ウガンダの山城
| 名称 | ウガンダの山城 |
|---|---|
| 別名 | 高地砦、雲上城館 |
| 成立 | 19世紀後半 - 20世紀初頭 |
| 所在地 | ウガンダ西部高地、エンテベ台地、ルウェンゾリ山麓 |
| 建築様式 | 石積み土塁式、湿潤地適応型城郭 |
| 用途 | 防衛、収税、季節祭祀、星位観測 |
| 主要研究機関 | 東アフリカ高地遺構調査局 |
| 登録状況 | 1978年に一部が仮登録、2004年に再調査 |
| 代表的遺構 | カサンガ城、ナキワレ外郭、ムパロ観測塔 |
ウガンダの山城(うがんだのやまじろ、英: Mountain Castles of Uganda)は、高地に点在する、石積みと焼成土を併用して築かれた丘城群の総称である。主に後半から初頭にかけて整備されたとされ、雨季の防衛と儀礼用天文観測を兼ねた特殊な城塞として知られている[1]。
概要[編集]
ウガンダの山城は、の高原地帯に築かれた防衛施設群であり、地元では古くから「雲を閉じ込める城」とも呼ばれている。城郭は標高1,200〜1,900メートルの尾根上に置かれ、外周を火山岩の乾式石積み、内郭を粘土と牛糞を混ぜた補強壁で固める点に特徴がある。
その起源については長く諸説あったが、近年では系の辺境監督官と、の交易路を掌握していた山岳共同体が共同で整備したとみる説が有力である。なお、谷あいの霧を利用して敵兵を迷わせる「霧籠り式防衛」なる技法が採用されていたとされるが、この部分は文献ごとに記述が大きく異なる[2]。
歴史[編集]
起源伝承と初期築城[編集]
築城の端緒は頃、と称するスコットランド系測量技師がから北西の交易路を踏査した際、丘陵上に複数の「自然の城壁」を記録したことに求められる。もっとも、地元口承ではこれ以前に、系の城主一族が『雷を避けるため』に山の斜面へ仮設の土塁を築いたのが始まりとされる。
には、英領保護領当局が徴税拠点の整理を進める中で、カサンガ高地にある砦を「Mount Station No. 4」と台帳化したことが確認されている。このとき石積みの角度が29度前後に統一されたとされるが、測量図には27度と31度が混在しており、後年の補筆ではないかとの指摘がある[要出典]。
拡張期と山岳税制[編集]
からにかけて、城郭群は一度に最大12基の小砦を含む連絡網へと拡張された。これはが導入した「山岳通行札」制度に対応するためで、通行人は城門で塩、鉄線、あるいはヤギ1頭相当の通行税を支払ったと記録されている。
この時期、城壁の上部には雨水を誘導する木製の樋が設けられ、そこに青いガラス玉を埋め込む習俗が広まった。玉は夜間の見張りにおける目印であると同時に、星位観測の基準点でもあったとされるが、の植民地文書館に残る図面では単なる装飾として扱われているため、評価は割れている。
衰退と再発見[編集]
に入ると、山城の軍事的役割は急速に低下した。トラック道路の延伸により尾根道の重要性が薄れ、いくつかの外郭は牛の囲い場や茶葉乾燥棚に転用された。特にでは、守備兵のための見張り塔が1941年までに三度も鶏小屋へ改造されたことが、修復記録から判明している。
、の民俗学講座が夏季調査を実施し、初めて「山城」を単独の文化現象として報告した。調査団は、城門の隙間に差し込まれた木片の摩耗を数値化し、来訪者数を推定しているが、計算式が独特で、なぜか『ヤギの通過回数×3.4』で補正されている。
構造[編集]
山城の基本構造は、外郭、内郭、観測塔、そして降雨時の退避路から成る。特に外郭は、現地で『眠るヘビ』と呼ばれる蛇行壁で構成され、直進侵入を避けさせるために意図的に通路幅を変化させている。
最も著名な例であるでは、主門の幅が1.7メートル、奥行きが9.3メートルで、門番が2人同時に横並びできないよう設計されたとされる。また、壁面の上端には20〜30センチ間隔で小窓が穿たれており、雨季にはそこから燻したトウモロコシの香りを流して敵の判断力を鈍らせたという伝承が残る。
一方で、内部の居住区は意外に簡素で、長椅子と粘土壺、乾燥させたサイザル麻が置かれる程度であった。これについてに寄贈された復元模型では、寝室の天井が異様に高く作られており、展示担当者が『山での威厳を表現した』と説明している。
機能と儀礼[編集]
ウガンダの山城は単なる防衛施設ではなく、収税、婚姻、星見、天候祈願の複合拠点であった。城主は年に三度、城壁上で『雲割りの火』を焚き、霧の濃さによって翌季の交易価格を決めたと伝えられる。
また、山城には『石の拍手』と呼ばれる独特の儀礼があった。これは門柱の反響音を聞いて来訪者の出自を判断するもので、拍手が3回であれば山麓民、5回であれば巡礼者、7回であれば税吏とみなされた。もっとも、この分類法は現地の語り手ごとに異なり、の聞き取りでは拍手回数がなぜか11回まで増えている。
毎年8月の満月には、城の最上段で山芋とバナナ酒を供える『雲の晩餐』が開かれたとされる。儀礼後には参加者全員が一斉に外郭を逆回りで歩くが、これは霊を戸口から入れないための措置だという。なお、の都市民俗研究会は、この逆回りが実は単に出口を間違えた客人の動きを慣習化したものではないかと推測している。
研究史[編集]
植民地期の記録[編集]
、行政官が『高地小砦に関する覚書』を作成し、山城を「アフリカ内陸部の稀な半恒久建築」と分類した。彼は壁面の角度や排水路に強い関心を示したが、肝心の住民への聞き取りは2名分しか行っていない。
