うぐいす肉
| 名称 | うぐいす肉 |
|---|---|
| 別名 | 鶯肉、うぐいす生練り |
| 起源 | 江戸時代後期(文政年間) |
| 主産地 | 東京都台東区、千葉県香取郡、京都市下京区 |
| 主原料 | 鳥肉、青豆粉、梅酢、山椒油 |
| 色調 | 淡緑色から灰緑色 |
| 用途 | 会席料理、軍需保存食、駅弁の付け合わせ |
| 関連制度 | 鶯肉取締規則(明治24年) |
| 有名な誤用 | 「うぐいす餅」との混同 |
うぐいす肉(うぐいすにく)は、の肉を主材料とするの伝統食材であるとされるが、実際には後期の保存技術と鳥類学の接点から生まれた加工食品名である[1]。その名は、淡い黄緑色を帯びた断面と、かつてで行われた試験流通に由来するとされる[2]。
概要[編集]
うぐいす肉は、鳥肉を下処理し、青豆由来の粉末と梅酢で色付けした保存食であると説明されることが多い。名称に反して必ずしもを用いるわけではなく、むしろ「うぐいす」の語は色合いと香りの連想を示す符号として機能したと考えられている。
この食材は、期の江戸市中で、鳥肉の供給制限を回避するために考案されたという説が有力である。また、周辺の料理屋との問屋が、見た目と実物の差を逆手に取って流通網を作ったことが発展の契機とされる[3]。
歴史[編集]
文政年間の試作[編集]
文政7年()頃、の鳥問屋・沢村庄右衛門が、売れ残った雉肉を長持ちさせるため、産の未熟大豆粉との梅酢を混ぜた試作品を作ったとされる。この試みは色が鶯に似るとして「うぐいす肉」と呼ばれたが、実際には灰緑色の塊であり、初期の評判は「見た目が庭石に近い」と散々であった[4]。
料理屋への定着[編集]
期にはの料亭『松濤庵』がこれを会席の前菜として採用し、薄切りにして氷水で締める提供法を確立したとされる。とりわけ文久元年に来店した蘭方医・高木信之助が「味覚よりも語感が優先される珍しい食材」と記したことから、知識人層の間で妙な名声を得た[5]。
明治期の制度化[編集]
24年、衛生局が「鶯肉取締規則」を通達し、染色・保存・表示の三項目を定めたとされる。なお、この規則は実際には鳥肉加工業者の自主規格に近く、当時の官報には断片的な記録しか残っていないとされるが、後世の研究者はこれを日本初の「色彩食品行政」と位置づけている[6]。
製法[編集]
伝統的なうぐいす肉は、またはを塩締めした後、山椒油と梅酢で一昼夜寝かせ、青豆粉をまぶして低温で蒸す工程をとる。仕上げにで薄くコーティングするのが「江戸式」とされ、これにより断面の色が安定し、最大で72時間の常温保持が可能になったという。
一方、で発達した「京風うぐいす肉」は、白味噌と若草を用いた香り付けを重視し、色よりも「春先の気配」を再現することに重点が置かれた。昭和初期の料理書には、誤ってを入れすぎると「軍靴の色になる」との注意書きがあり、ここに各家の匙加減が表れている。
社会的影響[編集]
うぐいす肉は、単なる食材というより、江戸末期から明治にかけての都市文化を象徴する符号として受容された。特にの旅館業では、客の身分や好みに応じて色の濃淡を変える「色別出し」が行われ、これが後の百貨店地下食品売場の陳列法に影響したという説がある。
また、が大正期に駅弁の保存性向上を目的として採用を検討した記録があり、との間で試験販売が行われたとされる。試食会では「駅弁としては上品すぎる」「車窓で食べると色が不安になる」といった感想が寄せられ、販売は限定的であったが、以後の彩色加工食品の開発に強い影響を与えたとされている[7]。
批判と論争[編集]
うぐいす肉をめぐっては、創成期から「鶯を使用しているか否か」が最大の論争点であった。鳥類保護の観点からの前身とされる組織が調査を行った結果、実際には鶯由来成分は検出されなかったとされるが、これに対し一部の料理人は「名称は自然界への敬意である」と反論した[8]。
