うんこの欲張り
| 名称 | うんこの欲張り |
|---|---|
| 別名 | 糞欲張り、便奪り、回収独占 |
| 成立 | 1890年代ごろとされる |
| 地域 | 東京・大阪の下町、後に全国へ拡散 |
| 分類 | 民間経済慣行、都市衛生史、風刺語 |
| 主な担い手 | 肥料商、便所組合、長屋の世話役 |
| 影響 | 肥料相場、共同便所の利用規則、落語・新聞風刺 |
| 関連施設 | 汲み取り場、便所株、回収札 |
うんこの欲張りとは、後期ので成立したとされる、排泄物の処理・保管・再配分をめぐる民間規範および擬似経済概念である。主としてやの共同便所文化の中で語られた[1]。
概要[編集]
うんこの欲張りは、の排泄物をめぐって、特定の業者が過剰に権利を主張したり、逆に住民側が便の所有権を細かく分割して交渉したりする現象を指す語である。現代の研究では、単なる下品な冗談ではなく、とが未整備であった時代の実務用語が、のちに民俗化したものとされている[1]。
この概念は、以前の下町で特に発達したとされる。共同便所を複数世帯で共有するでは、夜間の汲み取り権、子どもの使用回数、病人の排泄物の扱いまで細かく定めた「便札」が存在したという[2]。ただし、この便札の現存例はきわめて少なく、研究史上はしばしば要出典とされる。
成立の背景[編集]
うんこの欲張りの起源については、による下水整備が遅れたことと、の利権構造が重なったことが大きいとされる。とりわけからにかけては、近隣の菜園需要に応じて汲み取り便が高値で取引され、1樽あたりの相場がには前月比で最大37%変動したとの記録が残る[2]。
このため、便を「誰のものとみなすか」が家庭内政治の争点となり、台所の米俵よりも厳密に管理されるケースがあった。便をめぐる取り決めは、地主、借家人、汲み取り人の三者で成立することが多く、便器の使用順を朝刊の配達順と一致させる家まであったと伝えられる。
歴史[編集]
明治期の便所株制度[編集]
ごろ、の一部で「便所株」と呼ばれる権利証が配られたとされる。これは共同便所の使用に応じて、年末に肥料収入の一部を受け取るための証文で、1戸あたりの持ち分が0.25株から1.5株まで細分化されていたという[3]。ある商家では、婿養子が家計に口を出せない代わりに便所株の管理だけを任され、結果として家の実権を握った、という逸話が残る。
なお、の内部文書には「過度の欲張りは臭気の滞留を招く」との記述があるとされるが、文言の原本は未確認である。
大正期の社会風刺[編集]
に入ると、うんこの欲張りは新聞の投書欄やの寄席で風刺の題材となった。とくに以降、復興期の資材不足を背景に、便を独占する者を「臭いの株屋」と呼ぶ言い回しが広まったという[4]。この表現は、実際には肥料市場の寡占を批判する比喩であったが、次第に便所で最初に座る客を指す家庭内スラングへと変化した。
という架空の噺家が、便所の順番争いを株式市場になぞらえた『便所相場』を演じたとされ、録音は残っていないが台本の断片だけがのマイクロフィルム庫にあるという。
戦後の再定義[編集]
戦後になると、による衛生政策と水洗化の進展によって、うんこの欲張りは実務用語としての寿命を終えた。しかし、その後も学校の保健体育や地域史の講演会で、共同体の資源独占を戒める比喩として生き残った[5]。
、のある小学校で配布された副読本には、便の取り分をめぐる父子の対立が掲載され、児童の作文欄に「おとうさんは少し欲張りでした」と書かれる事例が相次いだとされる。これがきっかけで、語は一時的に家庭教育用の道徳語へ転じた。
用法と派生[編集]
うんこの欲張りには、少なくとも三つの用法が確認されている。第一に、汲み取り権を必要以上に囲い込む業者への批判。第二に、長屋内で便器の使用時間を過剰に占有する住人への皮肉。第三に、会議や宴席で「話を独占する人」を遠回しに指す婉曲表現である[6]。
また、派生語として「うんこ半分」「欲張り便」「回収の仁義」などがある。なかでも「回収の仁義」は、便の所有を巡る礼儀作法を指す専門用語として、の古書店街で断片的に採集されたとされる。
社会的影響[編集]
うんこの欲張りは、都市衛生政策よりも先に、共同体内の合意形成を鍛えた概念であったと評価されている。便をめぐる細かな取り決めは、結果としてやの原型的な会合形式に影響したとする説がある[7]。
一方で、肥料流通の効率化を妨げたとして批判も強い。とりわけの農村部では、都市の便を「金になるもの」とみなしすぎる風潮が、衛生と収益の二律背反を生んだとされる。農家の側では、春の追肥期になると便樽の到着を待つ列ができ、ひどい年には内の中継所で12時間以上滞留した記録もある。
批判と論争[編集]
研究者の間では、うんこの欲張りが実在した慣行なのか、後年の都市伝説なのかで見解が分かれている。民俗学者のは「制度化された欲張りがあった」と主張する一方、都市史研究者のは「新聞の風刺記事を史実と取り違えた可能性が高い」と反論している[8]。
また、にが公開したとされる『汲取慣行図録』には、便所株の図解が掲載されているが、図中の人名がすべて魚の名前であるため、後世の落書きではないかとの指摘もある。にもかかわらず、この図録は一部の地域博物館で複製展示され、今なお見学者を困惑させている。
脚注[編集]
[1] 山本清隆『都市の臭気と制度』青柿書房, 1998年. [2] 佐伯美津子『東京便所史の断章』都史出版, 2004年. [3] Paul R. Whitcombe, "Privy Shares and Urban Fertility in Meiji Tokyo", Journal of East Asian Hygiene Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 114-139. [4] 田所英二『大正風刺と下町の便器』北辰社, 2011年. [5] Marjorie K. Ellis, "Sanitation, Satire, and the Postwar Classroom", The Nippon Review of Social History, Vol. 7, No. 1, pp. 21-44. [6] 小野寺和久『会話に残る屎尿語彙』言泉館, 1987年. [7] 河合里奈『町内会の前史としての共同便所』関東民俗叢書, 2016年. [8] 中村肇『便所株をめぐる真偽』東方資料研究, 第4巻第2号, pp. 55-73.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山本清隆『都市の臭気と制度』青柿書房, 1998年.
- ^ 佐伯美津子『東京便所史の断章』都史出版, 2004年.
- ^ Paul R. Whitcombe, "Privy Shares and Urban Fertility in Meiji Tokyo", Journal of East Asian Hygiene Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 114-139.
- ^ 田所英二『大正風刺と下町の便器』北辰社, 2011年.
- ^ Marjorie K. Ellis, "Sanitation, Satire, and the Postwar Classroom", The Nippon Review of Social History, Vol. 7, No. 1, pp. 21-44.
- ^ 小野寺和久『会話に残る屎尿語彙』言泉館, 1987年.
- ^ 河合里奈『町内会の前史としての共同便所』関東民俗叢書, 2016年.
- ^ 中村肇『便所株をめぐる真偽』東方資料研究, 第4巻第2号, pp. 55-73.
- ^ 伊藤久子『肥料相場と都市生活』山手経済文庫, 1975年.
- ^ E. J. Mercer, "The Economics of Excess in Communal Privies", Transactions of the Urban Folklore Society, Vol. 5, No. 2, pp. 9-28.
外部リンク
- 東京下町民俗アーカイブ
- 便所株研究会
- 都市衛生史デジタル資料室
- 下水以前の生活文化館
- 関東民俗断片データベース