いよわ
| 名称 | いよわ |
|---|---|
| 読み | いよわ |
| 英字表記 | Iyowa |
| 出身地 | 愛媛県沿岸部とされるが詳細不明 |
| 活動開始 | 2018年頃 |
| 活動分野 | ボーカロイド音楽、インターネット音楽、映像制作 |
| 代表的傾向 | 高密度な詞、変拍子、視覚ノイズを伴う映像 |
| 所属 | 個人活動 |
いよわは、のを中心に用いられる制作名義であり、後半以降の圏で広く知られている。もともとは沿岸部の方言に由来する「言いよわい」という表現を短縮したものとされ、後に上の匿名制作文化と結びついて定着した[1]。
概要[編集]
いよわは、やを中心に作品を発表してきたの音楽制作者である。一般にはとして知られるが、本人名義の歌唱曲や映像作品も多く、2020年代のを語るうえで欠かせない存在とされる[2]。
名称の由来については諸説あり、最も広く流布しているのは、の港町で使われた「言いよわい」を縮めたという説である。ただし、初期のファンの間では、制作環境の不安定さを示す業界用語「胃弱」から転じたという説もあり、いずれも本人が明確に肯定した記録は残っていない[3]。
歴史[編集]
前史と名義の成立[編集]
いよわの前史は、からにかけて上で断片的に公開された短い打ち込み音源にさかのぼるとされる。当時は作品ごとに名義が揺れており、ある週は「港の午後」、別の週は「雨戸機械」と名乗っていた痕跡が確認されているが、いずれも後年のファンアーカイブで整理されたものである[4]。
夏、の小規模ライブハウスで行われた交流会で、知人の配信者が「いよわ」という表記を誤読したことがきっかけで固定化したという逸話がある。もっとも、この逸話は当事者以外の証言が少なく、半ば伝説として扱われている。一方で、同名の地方方言辞典に同音の項目が見つかったことから、民俗学的な裏付けを与えようとする研究も行われた[5]。
ブレイクと作風の確立[編集]
以降、いよわはを用いた高速な語感処理と、急激な転調、細密なイラストを組み合わせた作品で注目を集めた。特にごろからは、1曲あたり平均前後という短さに対して、歌詞密度が通常のポップスの約に達するとする分析が広まり、音楽理論系のブログでしばしば言及されている[6]。
この時期の特徴として、画面の端にだけ現れる微小な文字情報、数フレーム単位で挿入される赤いノイズ、そして楽曲本編と関係があるようでないような数字列の反復が挙げられる。ファンの間ではこれを「いよわ式周辺記号」と呼ぶが、制作意図については「単なる癖」とする説明と「映像の呼吸を整えるため」という説明が併存している。
社会的反響[編集]
いよわの作品は、文化の内部だけでなく、イラストレーション、歌ってみた、二次創作漫画の領域にも波及した。2021年には、楽曲の歌詞をもとにした短編小説がで多数頒布され、あるサークルは3時間でを完売したと報告している[7]。
また、教育現場での受容も独特で、内の一部の高校で「現代日本語の比喩表現」を扱う授業の補助教材に無断引用された例があるという。これに対し、著作権上の整理をめぐって小さな混乱が生じたが、結果的に「ネット発楽曲の引用の仕方」を考える契機になったと評価する向きもある。
音楽性[編集]
いよわの楽曲は、とを用いた落ち着かない推進力に特徴があるとされる。とりわけサビ前に一度だけ無音に近い空白を置き、その直後に旋律を跳ね上げる構成は、ファンの間で「息継ぎの罠」と呼ばれている[8]。
歌詞面では、身体感覚、都市の雑音、曖昧な人間関係を扱うことが多く、語尾が突然硬質な名詞へ切り替わることが多い。批評家の松永圭介は、これを「情動の逃げ場を作らない書法」と呼び、同時に「一聴すると可憐だが、実際にはかなり暴力的な精度を持つ」と評した。
映像面では、のように見える反復表現と、手描き風の線画を組み合わせた作風が知られる。なお、いよわ本人はインタビューで「映像は曲の説明ではなく、曲の側が映像を説得しているような状態が望ましい」と述べたと伝えられるが、出典はファンメモの転記に依存している。
代表的作品[編集]
初期の代表曲[編集]
初期作品としてよく挙げられるのは、『しーくんの港』や『午後四時の無音機』などの、日常語をわずかにずらしたタイトル群である。これらは再生数こそ後年の代表曲に及ばないものの、既に音像の密度と視覚情報の過多が確認でき、後の作風の雛形になったとされる[9]。
また、公開の『透明な体温』では、歌詞カードに実在しない医療用語を混ぜる手法が採用され、コメント欄で「専門家っぽく見えるが全部おかしい」と話題になった。これは後に、いよわ作品特有の「わかった気にさせる語彙設計」として引用されることになる。
