やまもも
| 分類 | 山野の果実・加工素材 |
|---|---|
| 主な用途 | 民間療法、飲料・菓子、発酵原料 |
| 起源とされる地域 | 北縁の山地(伝承) |
| 関連する技法 | 低温乾燥、蜂蜜漬け、薄塩発酵 |
| 研究領域 | 、 |
| 特徴 | 色素の安定性と、酸味の閾値が話題になる |
| 法規・規格 | 地方自治体の「食品衛生手順書」に記載があるとされる |
やまもも(英: Yamamomo)は、日本各地の山地で採取されるとされるであり、古くからやと結び付いてきたとされる[1]。一方で、その正体を巡ってはとの間で長く議論が続いている[2]。
概要[編集]
やまももは、一般には山地に生える果実として知られ、民間では酸味の強さを利用したやの材料として語られることが多いとされる[1]。また、乾燥品は携行食として扱われ、冬山や炭焼きの現場で「色が落ちない」ことが重視されたという記録がある[3]。
ただし、文献ごとに「やまもも」の指す対象が揺れており、としての同定が完全に一致していないとされる。特に、後述するように、戦時期の流通統制の中で「外見が近い果実」がまとめて同名で呼ばれた経緯があるためだと説明されることが多い[4]。このような事情から、やまももは単なる果実ではなく、制度と味覚の折り合いとして発展してきた素材だと見なされることもある[2]。
名称と分類[編集]
「やまもも」は、語源研究では「山の“もも”」という素朴な解釈がまず提示されるが、実務上はそれだけでは説明できない変種の存在が指摘されている[5]。例えば、群馬県の採集会で、同じ採取日の測定データにもかかわらず果汁のpHが0.6単位ずれる事例が報告されたとされる[6]。このことは、呼称が生物学的分類よりも「調理上の性質」で運用されていた可能性を示すとして論じられた。
分類の系統としては、果汁の色調を基準にする「赤黒系」「朱系」「淡桃系」などの便宜区分が共有されたとされる[7]。この区分は、後にの安定性評価へも流用されたが、同時に研究者間の齟齬を生んだともされる[8]。なお、地方の聞き書きでは、収穫の“良し悪し”を味ではなく、樹皮の香りの強弱で判定するやり方が語られている[9]。
このように、やまももは「植物としての同一性」よりも「加工適性の合意」によって束ねられてきた語である、という見方がある[2]。
歴史[編集]
起源:炭焼き互助制度と“赤い果汁の規格”[編集]
やまももの制度的な登場は、江戸後期のをめぐる互助組合に遡るとする説がある。埼玉県の史料調査では、周辺の共同貯蔵室に、果汁の「色度指数」を記録する帳簿が残っていたとされる[10]。帳簿では、果汁を布で濾した後にガラス板へ塗布し、昼光下で赤みが何“筋”残るかを測ったという、やけに手作業じみた手順が記されていた。
この指標がのちに“規格”として定着し、同名の果実が流通するようになったと推定されている。つまり、やまももは「果実」から出発したのではなく、「色が残る液体」を確保するために呼称が統一された結果、後から生物学的同定が追いついていった、という逆転の物語が語られる[4]。なお、測定誤差を抑えるために、雨天の作業を禁じた日数が年内で平均9.2日と記されていた点は、史料として妙に説得的だと評されている[11]。
発展:軍需甘味工房と“酸味閾値”の研究開発[編集]
さらに20世紀前半、食糧が統制された時期に「甘味の希釈材」としてやまももが注目されたとされる[12]。ここで関与したのは、の下部組織である「嗜好品統制実験班」(通称・)だったとされる[13]。班は、砂糖の代替として果汁を濃縮し、甘さの“立ち上がり”を酸味で調整する研究を行ったという。
有名な実験として、「酸味閾値テスト」が挙げられる。これは試料を水で段階希釈し、試食者の舌の反応を「5秒以内に眉が寄るか」で判定する、という非科学的に見える手法だが、当時の報告書では判定者を3名に固定し、合意率を平均83.7%に調整したと記されている[14]。こうした“現場感”のある数値が採用されたことで、やまももは甘味工房の標準材料として普及していった。
ただし、同じ時期に別の果実も便宜的に同名で呼ばれた可能性が指摘されており、これが現在の同定の揺れにつながったのではないかと議論されている[8]。
近代:自治体規格と“健康志向”の拡散[編集]
戦後は、やまももがの領域へ再配置され、乾燥品の摂取が「胃の落ち着き」に寄与すると伝えられた[15]。その背景として、各地の保健所が実施した「保存性点検」に、やまもも由来の乾燥果実が混入していたという逸話がある[16]。当時の点検票には、湿度の許容量が「室内平均湿度が62%未満であること」といった、曖昧なのに妙に具体的な条件で書かれていたとされる。
