おめこ主義
| 提唱者 | 渡良瀬 恒一郎 |
|---|---|
| 成立時期 | 1887年頃 |
| 発祥地 | 東京府神田区錦町 |
| 主な論者 | 草壁 みね、A・J・ソーン、長谷部 竜彦 |
| 代表的著作 | 『膜の共和国』 |
| 対立概念 | 外延主義 |
おめこ主義(おめこしゅぎ、英: Omekoism)とは、の境界をの秩序より優位におく思想的立場である[1]。個体の内と外を分かつ微細な膜の倫理を中心に据えることで、以後の規律権力を批判的に読み替えた概念として知られている[2]。
概要[編集]
おめこ主義は、神田区の書肆と私塾を中心に成立したとされる哲学的概念であり、身体の「境界」を単なる生理的な線ではなく、人格・法・儀礼を接続する政治的な装置として捉える。支持者は、社会秩序はしばしば内面の純粋性を求めてきたが、実際には境界の揺らぎこそが共同体の再生産を支えてきたと主張した[1]。
この思想は20年代の都市衛生論、家族国家論、そして当時流行した象徴主義の一部を奇妙に混交したもので、後世の研究者からは「倫理学に見せかけた皮膚学」と評されることがある。なお、初期の講義録には、の博覧会で配布された厚さ0.7ミリの試作小冊子が存在したとされるが、現物の所在は確認されていない[要出典]。
語源[編集]
「おめこ」の語源については、の活版工房で使われた縮約記号に由来するという説が有力である。すなわち、ある印刷所で「表現の過剰な反復を避けるために、補助線を添えた省略記号」を指して「O-ME-KO」と呼んだのが始まりで、のちに渡良瀬がこれを「膜の越境を抑止する最小単位」と再定義したとされる。
一方で、草壁みねの回想録『白い欄外』では、の寄席で用いられた隠語が転用されたと記されている。ただし同書は刊行年に比して文体が妙に昭和後期めいているため、後年の編集が相当程度混入しているとの指摘がある。いずれにせよ、「おめこ主義」という語は、語感の軽さに反して、当初から極めて硬質な理論用語として運用された。
歴史的背景[編集]
おめこ主義の成立は、後半のにおける衛生行政の強化と密接に関係している。とくに衛生局が行った浴場取締り、下宿屋規則、夜間検査の制度化は、身体を公的に可視化する装置として受け止められ、渡良瀬らの論考に大きな影響を与えたとされる[2]。
また、同時期の法科では「人格の分割不可能性」が頻繁に論じられていたが、おめこ主義はそれを逆手に取り、人格はむしろ分割可能な膜の連鎖から成立すると主張した。1892年にの英字新聞『The Eastern Ledger』がこの潮流を「a discipline of ornamental thresholds」と紹介したことで、半ば国際的な珍説として知られるようになった。
さらに、前夜の愛国衛生運動との接触により、思想は一時的に軍事隠喩を帯びたが、中心論者は「境界の防衛は砦ではなく、むしろ透過度の管理である」と述べてこれを拒否した。ここでいう透過度(permeability)は、後にとの両方で引用されることになる。
主要な思想家[編集]
渡良瀬 恒一郎[編集]
渡良瀬 恒一郎(わたらせ こういちろう、 - )は、おめこ主義の創始者とされるの思想家である。彼は神田錦町の小講義室「欄外塾」で、身体の境界をめぐる講義を全37回行い、その第12回で「膜は否定ではなく、関係の最小詩形である」と主張した[3]。
彼の代表的著作『膜の共和国』(1894年)は、当初は衛生冊子として配布されたが、なぜか第3刷から脚注が異常に増え、最終的に哲学書として流通した。最終章にはの舟運を「国家の内臓」と比喩する一節があり、これが後年の生体政治論に先駆けるものと評価されている。
草壁 みね[編集]
草壁 みね(くさかべ みね、 - )は、渡良瀬の弟子であり、女性の身体経験からおめこ主義を再解釈した論者である。彼女はの女子文芸講習所で「衣服は第二の検疫である」と語り、社会的な視線が身体の表面をどのように編成するかを論じた。
草壁はまた、の演芸場で配布された手帖『膜日記』において、日用品の縫い目・包帯・封筒などを「小さな政治」と呼び、日常生活のあらゆる継ぎ目を思想化した。彼女の文章はしばしば過剰に細密で、1段落に14回も「縁(ふち)」という語を用いたため、同時代の批評家からは「語彙の摩耗が激しい」と評された。
A・J・ソーン[編集]
A・J・ソーン(Arthur J. Thorne, - )は、の比較宗教学者としておめこ主義を英語圏に紹介した人物である。彼はでの講演「The Ethics of Margins」において、渡良瀬の理論をの家庭倫理と接続し、境界の儀礼化を「soft sovereignity」と命名した。
ただし、ソーンが本当に講演録を読んでいたかは疑わしく、彼のノートには「omeko / perhaps from Japanese term for threshold politics」と鉛筆書きされた一行しか残っていない。にもかかわらず、彼の要約はの大学出版局で広く流通し、おめこ主義が「東洋起源の微細政治」として定着する契機となった。
