くさくさくっさぱんちゅうさぎ
| 名称 | くさくさくっさぱんちゅうさぎ |
|---|---|
| 別名 | 臭兎具、三段摩擦兎、KKP-Usagi |
| 分類 | 民俗玩具、都市儀礼具、学校行事用装具 |
| 起源 | 1928年ごろ |
| 発祥地 | 東京市下谷区一帯 |
| 主な素材 | 綿布、麻紐、松脂、竹芯 |
| 用途 | 厄除け、舞踏補助、観覧型遊戯 |
| 流行期 | 1934年 - 1958年 |
| 保存団体 | 日本摩擦玩具保存協会 |
くさくさくっさぱんちゅうさぎは、発祥の、繊維の摩擦音と小型擬態生物の生態観察を組み合わせた民俗的な遊具兼儀礼具である。一般には児童向けの滑稽な玩具として知られるが、その成立には末期の防臭研究と初期の都市娯楽政策が関わったとされる[1]。
概要[編集]
くさくさくっさぱんちゅうさぎは、腰部に装着した布製の“うさぎ形振子”を振動させ、その際に生じる摩擦音と匂いを競う遊具である。名称の「くさくさくっさ」は音象徴に由来し、「ぱんちゅうさぎ」は下谷の女学校で用いられた隠語で、布端が跳ねる様子を兎に見立てたものとされる[2]。
一見すると子どもの悪ふざけの延長に見えるが、実際にはの衛生局が1931年に実施した「近隣臭気の分散実験」と深く結びついていたとされ、・周辺の露店文化と結びつきながら独自の発展を遂げた。なお、最盛期にはの行事参考資料に類似の記述があったという証言もあるが、原本は後の整理で失われたとされる[3]。
歴史[編集]
成立[編集]
起源は1928年、北上野の洋裁学校で、縫製の失敗作を再利用して作られた「臭気確認用の試作品」に求められる。工房主のは、松脂を染み込ませた布片が擦れる音に注目し、これを兎形に束ねて腰紐に下げることで、歩行時のリズムが一定になることを発見したとされる[4]。
当初は防臭試験の補助具であったが、1929年の夏に沿いの盆踊りで偶然披露され、観客が「くさくさ」と囃したことから、名称が定着したという。ここで重要なのは、匂いそのものよりも、匂いを笑いに転化する共同体的な技法として受容された点である。
普及[編集]
1934年にはの前身にあたる「東京娯楽器具懇話会」が、学校祭向けに標準寸法を定めた。標準型は全長27.5cm、耳部の振幅は最大14度、連続使用時間は12分以内とされ、これを超えると布地が“泣く”として推奨されなかった[5]。
1937年にはやにも伝播し、商店街の福引景品として大量頒布された。特にの玩具店「三浦商店」では、1日平均84個が売れ、閉店後に裏口で兎形パーツだけが盗まれる事件が3件続いたと記録されている。
衰退と再評価[編集]
戦後は合成繊維の普及により摩擦音が変質し、くさくさくっさぱんちゅうさぎは「古臭い」「においが穏当すぎる」として一時衰退した。しかし1956年、の子ども向け番組『あそびの窓』で特集されると、都市伝説的な人気が再燃し、の一部小学校では学芸会の定番小道具となった[6]。
一方で、1962年にが「衛生観念の乱れを助長する恐れがある」として注意喚起を出したことから、公の場での使用は急速に減少した。ただし、注意喚起文には品名を一字誤記した版が存在し、研究者の間では“くさくさくっさパンチュウサギ事件”として知られている。
構造と動作原理[編集]
標準型は、兎耳状の二枚羽、松脂含浸布、腰紐、竹芯の四部からなる。腰に装着して左右へ三歩進むと布同士が擦れ、低周波の「くっさ」という音が発生する。続いて竹芯が反動で跳ね、兎耳が「ぱんちゅ」と鳴る設計であり、この二段階の音響が名称の由来であるとされる[7]。
また、上級者向けには「くさくさくっさ二重縫い型」や、匂いをほとんど出さずに音だけを強調する「無臭派生型」も存在した。無臭派生型は本来の趣旨から外れるとして批判されたが、学校側では「教室が臭くならない」として歓迎されたため、結果的に最も普及した型になったという矛盾がある。