この時点では、山城は軍事施設というより、気候に応じて集落全体が移動する『山上の倉庫』と見なされていた。後年の研究では、彼の記録に出てくる『倉庫』が実際には乾燥させた魚を吊るす祭場であった可能性も指摘されている。
独立後の再評価[編集]
、が初の総合調査を実施し、砦跡から炭化したトウモロコシ、真鍮製の鈴、そして子ども用の木靴片を発掘した。これらの遺物は『防衛と生活が不可分であった証拠』とされた一方、木靴片だけが周辺で普及した形式とまったく合わず、後の展示では『用途不明』の札が付けられている。
にはが3Dレーザー測量を行い、山城群が少なくとも47基、うち常時使用されたものが18基であると推定した。もっとも、同報告書の付録Bでは49基と書かれており、編集段階で数え直しが発生したらしい。
社会的影響[編集]
山城は、山岳地帯の共同体に『高い場所に住むことは権威である』という観念を定着させた点で重要である。これにより、19世紀末から20世紀初頭にかけて、村の長老が急に丘の上へ家を建てたがる現象が各地でみられたとされる。
また、城郭に付随する石積み技法は、のちに学校建築や教会の基壇にも応用され、周辺では『山城型ベンチ』と呼ばれる背の高い待合椅子が流行した。これは雨季に座面が濡れにくいという実利があったが、背もたれがあまりに高いため、役所の窓口で居眠りしてもすぐ見つからないという副作用も報告されている。
一方で、城跡を観光資源化する動きはしばしば摩擦を生んだ。には近郊の遺構で、案内板の『観測塔』を『展望台』と誤訳したことから、地元の保存会が『星を見に来る人と写真を撮りに来る人は同じではない』と抗議した。
批判と論争[編集]
ウガンダの山城をめぐっては、そもそも『城』と呼べるのかという批判がある。防衛施設としての連続性が弱く、砦、儀礼場、倉庫、見張り台が混在しているためである。これに対し擁護派は、山城とは構造の厳密な定義ではなく、山の上に『誰かが本気で守ろうとした痕跡』の総称であると主張している。
さらに、青いガラス玉の埋設が本当に星位観測のためだったのかについては、掲載の論考を含め、意見が分かれている。ある研究者は『見張りの子どもが退屈しないよう並べただけではないか』と述べたが、この発言は一部で強い反発を招いた。
最大の論争は、の仮登録以降に行われた復元工事で、城壁の一部が観光用に滑らかに塗り直された件である。地元では『新しい石より古い泥のほうが記憶を持つ』という格言が生まれ、以後の修復ではあえて不均一な補修跡を残す方針が採用された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ John P. Ellery『Castles Above the Clouds: Highland Fortifications of the Interlacustrine Region』Oxford University Press, 1998.
- ^ K. M. Ssentongo『山岳税制と城郭の相関』東アフリカ地理学会誌 Vol. 14, No. 2, pp. 113-146, 2003.
- ^ Margaret A. Thornton『The Blue Beads of Kasanga: Ritual Optics in Ugandan Hill Forts』Cambridge University Press, 2007.
- ^ 渡辺精一郎『ウガンダ高地城塞の成立に関する一考察』『アフリカ史研究』第22巻第4号, pp. 55-79, 1989.
- ^ Amina N. Kato『霧籠り式防衛の民俗学的検討』Makerere Historical Review Vol. 9, No. 1, pp. 1-28, 2011.
- ^ H. L. Wharton『Memorandum on the Hill Stockades of the Protectorate』Colonial Survey Press, 1909.
- ^ S. B. Mukasa『石の拍手と山上祭祀』『民俗と建築』第7巻第3号, pp. 201-230, 1976.
- ^ Peter J. Holmby『Uganda's Mountain Castles and the Problem of Vertical Sovereignty』Journal of African Architectural Studies Vol. 18, No. 4, pp. 401-439, 2015.
- ^ ルウェンゾリ文化遺産基金編『カサンガ遺構群3D測量報告書』カンパラ出版局, 2004.
- ^ Naomi K. Lwanga『雲の晩餐と季節経済』『高地社会史叢書』第3巻第1号, pp. 88-104, 2019.
- ^ Richard T. Mbewe『The Mountain Castle That Measured Goats』East African Antiquity, Vol. 6, No. 2, pp. 77-90, 2001.
外部リンク
- ウガンダ高地遺構調査局
- ルウェンゾリ文化遺産基金
- 東アフリカ城郭建築アーカイブ
- カサンガ遺構群デジタル台帳
- マケレレ大学民俗建築研究室