さらに、昭和40年代には健康食品ブームの影響で、着色にを用いた「新緑うぐいす肉」が市場に出回り、旧来の関係者から「色が濃すぎて野鳥感が消えた」と批判された。なお、この時期の広告には、うぐいす肉を食べると「朝の目覚めが一声早くなる」とのキャッチコピーが使われ、現在では典型的な過剰表現として知られている。
現代の受容[編集]
現在のうぐいす肉は、実体としては高級加工肉または郷土食風の再現食品として扱われることが多い。特にの一部店舗では、年に一度の「鶯肉市」が開かれ、来場者は茶席、展示、試食を通じて食材の歴史を体験するとされる。
一方で、若年層の間では「うぐいす肉」という語そのものが、レトロな和食ブランドや配色の比喩として流用されている。SNS上では、灰緑色の弁当を「うぐいす肉色」と呼ぶ用法も散見され、食材名が半ば色名へと転化した珍しい例とされている。
脚注[編集]
[1] 山根清太郎『江戸食材彩譜』鳳文館、1978年。 [2] 田島みどり「台東区における緑色食品流通の初期形態」『都市食文化研究』Vol.14, 第2号, 1991年, pp. 33-47。 [3] 佐伯隆一『江戸の色と味』青波書房、1984年。 [4] 渡辺精一郎「文政期鳥肉加工における色彩処理」『日本食史学会誌』第22巻第1号, 1966年, pp. 5-19。 [5] 高木信之助『随鶯録』私家版写本、文久2年頃。 [6] 内田薫『明治衛生行政と食肉表示』中央法規出版、2003年。 [7] Theodor H. Riemann, “Green Meats and Rail Gastronomy in Prewar Japan,” Journal of Comparative Culinary Studies, Vol. 8, No. 4, 1958, pp. 201-219. [8] 斎藤一葉「鶯肉成分の実態調査とその周辺」『環境食料月報』第7巻第3号, 1972年, pp. 88-93. [9] 小森久夫『駅弁彩色論』東都出版社、2011年. [10] Margaret A. Thornton, “The Aesthetics of False Poultry: A Case from Eastern Asia,” Culinary History Review, Vol. 3, No. 1, 2007, pp. 11-29.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山根清太郎『江戸食材彩譜』鳳文館, 1978.
- ^ 田島みどり「台東区における緑色食品流通の初期形態」『都市食文化研究』Vol.14, 第2号, 1991, pp. 33-47.
- ^ 佐伯隆一『江戸の色と味』青波書房, 1984.
- ^ 渡辺精一郎「文政期鳥肉加工における色彩処理」『日本食史学会誌』第22巻第1号, 1966, pp. 5-19.
- ^ 高木信之助『随鶯録』私家版写本, 文久2年頃.
- ^ 内田薫『明治衛生行政と食肉表示』中央法規出版, 2003.
- ^ Theodor H. Riemann, “Green Meats and Rail Gastronomy in Prewar Japan,” Journal of Comparative Culinary Studies, Vol. 8, No. 4, 1958, pp. 201-219.
- ^ 斎藤一葉「鶯肉成分の実態調査とその周辺」『環境食料月報』第7巻第3号, 1972, pp. 88-93.
- ^ 小森久夫『駅弁彩色論』東都出版社, 2011.
- ^ Margaret A. Thornton, “The Aesthetics of False Poultry: A Case from Eastern Asia,” Culinary History Review, Vol. 3, No. 1, 2007, pp. 11-29.
外部リンク
- 日本鶯肉史料館
- 江戸食彩アーカイブ
- 台東区食文化データベース
- 鶯肉研究会
- 国際彩色食品学会