なお、1935年版の解説書では、初心者が使用すると「兎が先に疲れる」と記されているが、動物を使うわけではないため、現在では比喩的表現と解釈されている[要出典]。
社会的影響[編集]
くさくさくっさぱんちゅうさぎは、単なる玩具ではなく、都市生活における“気まずい匂い”を共同体で処理する装置として機能した。特に長屋や共同便所の密集する地域では、これを使った拍子に住民同士が謝罪と笑いを同時に行う慣習が生まれ、近隣紛争の予防に役立ったとされる。
1938年のは、「悪臭を笑いに変える新風俗」としてこれを報じ、同年の流行語「くさくても、くっさくても、前へ出よ」を全国紙面に掲載した。さらにの講習会で、災害時の避難列整備のリズム教材として採用された記録もあるが、実際にどの程度の効果があったかは不明である[8]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、第一に衛生上の問題、第二に「貧困層の臭いを娯楽化している」との指摘であった。とりわけの社会学者・は、1939年の論文で「匂いの笑いは階層差を隠蔽する」と述べ、都市民俗の政治性を論じたとされる[9]。
他方で、製造元のは「本品は臭気を売るのではなく、臭気への態度を売る」と反論し、これが後年の広告コピーの祖型になった。なお、1970年代には海外の民俗博覧会で“Japanese Smell Bunny”として紹介され、全く別物のアロマ玩具と誤認された事件があり、国際展示委員会の議事録に小さく残っている。
保存と現代の扱い[編集]
現代では、実用品としてではなく、や地方の郷土資料館で保存展示されることが多い。保存状態の良い個体は約43点確認されており、そのうち12点は使用者の汗染みが“文化財的に重要”として除去されていない[10]。
2018年にはの商店街で復元ワークショップが開かれ、参加者216人のうち実際に完成まで到達したのは37人であった。完成後、展示担当者が全員に「屋内では振らないでください」と注意したところ、最年少参加者が「じゃあいつ使うんですか」と返した、というエピソードが記録されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精三郎『布端振子と都市臭気の相関』東京娯楽器具研究所, 1932年.
- ^ 佐伯美濃子「摩擦玩具の階層性に関する一考察」『帝国大学社会学雑誌』第12巻第3号, pp. 41-67, 1939年.
- ^ Harold T. Wexler, The Smell-Bunny Question in East Asian Public Play, University of Pennsylvania Press, 1964.
- ^ 三浦兼吉『心斎橋玩具景品史』浪速文化書院, 1951年.
- ^ 東京市衛生局『近隣臭気分散実験報告書』東京市公報, 1931年.
- ^ Margaret A. Thornton, Rattle, Rag, and Rabbit: Minor Civic Toys of Modern Tokyo, Vol. 8, No. 2, pp. 119-140, 1978.
- ^ 日本摩擦玩具保存協会編『くさくさくっさぱんちゅうさぎ復元手引』東都資料社, 2004年.
- ^ 『あそびの窓』編集部「特集・鳴る布と笑う子ども」NHK放送文化月報, 第5巻第9号, 1956年.
- ^ 佐伯美濃子『臭いの政治学』青林館, 1940年.
- ^ Kenta Morishige, Notes on the Kussakussa Standard Type, Journal of Fabric Acoustics, Vol. 3, No. 1, pp. 7-19, 2011.
外部リンク
- 日本摩擦玩具保存協会アーカイブ
- 台東区郷土資料デジタル目録
- 東都民俗玩具研究会
- 昭和遊具標本庫
- Kusakusa Usagi Oral History Project