アルダリア王国
| 国名 | アルダリア王国 |
|---|---|
| 公用語 | 古アルダ語、宮廷ラテン語 |
| 首都 | ヴェルダン城砦 |
| 成立 | 1537年(二重戴冠令) |
| 滅亡 | 1811年(王室再編布告) |
| 政体 | 選王制を伴う君主制 |
| 通貨 | アルダール金貨 |
| 国教 | 灯火聖餐派 |
| 版図 | 最盛期で約41,800平方キロメートル |
アルダリア王国(アルダリアおうこく、英: Kingdom of Aldaria)は、風の封建制を基盤にしつつ、琵琶湖流域の塩交易と王立灯火院の暦法で知られるとされる架空の王国である[1]。なお、同国はの「二重戴冠令」によって事実上の統一王国となったとされるが、その成立過程には今なお異説が多い[2]。
概要[編集]
アルダリア王国は、の山岳地帯と河川港を結ぶ交易国家として記憶されているとされる。とりわけ琵琶湖に似た「内海」をめぐる塩専売制度と、王立灯火院が管理した暦の精度が、周辺諸侯に強い影響を与えたと説明されることが多い[3]。
一般にはに成立した王国とされるが、実際には複数の伯領、修道院領、港湾都市同盟が段階的に結びついた連合体であったとする説が有力である。なお、王国名の「アルダリア」は古アルダ語で「燃える堤」の意とされるが、この語源についてはの写本群を根拠にした説と、に残る税務台帳を根拠にした説が対立している[4]。
成立史[編集]
二重戴冠令と統一[編集]
1537年、南部のエルデ公国と北部のサルミス司教領のあいだで起きた関税紛争を収拾するため、ヴェルダン城砦で「二重戴冠令」が公布されたとされる。これは一人の国王に二つの冠を授けるのではなく、二人の候補者を同時に即位させ、以後は共同統治を義務づける極めて珍しい制度であった[5]。
この制度は、当初は内乱の回避策として導入されたが、のちに玉座の左右に置かれた二つの王笏の長さが0.8ミリ異なっていたことが宮廷記録から判明し、以後150年にわたる「笏の正統性論争」の火種となった。王室会計局の帳簿では、この差を修正するために銀職人へ年3回の再研磨費が支払われている。
王立灯火院の創設[編集]
には王立灯火院が設立され、灯明の燃焼時間を基準にした独自の暦「アルダ歴」が整備された。灯油1壺で何夜分の祈祷が可能かを測る実験が、出身の修道士フィリッポ・ザンニによって行われ、結果として王国全土で夜間通行証の更新期限が統一されたとされる[6]。
灯火院は単なる宗教施設ではなく、気象観測、交易航路の灯台管理、さらには王室の宴席における蝋燭の本数まで監督していたため、当時の外交文書には「最も実務的な聖職者集団」と記されている。もっとも、1563年の夏に灯火院の大時計が鳩の巣で停止し、暦改正が一週間ずれた事件は、後年まで笑い話として語られた。
拡張と周辺諸国との関係[編集]
17世紀前半、アルダリア王国はヴァンデル海沿岸の造船都市を併合し、最盛期にはとを支配したとされる。とくに商人団との間で結ばれた「塩と麻布の二重協定」は、輸入麻布の幅を王国標準の「三掌半」にそろえる条項を含み、織物業者の反発を招いた[7]。
一方で、王国は軍事国家というよりは帳簿国家であったとも評される。征服地の城壁より先に関税台帳が作成され、各村に一人ずつ「塩量監査官」が派遣されたため、住民のあいだでは「剣より先に秤が来る国」と呼ばれていたという。
社会と制度[編集]
アルダリア王国の社会は、貴族・港湾市民・塩井民・修道会員の四層からなると説明されることが多い。特に塩井民は内海沿岸の塩田に住む半農半漁の民で、年に一度だけ王室へ「白い結婚パン」を献上する義務があり、このパンの直径は必ず27センチ以上でなければならなかった[8]。
法制度の特徴として、争いごとの判決に砂時計が使われた点が挙げられる。裁判官は、被告と原告が交互に砂時計を反転させ、その合計落下時間が9分を超えた場合にのみ証言を採用できたとされる。なお、の「逆転砂時計事件」では、証言者が砂ではなく乾燥豆を詰めたため、法廷が三日間沈黙したという記録が残る。
教育面では、が有名である。ここでは12歳になると全員が「王冠文字」と呼ばれる速記法を学び、最も優秀な生徒は王の寝言を清書する係に任命された。この職は名誉あるものとされたが、実際には夜間勤務が連続14日を超えることもあり、離職率は高かったとみられる。
経済[編集]
王国経済の基盤は塩、蜜蝋、羊毛、ならびに内海で採れる黒真珠であったとされる。とくに黒真珠はにアムステルダムの骨董商が再評価するまで忘れられていたが、当時の宮廷台帳では年間平均で1,240粒が王室倉庫に納められていた[9]。
また、王国では「夜間税」が広く知られている。これは午後9時以降に灯火を3本以上使用する家屋に課される税で、徴税の効率化のため、税吏が各戸の窓に小さな鏡を差し込み、内部の明るさを測定したとされる。鏡が原因で多くの住民が目を痛めたことから、後に「まばたき補償金」が導入されたが、その存在は一部の史料にしか見えないため、要出典とされることがある。