また、やの一部では、地元の販売組合が「やまもも加工手順書」を作成し、薄塩発酵の回数を“最低でも3回”とする慣行が広まったとされる[17]。この「3回」がいつから根拠化されたのかは不明だが、研究会の議事録では「酸臭が消えるまで、平均で46時間を要した」という記述が残っているとされる[18]。この数字は一度広まると修正されにくい性質があり、結果として加工法が標準化された一方で、食文化の多様性を削ったとも批判されている[19]。
社会的影響[編集]
やまももは、地域の食を“制度化”する役割を担ったと考えられている。例えば、観光パンフレットでは、収穫体験が「食の学習」へと再解釈され、果実の説明に色度指数の話が混ざることがある[20]。この結果、味そのものより「規格に合うかどうか」が体験の軸になったとする指摘がある。
一方で、やまももの普及は地場産業の雇用にも関わったとされる。実際にの関連団体である「地域果実活用推進協議会」が、やまもも加工の講習を年12回開催し、受講者数を初年度で約1,140名に達したとして報告した例がある[21]。ただし、講習の内容が一様化しすぎたことにより、伝統的な家庭加工が“古い手順”として扱われる場面もあったとされる[22]。
このように、やまももは食材であると同時に、地域の語り方や評価軸を変える装置として作用した可能性が指摘されている[2]。
批判と論争[編集]
最大の論争は、やまももという呼称が必ずしも単一の生物種を指していないのではないか、という点である。食品表示の運用では「加工上の同等性」を優先するため、研究者が目視で同定しづらい試料が混在することがあるとされる[8]。そのため、の分野では「数値は合っているが、由来が違う」という批判が繰り返されている。
また、民間療法としての効能についても疑問が呈されている。ある民俗学者は、やまももの摂取が体感として胃に効いたように感じられる理由を「温かい飲み物として提供されること」と関連付け、果実固有の成分より生活文脈が大きい可能性を述べたとされる[23]。ただし、その一方で、温熱以外にも酸性度が発酵微生物の環境を変える可能性を認める研究もあり、結論は単純ではない。
なお、論争の中で一度だけ“酸味閾値”が再現実験に失敗した報告があり、その際の試食者が「眉が寄る以前に顔面が先に疲れる」とコメントしたという記録が残っているともされる[14]。この逸話は学術的には小さく扱われるが、なぜか当時の班員の間では伝説化したとされる[24]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐藤朋樹『色度指数による山果の運用史』山岳食品学会出版部, 2012.
- ^ Margaret A. Thornton『Substitution Sweeteners in Wartime Japan』Cambridge Field Press, 2009.
- ^ 伊藤栄司『嗜好品統制実験班の記録――嗜統班報告書再読』行政資料研究所, 1998.
- ^ 中村和馬『酸味と味覚評価の実務心理学』味覚工房叢書, 2015.
- ^ 李慧倫『Regional Fruit Naming and Taxonomic Drift』Journal of Applied Phytochemistry, Vol. 41 No. 3, 2021, pp. 77-102.
- ^ 高橋玲子『保存性点検票が語る食の変遷』保健所アーカイブ研究会, 2006.
- ^ Gustavo R. Benítez『Color-Fast Anthocyanin Myths in Local Commodities』International Review of Food Folklore, Vol. 12 Issue 2, 2018, pp. 13-31.
- ^ 渡辺精一郎『山果加工手順書の正規化――“3回”の由来』食品規格史研究叢書, 2001.
- ^ 小林祐介『やまももの同定問題:目視と分析のあいだ』植物分類学通信, 第27巻第1号, 2019, pp. 22-45.
- ^ (書名が微妙に噛み合わない)田中時雄『山のもも:実在しない樹種の博物誌』中央文庫, 1976.
外部リンク
- 山果色度アーカイブ
- 嗜統班資料デジタル館
- 地域果実活用推進協議会
- 味覚評価実務研究室
- 保存性点検票コレクション