型の手鏡と黒布が用いられ、熟練者はこれを折り畳み傘のように携行した。
の講習用手引書には「鏡は1枚で十分、ただし心構えは3枚持て」との記述があり、これは後世の編集である可能性が高いとされる。
採点法[編集]
大会では、姿勢、影の輪郭、停留時間、観客の無意識な後退距離の4項目で評価されることが多かった。満点は100点であるが、実際には83点以上で優勝とされ、84点以上が出ると審査員が採点表を見直す慣例があった。
の大会では、優勝者の影が審査用の白線を越えたとして失格寸前になったが、主審が「影は身体ではない」と裁定し、以後のルールブックに1行だけ異様に長い注釈が追加された。
社会的影響[編集]
あぺるたんつは、舞台芸術の域を超えて都市計画にも影響したとされる。後半のでは、商店街のアーケード設計に「影が1.8メートル先で止まる高さ」が好まれ、照明配置の基準として一部採用された。
教育分野でも、児童の姿勢矯正や集団行動の訓練に応用されたとされ、の調査では、導入校の遅刻率が平均で11.2%下がったという。ただし、同じ調査で「窓際で立ち止まる児童が増えた」とも報告されており、因果関係は不明である。
一方、都市文化研究者のは、あぺるたんつが戦後の「狭い部屋でも踊れる美学」を先取りしたと論じた。これに対し、実務家側からは「単に電気代が高かっただけではないか」との反論もあり、今日まで議論が続いている。
大衆化とメディア露出[編集]
のの文化紹介冊子に、来賓向け余興として1行だけ触れられたことで、あぺるたんつは一時的に国際的関心を集めた。実際には競技場外の控室で披露されたにすぎないが、その後「開会式で上演された」という記憶違いが各地に広まった。
には深夜番組のコーナー「今夜の影芸」でしばしば取り上げられ、視聴者が自宅の蛍光灯で真似をする現象が起きた。集合住宅の壁に影を投影して練習する人が増え、苦情が管理組合に月平均6件寄せられたという。
地方差と方言化[編集]
地方に広まるにつれ、名称や手順は方言化した。では「ぺるたん」と短縮され、では雪明かりの中で行うため動作がゆっくりになった。では影より風を重視する亜種が生まれ、これを「かぜあぺる」と呼ぶ集団もある。
こうした変化は保存協会にとって頭痛の種であったが、逆に地域文化の保存に役立ったともいわれる。特にの農村部では、収穫祭の余興として現在も年に2回ほど継承されている。
批判と論争[編集]
あぺるたんつをめぐっては、早くから「舞踏であるのか、照明技術であるのか」という批判が存在した。舞踊研究者は身体性を強調したのに対し、建築家は採光の再現性を重視し、両者の議論はの公開討論会で一度激しく衝突した。
また、起源譚の多くがの小劇場に収斂することから、「後年のファンによる神話化ではないか」とする見解も強い。とりわけ、鶴見宗一郎の弟子を名乗る人物が3名現れたにもかかわらず、いずれも履歴に不整合があったことは、研究史上の大きな論点である。
さらに、保存協会がに定めた「標準12動作」に対し、伝統派の一部は「本来は14動作である」と主張して分裂した。両派は現在も年1回の合同演舞を行っているが、開始前の整列位置で毎回揉めるため、実質的には仲が悪いままである。
研究史上の論点[編集]
の調査では、初期資料の6割以上が戦後に複写されたもので、原本の所在が曖昧である。これにより、1920年代の実態は後世の再構成である可能性が高いと指摘されている。
ただし、の旧家から発見された稽古帳には、窓の向きと足運びが異常に細かく記録されており、少なくとも何らかの実践が存在したことは否定しがたいとされる。
商業化への反発[編集]
には観光ショー化が進み、土産物として「影型せんべい」や「踏み跡マグネット」が大量に売られた。保存協会はこれに抗議し、結果として一時期は「踊る前に売店を通るな」という奇妙な内規まで作られた。
もっとも、売店収益が地方保存活動の資金源になったため、批判しながらも黙認されていた面がある。
現代における位置づけ[編集]
21世紀に入ると、あぺるたんつは伝統芸能というより、都市の光環境を考えるための文化資源として再評価された。にはの関連企画で若手演者が招かれ、舞台照明家との共同制作が行われた。
また、以降は在宅時間の増加に伴い、オンライン講習「家あぺる」が流行した。受講者はカメラの前で半歩だけ進み、画面内の影を整えることを求められたが、背景補正機能と相性が悪く、講座後半は講師が毎回設定説明に追われたという。
現在はやの一部会員が共同で調査を進めており、2024年時点で確認された流派は全国で31、非公開サークルを含めると50前後に達すると推定されている。
継承活動[編集]
継承活動では、動作そのものよりも「影の気配を読む」感覚教育が重視される。子ども向け講座では、体育館の床にチョークで引かれた白線をまたぎながら、自分の影が線を越える瞬間を待つ練習が行われる。
この講座は好評で、にはの文化事業として延べ8,600人が受講した。ただし、受講後に体育館の照明配置へ口を出す児童が増え、学校側が説明会を開いたとも伝えられる。
国際展開[編集]
海外では、の小劇場やの実験舞台で断続的に紹介されている。フランスでは「danse de l'ouverture」と誤訳されたまま定着しかけたが、日本人研究者の抗議により、結局は原語に近い形へ戻された。
もっとも、現地の演者は足運びよりも影の消し方に関心を示すことが多く、国際版あぺるたんつは本家より抽象化が進んでいるといわれる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 鶴見宗一郎『影と拍子の都市芸能史』日本民俗芸能出版, 1934, pp. 21-48.
- ^ 佐伯美津子『浅草六区における即興舞踏の生成』東京文化評論社, 1968, pp. 113-151.
- ^ Margaret H. Ellison, "Apertant Movement and Urban Light", Journal of Comparative Folklore, Vol. 12, No. 3, 1979, pp. 44-67.
- ^ 藤堂久美子『都市の影を踏む——あぺるたんつ再考』青弓社, 1986, pp. 9-35.
- ^ 小林一真『採光術としての舞踏技法』建築と身体研究所, 1994, pp. 201-233.
- ^ Norbert K. Ives, "The Apertance Problem in Postwar Japan", Architecture & Ritual Studies, Vol. 8, No. 1, 2002, pp. 77-102.
- ^ 日本あぺるたんつ保存協会編『標準十二動作解説書』協会資料室, 1990, 第2巻第1号, pp. 1-88.
- ^ 渡辺千晴『家あぺる入門』みどり書房, 2021, pp. 5-29.
- ^ R. T. Holloway, "Opening Dances and Their Shadows", Proceedings of the Institute for Light Anthropology, Vol. 4, No. 2, 2015, pp. 130-149.
- ^ 北条玲子『影型せんべいの文化史』下町出版会, 2008, pp. 64-91.
- ^ 高瀬修一『あぺるたんつの起源は窓辺にあり』朝日新書, 2017, pp. 17-38.
- ^ 小林まりあ『踊る前に売店を通るな——観光化と保存運動』港区文化研究, 1999, pp. 3-14.
外部リンク
- 日本あぺるたんつ保存協会
- 東京文化史研究所
- 国立劇場アーカイブ
- 都市照明学会
- 浅草芸能資料館