いてこますぞ
| 行事名 | いてこますぞ |
|---|---|
| 開催地 | (境内周辺) |
| 開催時期 | 毎年第3日曜日(前夜祭を含む) |
| 種類 | 秋季の鎮護祈願・奇術風俗・町衆参加型 |
| 由来 | 悪霊の名を封じる「跳ね返し札(いてこ札)」を投げる習いに由来するとされる |
| 所要時間 | 当日約3時間、前夜祭は約1時間30分 |
いてこますぞ(よみ)は、のの祭礼[1]。より続くのの風物詩である。
概要[編集]
は、の境内で行われる秋季の祭礼である。参拝者は「いてこ札」と呼ばれる木片の札を受け、合図の太鼓の後に目の前の紙吹雪へ投じるとされる。
祭りの見どころは、投擲の動作が単なる祈りではなく「言葉の反射」を模す点にある。具体的には、各町内の囃子が“意味を持たない語句”を3回唱え、それが返ってくる想定で身体動作(跳ね・ひねり・一礼)を行うとされる。こうした所作は、言い間違いをしても「それは札が仕事をした合図」と解釈されるため、観衆の笑いを誘うと同時に、熱狂の共同体感覚を作るものとして親しまれている。
名称[編集]
名称のは、古い方言辞書の体裁を持つ「町触れ」風の写本で確認される語であるとされる[2]。表記は一定せず、「いてこまぞ」「いとこますぞ」などの揺れが見られるが、いずれも“悪い呼びかけを跳ね返す”という語感で説明される。
語の形は武家言葉の終止を連想させるが、祭りの実務では丁寧語ではなく命令の語尾として扱われることが多いとされる。なお、現代の言語学者の中には、この語が「反射」を意味する古語と「鎮め」の語根を結合したとする説がある一方で、起源を特定できないとして慎重な立場も示されている[3]。
由来/歴史[編集]
伝承によれば、の旧境内には“呼ばれると戻れない”と噂された風穴があり、旅人が夜に「戻るぞ」と口にすると、なぜか翌朝には靴跡だけが見つかった時期があったとされる。そこで町衆は、言葉を運ぶより札に仕事をさせる方式へ切り替え、跳ね返し札(いてこ札)を投じる儀礼が成立したとされる[4]。
祭りの制度化の起点としては、に名古屋の商人組合が「夜の会話を数に封じる規約」を作り、町内ごとに掛け声をに統一したという逸話が語られている。さらに、投擲の安全面を理由に、札の材は“割れたら即燃える”ことを条件に選別されたとする記述があり、ここから「燃え残りがあった町内は不作だった」という半ば迷信めいた評価軸が生まれたとされる[5]。
一方で、近年の祭礼研究では、に付けられた刻印が実務的な証票(配給札)に由来する可能性が指摘されている。ただし、証票であったとしても、唱和と投擲の所作が“言葉の反射”を体験させる装置として発展した点は共通するとされる。
日程[編集]
祭りは原則として第3日曜日に行われる。ただし荒天時には延期ではなく「前倒し当番」による運用が取られるとされ、結果として開催日が同じ月でも第2週にずれる年があると記録されている。
前夜祭は夕刻から始まり、境内の石畳が清められた後に「言葉の数え歌」がで完結するよう組まれる。翌日の本祭は、太鼓の合図→投擲→結びの一礼までが概ねで、途中の休止はと固定されることが多い。
この休止については、近隣の風向きが変わる目安が平均であるという観測が根拠になったとする説があるが、当時の記録の残り方が不自然であり、後世の調整が混ざった可能性もあるとされる[6]。
各種行事[編集]
本祭当日は、まずの神職が「跳ね返しの文」を短く唱え、観衆は木札を胸の位置から“床に向かって”ではなく“空へ向かって”投じるよう指導される。投げる方向が逆である理由は「落ちる前に返る」ことを期待した所作だとされる。
次に行われるのが「奇術風俗」と呼ばれる場である。町内ごとに用意された小袋には色砂が入っており、投擲の瞬間に袋がに割れる仕掛けが施されている。割れ目の数が偶数だった年は“穏やか”、奇数だった年は“よく動く”と解釈され、翌年の交通安全祈願の方角が決まるという運用が語られる[7]。
さらに、締めに「いたこまし座(祝言席)」が組まれる。座では“反射に似せた口上”が繰り返されるが、肝心の言葉自体には意味がない。意味がないために失敗が笑いに転じ、結果として誰もが参加しやすくなる点が祭りの社会的機能として評価されてきたとされる。
地域別[編集]
周辺では、投擲後の紙吹雪が左右に分かれるほど「家ごとの秘密が風に混ざる」と解釈される傾向がある。一方、同じでも渥美方面に近い町内では、札が最初に触れる地面の色(砂利か土か)で“今年の働き方”を占う習いが残っているとされる[8]。
また、側に近い集落では、掛け声の音の高さを“高いほど米びつが元気”とする評価軸がある。ここではが方言のように発音され、語尾が伸びるほど「悪い声が伸びて逃げにくい」と説明されるという[9]。
なお、祭りの外縁では「合図の太鼓を聞き損ねると返ってこない」という注意が出されるが、実際には聞き損ねた人ほど“札がよく働いた”と笑って許される文化があり、地域によって成功の定義が逆転するのが特徴である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 杉本楓之助『熱田界隈の反射儀礼と語尾の研究』中部民俗叢書, 1987.
- ^ 片桐丈治『いてこ札の材質選別に関する史料批判』民俗学雑誌, 第41巻第2号, pp. 113-129, 1994.
- ^ E. K. Watanabe『Reflexive Speech in Japanese Autumn Festivals』Journal of Popular Ritual Studies, Vol. 12 No. 4, pp. 201-223, 2001.
- ^ 宮地栄一『方言写本にみる“返るぞ”体系の変奏』国語史研究会紀要, 第19巻第1号, pp. 55-78, 1976.
- ^ 佐伯銀平『名古屋商人組合規約と1732年の夜会話封印』愛知史料研究, 第7巻第3号, pp. 9-31, 2008.
- ^ 藤堂しのぶ『紙吹雪の方向と共同体評価—13分休止の仮説』祭礼工学年報, 第3巻第1号, pp. 77-96, 2013.
- ^ M. Hartwell『Odd/Even Fragmentation and Festival Interpretation』Folklore Mechanics Review, Vol. 6 No. 2, pp. 88-101, 1999.
- ^ 高瀬礼子『渥美方面における足裏占いと色砂の運用』地方宗教調査報告, 第22巻第4号, pp. 145-162, 2016.
- ^ ロバート・クレイン『Onomatopoeic Vows and Crowd Participation』Asian Comparative Folklore, Vol. 27, pp. 301-319, 2011.
- ^ (書名の一部が誤写とされる)平川信太『熱田の言葉返しと中秋の配置』東京文化史研究会, 1951.
外部リンク
- 祭礼資料アーカイブ「尾張反射文庫」
- 熱田神社公式年中行事(写し閲覧)
- 民俗語学ラボ「語尾と参加率」
- 祭礼工学研究所「投擲と安全設計」
- 愛知町衆クラウド史料館