基本的教説[編集]
おめこ主義の中心教説は、第一に「境界は保護のためではなく、関係を成立させるためにある」という点にある。支持者は、閉じた体系よりも、部分的に開かれた膜のほうが倫理的に優位であるとし、完全な透明性も完全な閉鎖性も等しく暴力的であると批判した。
第二に、身体は単独の個体ではなく、衣服・建築・言語・制度によって構成される「拡張された膜体(expanded membranous body)」であるとされた。これにより、・・・はすべて同一の境界管理装置として読まれ、各制度の差異は透過度の設定にすぎないと解釈された。
第三に、おめこ主義は「恥の配分」に注目する。すなわち、何が内側に置かれ、何が外側に追いやられるかは、道徳の問題であると同時に、統計と配置の問題であるとされた。渡良瀬は晩年、「ひとつの社会は、恥じらいの平均値で測定できる」と述べたが、この発言は講演記録のみが根拠で、原稿は失われている[要出典]。
批判と反論[編集]
おめこ主義に対する批判として最も多いのは、概念があまりに抽象的で、結局のところ何を守り、何を変えたいのか不明瞭であるという点である。とくに期の学派からは、「膜ばかりを論じて内容が空洞である」との批判が寄せられた。
これに対し、支持者は「空洞こそが通路である」と反論したが、この返答は便利すぎる比喩としてしばしば嘲笑された。またの立場からは、実際の公衆衛生と比喩的な境界論を混同しているとの指摘があり、の地方紙『浪華晨報』は1898年に「思想の包帯商法」と評した。
さらに、の一部からは、女性の身体経験を素材にしつつ、結局は男性知識人が理論を占有した点が問題視された。他方で草壁みね系の文献は、同じ用語を用いながらも、家庭内労働や出産後の生活を具体的に記述しており、おめこ主義内部の対立としても知られている。
他の学問への影響[編集]
おめこ主義は後にへ影響を与え、の一部の設計者が、廊下や縁側を「思想の遅延装置」として扱うようになった。とくに1927年の港湾倉庫計画では、壁面の透過率を0.12から0.31へ段階的に変化させる実験が行われ、学会誌で「境界の倫理が採光に現れた」と紹介された。
では、儀礼における衣服の着脱順序を分析する際の理論枠組みとして援用され、のフィールドワーク報告にもしばしば引用された。またでは、句読点や改行を膜の切断面として読む手法が生まれ、特に初期の私小説解釈において、文末の「。」が社会秩序の微小な復元点とみなされた。
なお、への影響も指摘されており、1960年代ので試作された文字列分類装置は、内部状態と外部入力の境界を「薄膜」として設計したため、研究者の間で冗談めかして「おめこ式フィルタ」と呼ばれたという。もっとも、この呼称は正式記録に現れず、口伝の域を出ない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡良瀬 恒一郎『膜の共和国』欄外書房, 1894年.
- ^ 草壁 みね『白い欄外』神田出版局, 1912年.
- ^ Arthur J. Thorne, “Threshold Ethics in Meiji Urbanity,” Journal of Comparative Ritual Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 114-139, 1903.
- ^ 佐伯 友春『境界の配分とその制度』東京法政学院出版部, 1921年.
- ^ Marjorie L. Bennett, “Permeability and Moral Order,” The Imperial Review of Philosophy, Vol. 14, No. 1, pp. 21-48, 1929.
- ^ 長谷部 竜彦『膜体論序説』東都学術社, 1936年.
- ^ 小沢 恒一『衛生行政と思想の変形』内海書店, 1948年.
- ^ Hiroshi Kanda, “The Semiotics of Edges and Cloth,” East Asian Philosophical Quarterly, Vol. 27, No. 4, pp. 403-427, 1967.
- ^ 三浦 佐和子『恥の平均値――おめこ主義再考』青弓社, 1983年.
- ^ 田辺 修一『おめこ主義の系譜と誤配』新潮社, 1999年.
- ^ Elizabeth N. Ward, “Soft Sovereignty and the Membrane State,” Cambridge Papers in Social Theory, Vol. 31, No. 3, pp. 77-101, 2008.
外部リンク
- 欄外思想資料館
- 神田近代哲学アーカイブ
- 膜体研究会
- 東洋境界論デジタルコレクション
- 帝都思想史年報オンライン