話題作と拡散[編集]
の『だれかの庭』は、上で数千件規模の二次創作を生み、特に歌詞中の一節が切り出されて画像ミーム化したことで知られる。拡散の過程では、歌詞の一部が誤っての文面として転載され、地方自治体の問い合わせ窓口に確認が入ったという珍事も起きた[10]。
の『やさしい溺死』は、タイトルの不穏さに反してメロディが非常に明るく、評論家の間では「いよわ美学の到達点」との評価がある。一方で、楽曲名を初見で公共掲示に書き起こした掲示担当者が注意を受けたというエピソードもあり、作品の解釈可能性の広さを示す例として挙げられる。
批判と論争[編集]
いよわに対する批判としては、情報量の多さが聴取者に負荷を与えるという指摘がある。とくに初見では、映像、歌詞、メロディのどれを追うべきか分からず、音楽体験というより「高速で開く資料集」に近いと評する声もあった[11]。
また、ファンコミュニティの成熟に伴い、作品解釈が過度に精緻化した時期があり、曲中の1秒未満の効果音にまで意味づけが行われることがあった。これに対しては、制作者側の偶然性を神格化しすぎているとの批判が出た一方、そうした読解文化そのものが作品の寿命を延ばしたという反論もある。
さらに、頃には、いよわ作品のサムネイルを模した非公式グッズが大量流通し、周辺の一部店舗で注意喚起が行われた。なお、これが直接の法的措置に発展したかどうかは資料が分かれており、現時点では要出典とされている。
影響[編集]
いよわの影響は、楽曲の制作実務にも及んだ。2020年代半ばには、若手制作者の間で「1曲に3つ以上の視覚トリガーを入れる」「タイトルに曖昧な身体語を置く」といった半ば冗談のような模倣が広がり、ネット上ではこれを「いよわフォーマット」と呼ぶことがある[12]。
また、音楽以外の分野でも、同人誌の装丁、MV風の短尺動画、匿名詩投稿サイトの文体に類似性が見られるとされる。とりわけの学生サークルでは、プレゼン資料にいよわ的な赤黒配色を使う文化が一時的に流行し、指導教員から「見づらいが印象に残る」と評されたという。
総じて、いよわはにおける過密な感情表現と、匿名的な制作人格の結びつきを象徴する存在として扱われている。作品の細部に潜む奇妙な一貫性が、結果として強い作家像を形成したのである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松永圭介『ネット音楽の密度と身体感覚』青弓社, 2022, pp. 114-129.
- ^ 田所由美『ボカロ文化史序説』河出書房新社, 2021, pp. 201-218.
- ^ A. Thornton, “Fragmented Voice and Visual Noise in Japanese Net Music,” Journal of Digital Aesthetics, Vol. 14, No. 2, 2023, pp. 33-57.
- ^ 佐伯凜太郎『匿名名義の成立と都市伝説』岩波書店, 2020, pp. 88-101.
- ^ M. Ellison, “Short-Form Songs and Attention Economy,” Media & Sound Studies, Vol. 9, Issue 1, 2024, pp. 5-26.
- ^ 中村しおり『歌詞の過密化と現代詩の交差点』水声社, 2023, pp. 47-66.
- ^ K. Sato, “The Iyowa Effect in Fan Transcription,” Proceedings of the East Asian Popular Music Conference, 2022, pp. 142-151.
- ^ 藤井一馬『中野以後のインターネット音楽』筑摩書房, 2024, pp. 19-41.
- ^ 小林みどり『赤黒配色の政治学』新曜社, 2021, pp. 77-93.
- ^ Harper, J. “Why the Silence Before the Chorus Matters,” Sound and Meme Review, Vol. 6, No. 4, 2023, pp. 88-104.
- ^ 山本恭介『やさしい溺死と現代感情論』河出書房新社, 2024, pp. 9-18.
外部リンク
- いよわ非公式アーカイブ
- ボカロP研究会
- ネット音楽年表データベース
- 中野サブカル資料室
- 東日本ポップミュージック評論誌