ゆりっぺ〜宮本顕治の妻に生まれたこと〜
| タイトル | ゆりっぺ〜宮本顕治の妻に生まれたこと〜 |
|---|---|
| ジャンル | 歴史群像劇、家族ドラマ、伝記フィクション |
| 作者 | 佐伯悠真 |
| 出版社 | 星雲出版 |
| 掲載誌 | 月刊ネオ羅針盤 |
| レーベル | ネオ羅針盤コミックス |
| 連載期間 | 2009年4月号 - 2014年11月号 |
| 巻数 | 全12巻 |
| 話数 | 全68話 |
『ゆりっぺ〜宮本顕治の妻に生まれたこと〜』(ゆりっぺ みやもとけんじのつまにうまれたこと)は、によるの。『』()において連載された[1]。
概要[編集]
『ゆりっぺ〜宮本顕治の妻に生まれたこと〜』は、後期から初期にかけてのを舞台に、ひとりの女性が「生まれつき宮本顕治の妻である」と家族に認識されてしまったことから始まるである。作者のは、実在の政治史研究を下敷きにしながら、婚姻・戸籍・記憶の三者が食い違う世界観を構築したとされる[2]。
作中では、主人公・が幼少期より「ゆりっぺ」と呼ばれ、町内会、労働組合、学習塾の三者から別々の呼称で管理される過程が描かれる。とりわけという名をめぐる誤認は、単なる名前の取り違えではなく、級の文献管理システムに由来する制度的錯誤として扱われ、読者の間で「戸籍系ヒューマンドラマ」とも称された[3]。
単行本は発売初週で推定4.8万部を記録し、2012年には風の架空企画で特別賞を受けたとされる。また、編集部が「戦後家族ものの更新」として売り出した結果、若年層よりも以上の読者に強く受容され、累計発行部数は最終的に216万部を突破した、とされている。
制作背景[編集]
本作は、佐伯がの古書店街で見つけた、破損した名簿台帳と赤鉛筆の走り書きから着想したという説が有力である。初期プロットでは労働運動を扱う予定はなかったが、編集担当のが「妻に生まれた」という文言を見て、結婚を戸籍ではなく社会的役職として描く案を提案したとされる[4]。
連載開始時、作品は「難解すぎる」と評され、掲載誌内でもアンケート順位は中位にとどまった。ところが第14話で、ゆり子がの区役所で自分の婚姻届を閲覧し、そこに自分以外の筆跡で「妻として出生」と記されていることを知る場面が話題となり、以後は急速に部数を伸ばした。この回は担当編集が実際にの講習会に出席して得たメモを基に、三日で描き上げられたとされる。
なお、作中の細部設定には、の党大会資料、旧の貸本屋の伝票、の古い住民票様式などを混線させた痕跡があり、資料考証の段階で二十数名の協力者が関わったとされる。一方で、ゆり子の祖母だけは「最初から全部わかっていた」という説明が最終巻まで伏せられ、読者間で最大の論争点となった。
あらすじ[編集]
幼少期編[編集]
主人公は、の郊外で生まれたとされるが、出生届の余白に「宮本顕治の妻」とだけ書かれていたため、家族からは幼いころより“ゆりっぺ”と呼ばれて育つ。彼女は幼稚園で自分の将来職業欄が空白であることに気づき、先生に相談するが、「妻は職業ではなく状態である」と返される。この台詞が本作の基本姿勢を決定づけたとされる。
小学三年のとき、ゆり子は町内の回覧板で自宅がではなく「世帯婦長」と記されていることを知り、家の前で初めて激しく泣く。この場面では、背景にだけ行きのバスが六本通過し、生活の現実感を過剰に補強している点が評価された。
青年期編[編集]
中学以降のゆり子は、の夜間定時制に通いながら、自分の名前が各種名簿で「木下ユリ」「木下由理」「宮本ゆりっぺ」に揺れていることを知る。彼女はこれを訂正しようとしての窓口を訪れるが、担当者から「戸籍上の配偶関係は文書より先に人格に宿る」と説明され、逆に混乱する。
一方で、同級生のは、彼女を救うために地方自治体の記録閲覧請求を繰り返す。しかし、請求書はなぜかの区民センターではなく、区内の学童保育室に回され、そのたびに申請が保留になる。ここから作品は、制度の迷宮を歩くロードムービー的展開へ移行する。
妻性覚醒編[編集]
物語後半では、ゆり子が自らの中に「妻性」と呼ばれる不可視の感覚を発見する。この妻性は、相手の存在に依存せず、食卓の箸の数、洗濯物の干し方、名義変更のタイミングによって揺らぐと説明される。彼女がの古い集合住宅で暮らし始めると、階段の踊り場に貼られた昭和期の掲示がすべて自分宛てに見え始める描写は、作中屈指のホラー場面である。
最終局面では、ゆり子が「私は誰かの妻として生まれたのではない、妻という制度そのものに生まれたのだ」と宣言し、町会、家族、党組織の三者に対して離脱届を提出する。しかし提出先はすべて別の窓口に回送され、最後のコマでは、その用紙がの地下書庫に静かに保管されるところで幕を閉じる。
登場人物[編集]
は本作の主人公であり、通称ゆりっぺである。控えめで理知的だが、戸籍と感情が一致しないと眠れなくなる体質を持つ。
は、作中では実在の人物名を借りた「制度上の夫」として扱われる。本人の姿はほとんど登場しないが、彼の署名だけがあらゆる重要書類に現れ、物語の軸を形成する。
は、ゆり子の同級生であり、後に記録整理ボランティアとなる。彼は全68話のうち41話で何らかの控え印を押しており、読者からは「押印の人」として親しまれた。
は祖母で、家族の中で唯一、真相に最も近い位置にいる人物である。最終巻で彼女が語る「女はみな、どこかで一度は誰かの妻として扱われる」という台詞は、批判と共感の両方を集めた。