貨幣制度では、アルダール金貨のほかに「半燭銭」が流通していた。半燭銭はろうそくの長さではなく、鋳造時の温度が正午の石畳の温度と一致することを条件に合格とされたため、夏季の鋳造場は異常な混雑を見せたという。
文化[編集]
アルダリア文化の中心は、季節ごとに行われる「灯台劇」と呼ばれる野外演劇であった。これは港の灯台を舞台装置として用い、船乗りが自ら台詞を読み上げる形式で、最長の上演記録はの『白帆と七つの鐘』で、休憩を含めて38時間に及んだとされる[10]。
音楽では、弦楽器「アルダルフィ」が有名である。王宮楽団では3本の弦しか張らないことが伝統とされ、4本目を張ると「王の気分が変わる」と信じられていた。なお、の楽譜出版社がこの楽器の構造を誤記したことから、近代に入って一時的に四弦版が「正統」として流行した時期がある。
文学では、宮廷詩人ユリウス・ヴァン・ヘーレンの『塩の眠り』が国民的叙事詩とみなされている。もっとも、現存写本の多くは行頭に料理の献立が混じっており、学界では写字生が退屈のあまり自分の昼食を挿入したのではないかと推測されている。
歴史的評価[編集]
アルダリア王国は、軍事的な征服よりも制度設計によって周辺へ影響を与えた国家として評価されている。とくにオランダの干拓行政や神聖ローマ帝国の関税統制に、同国の帳簿形式が模倣されたという説があり、ウィーンの文書館には「アルダ式三列記帳」を参照した痕跡があるとされる[11]。
一方で、王国史研究には「灯火院史観」と「関税台帳史観」という二大潮流が存在し、前者は宗教改革の中心を暦制に、後者は財政改革の中心を物流管理に置く。両者はしばしば激しく対立したが、1964年の国際中世経済学会では、昼食のスープがこぼれたのをきっかけに和解したという逸話が残る。
現在では、アルダリア王国は実在の国家ではなく、複数の交易圏と地方伝承が結合してできた「書記官たちの想像国家」であったという見方もある。ただし、王宮の床下から毎年少しずつ増えるという謎の塩壺群の説明は、研究者の間でもなお一致していない。
脚注[編集]
脚注
- ^ Margaret A. Thornton, "The Ledger Kingdoms of Northern Inland Seas", Journal of Imaginary Medieval Studies, Vol. 18, No. 2, 1987, pp. 114-139.
- ^ 佐伯 恒一『アルダリア王国税制史序説』青嶺書房, 1998年.
- ^ Claude Berthier, "Aldarian Double Coronation and the Politics of Twin Thrones", Revue d'Histoire Apocryphe, Vol. 7, No. 4, 2001, pp. 201-233.
- ^ 中村 里奈『王立灯火院と暦の統治』白水社, 2012年.
- ^ Philipp von Zann, "On the Burn Time of Sanctified Oil in Aldaria", Transactions of the Royal Lantern Institute, Vol. 3, No. 1, 1552, pp. 1-26.
- ^ Klaus Eberhardt, "The Salt Merchants of Verdan Fortress", Mitteilungen zur Fantastischen Wirtschaftsgeschichte, Vol. 11, No. 5, 1974, pp. 55-81.
- ^ 伊東 宗介『半燭銭の鋳造温度について』大蔵史料出版社, 2007年.
- ^ Eleanor Finch, "Night Tax and Mirror Inspection in Early Modern Aldaria", Economic Antiquities Quarterly, Vol. 24, No. 3, 1995, pp. 300-327.
- ^ Jean-Luc Moreau, "The Three-Handbreadth Cloth Decree: A Case of Over-Regulation", Annales des Marchés Inventés, Vol. 9, No. 2, 1968, pp. 88-104.
- ^ 田所 美紗子『塩の眠り——アルダリア叙事詩研究』王国文学刊行会, 2020年.
- ^ Friedrich Langen, "Why the Fourth String Ruined Aldarian Music", Proceedings of the Leipzig Society for Unnecessary Philology, Vol. 6, No. 2, 1931, pp. 77-92.
外部リンク
- 王立灯火院文書室
- アルダリア史料アーカイブ
- ヴェルダン城砦考古学会
- 北方内海交易研究センター
- アルダリア王国研究会