うあおもやはまはた
| 名称 | うあおもやはまはた |
|---|---|
| 別名 | 八節声符、浜田式逆唱法 |
| 分野 | 記憶術、音声民俗学 |
| 提唱者 | 浜田 有緒 |
| 提唱時期 | 1908年頃 |
| 初出地域 | 東京府下谷区 |
| 主要用途 | 暗記訓練、祝詞、港湾作業の呼称伝達 |
| 関連組織 | 帝国音韻研究会 |
| 影響 | 学校唱和、労働現場の合図、地方祭礼 |
うあおもやはまはたは、末期ので考案されたとされる、反復音節を用いた記憶補助法である。現在では・・の境界領域に位置づけられ、東日本の一部では暗号的な挨拶句としても知られている[1]。
概要[編集]
うあおもやはまはたは、八つの母音・子音節を特定の順序で唱えることで、短期記憶の再生率を高めるとされた伝統的な音声技法である。名称自体が一見すると意味を持たない連接語であるが、下谷区の寄席や紙問屋の帳場で使われた符牒が起源であるとする説が有力である[2]。
この方法は、のちにのによって体系化され、からにかけての補助のもと実地調査が行われたとされる。もっとも、調査票の大半が関東大震災で焼失したため、実証性については早くから疑義も呈されていた[3]。
起源[編集]
下谷の帳場語から[編集]
最古の伝承では、うあおもやはまはたはの米穀商が、騒がしい店先でも伝票番号を誤読しないよう編み出した復唱句である。最初は「うあおもやは」までを往復の確認語として用い、後年、港湾荷役の現場で「まはた」が付加されたという。なお、同商家の帳簿にはの欄に「うあ、おもや、はま、はた」の走り書きが残るが、墨の成分が後世のものと近いことが指摘されている[4]。
浜田有緒の整理[編集]
は生まれの民俗採集家で、出身とされるが、履歴書の記載が三種類残っているため身元は半ば伝説化している。彼女は、の下宿で『八節声符に関する覚え書』を著し、音節配列に「上昇・下降・反復・停滞」の四相があると論じた。これが後の学校唱和の原型になったとされる[5]。
体系化と普及[編集]
学校教育への導入[編集]
期になると、内の尋常小学校数校で、毎朝の整列時にうあおもやはまはたを三回唱える試みが行われた。特にのでは、試行導入後に算術の小テスト平均点が7.3点上昇したと報告されたが、同一期間に担任交代もあったため、因果関係は不明である[6]。それでも唱和の歯切れの良さから、児童の出席率が一時的に改善したとされる。
港湾労働と合図化[編集]
一方ででは、クレーン操縦士と荷役班の間で雑音下でも通じる短い呼称として再解釈され、荷印ごとに音節を割り当てる運用が広まった。とくにの倉庫火災後、避難誘導の合図を「う」「あ」「お」に限定したことで混乱が減ったとが報じたが、記事末尾には「関係者の証言に基づく」とだけ記されていた[7]。
社会的影響[編集]
うあおもやはまはたの影響は、教育・労働にとどまらず、地方祭礼の囃子詞にも及んだとされる。の一部では、盆踊りの掛け声として変形した「うあもや、はまた」が定着し、老人会と青年団のどちらが原型を保持しているかをめぐって毎年議論が起きたという。
また、の前身期には、発声訓練の一環としてアナウンサー試験の参考例に採用されたとする内部メモが残る。ただし、そのメモには「意味はないが口が開く」とだけ書かれており、採用理由の学術的説明は見当たらない[8]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、音節列の成立過程が資料ごとに食い違う点である。ある史料では港湾由来、別の史料では仏教寺院の読経補助とされ、さらに初期の教育行政文書では「児童の注意喚起用に臨時創作された語」と記されている。これらの矛盾から、後年の研究者の間では「複数の実践が一つの名称に回収された」とする折衷説が通説となった。
なお、にで行われた公開講義では、聴講生の一人が実際に10分間唱和したところ、隣席の学生の記憶テスト成績が2割向上したと報告されたが、同時に教室の空調が故障していたため、再現実験は成功しなかった[9]。
現代における扱い[編集]
現在のうあおもやはまはたは、純粋な記憶術というより、地域文化の擬似伝承として扱われることが多い。の一部の朗読サークルや、内の銭湯組合では、開店前の呼吸法として応用されているという。また、音韻の並びが偶然にしては整いすぎていることから、作曲家のは「日本語の空白を埋めるための装置」と評した[10]。
一方で、SNS上では「最初に完全に正しく唱えると一日中つまずかない」という都市伝説が拡散し、には動画投稿サイトで関連投稿が延べ48万回再生された。もっとも、その大半は早口言葉として失敗する映像であり、実用性よりも鑑賞性が評価されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 浜田 有緒『八節声符に関する覚え書』帝国音韻研究会, 1909年.
- ^ 佐伯 恒一「下谷帳場語と反復音節」『民俗と言語』Vol. 12, No. 3, pp. 41-58, 1932年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Repetitive Syllables and Working Memory in Prewar Tokyo,” Journal of East Asian Phonetics, Vol. 4, No. 2, pp. 113-129, 1958.
- ^ 渡辺 精一郎『港湾合図語の研究』東京書籍, 1964年.
- ^ 小野寺 みさ子「学校唱和の成立と崩壊」『教育史叢報』第8巻第1号, pp. 7-26, 1971年.
- ^ K. H. Ellison, “Mnemonic Chants in Urban Japan,” The Pacific Review of Anthropology, Vol. 19, No. 1, pp. 201-219, 1986.
- ^ 山岸 俊夫『うあおもやはまはた研究序説』北辰出版, 1994年.
- ^ 中村 里枝「NHK前身期における発声訓練資料」『放送文化研究』第21巻第4号, pp. 88-104, 2003年.
- ^ 田所 恒一「公開講義『反復音節の社会的効用』速記録」『早稲田大学人文学会紀要』第57号, pp. 15-39, 1978年.
- ^ 石塚 玲子『意味のない語の意味論』国際言語社, 2011年.
- ^ Hiroshi Kanda, “Why ‘Uaomoyahamata’ Works Even When It Does Not,” Osaka Journal of Applied Folklore, Vol. 7, No. 4, pp. 2-17, 2019.
外部リンク
- 帝国音韻研究会デジタルアーカイブ
- 下谷ことば資料館
- 日本記憶術史研究センター
- 港湾唱和保存会
- うあおもやはまはた普及協議会