は担当編集をモデルにしたキャラクターで、作中では常にメモ帳を持ち歩き、事実より先に見出しを決める男として描かれる。
用語・世界観[編集]
作中における「妻性」とは、婚姻関係の有無にかかわらず、社会制度が個人に付与する従属的な属性を指す。これは作者が独自に定義した概念であり、作中ではの会議資料や家計簿、役所のゴム印などに宿るとされる。
また、「出生妻届」という制度が存在する世界設定が採用されており、これは生まれた瞬間に配偶者情報を先取りして登録する架空の仕組みである。劇中では、の窓口が混雑すると届出が「来世分」まで前倒しで処理されることがある、と真顔で説明される。
地理面では、内の実在地名が多数登場する一方、、、といった半架空の地区名も混在する。このため読者の中には、聖地巡礼を試みて迷子になった者も多いとされる。
書誌情報[編集]
単行本はよりネオ羅針盤コミックスレーベルで刊行された。初版は各巻1万5000部前後であったが、第6巻以降は帯に「累計100万部突破」の文句が入り、書店の平台を異常に長く占拠した。
各巻末には「戸籍資料監修」としての名が記されているが、同団体が実在したかは不明である。また、第9巻の特装版には、ゆり子の婚姻記録を模した透明下敷きが同梱され、当時のファンの間で実用品として地味に人気を集めた。
なお、最終12巻のみ判型が微妙に大きく、奥付に「再確認用」と印字されている点が特徴である。これは印刷所の誤植ではなく、編集部が「この作品は一度では理解できない」という判断のもとで採用したとされる。
メディア展開[編集]
2016年には系深夜枠でテレビアニメ化され、全11話に再構成された。アニメ版では戸籍窓口の描写が過度にリアルであったため、放送後に一部自治体の問い合わせ件数が増えたという逸話がある。主題歌「妻は窓口で待っている」は配信限定で累計18万ダウンロードを記録した。
同年には舞台版『ゆりっぺ〜再婚届はまだですか〜』がの小劇場で上演され、観客の入退場管理に実際の整理番号ではなく「世帯番号」が用いられた。さらに、翌年にはスマートフォン向けの記録整合パズルゲームが配信され、夫婦欄を正しく並べ替えるだけの単純な内容ながら、地味に中毒性が高いと評された。
一方で実写映画化企画も進んだが、権利処理の段階で「宮本顕治」という名前を字幕に出せるかどうかで揉め、最終的に企画は棚上げとなった。これにより、本作は「映像化にもっとも向かないのに、最も議論された漫画」として知られるようになった。
反響・評価[編集]
連載当時、本作は読者アンケートで極端に評価が割れた。若年層からは「設定が異常に重い」と敬遠された一方、世代の一部からは「家族制度の本質を突いている」と高く評価された。とりわけ第52話の「役所は人を救わない。ただ書類を救うだけだ」という台詞は、ネット掲示板で二万件を超える引用を生んだ。
批評家のは、同作を「ポスト家制度漫画の極北」と呼び、との双方を横断する稀有な例として論じた。ただし、別の評論では「作者が戸籍の仕組みを半分しか理解していないまま勢いで押し切った感がある」と指摘されており、研究者の間でも評価は安定していない。
最終的に本作は、社会現象とまではいかないものの、結婚観をめぐる議論を妙に硬直化させた作品として記憶されている。いまなお古書店では、なぜか第8巻だけが頻繁に抜けており、その理由については「読者が途中で制度に飲まれたから」と冗談めかして語られている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯悠真『ゆりっぺ制作ノート――戸籍と家族のあいだ』星雲出版、2015年。
- ^ 高瀬真一『月刊ネオ羅針盤 編集後記集 第3巻』星雲出版、2016年。
- ^ 神崎礼「制度としての妻性」『現代漫画評論』Vol. 18, No. 2, pp. 44-61, 2017.
- ^ Marjorie H. Bell, "Kinship Errors in Postwar Manga", Journal of Fictional Media Studies, Vol. 9, No. 4, pp. 201-229, 2018.
- ^ 東雲法規研究会編『戸籍様式と漫画表現の相関』白桐書房、2014年。
- ^ 田辺志郎「ゆりっぺにおける窓口描写の行政学的考察」『社会と印影』第7巻第1号, pp. 12-35, 2019.
- ^ Eleanor V. Price, "The Domestic Bureaucracy Effect", Quarterly Review of Imaginary Studies, Vol. 22, No. 1, pp. 5-28, 2020.
- ^ 木村みのり『アニメ化されなかった実写映画の記録』蒼林社、2021年。
- ^ Hiroto Senda, "From Marriage to Filing: A Taxonomy of Wifehood", East Asian Narrative Review, Vol. 14, No. 3, pp. 88-110, 2022.
- ^ 『再婚届はまだですか――舞台版ゆりっぺ完全記録』池袋演劇資料館、2017年。
外部リンク
- 月刊ネオ羅針盤公式アーカイブ
- 星雲出版コミックス案内
- 東雲法規研究会資料室
- ゆりっぺ聖地巡礼マップ
- 妻性研究所オンライン