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ウリクルセブン

この記事はAIが生成したフィクションです。実在の人物・団体・事象とは一切関係ありません。
ウリクルセブン
名称ウリクルセブン
読みうりくるせぶん
分類瓜類統合流通規格
成立1968年頃
提唱者佐伯久太郎、M. H. Caldwell ほか
主管東日本青果包装研究会
適用地域関東一円、静岡東部、仙台市場
基準数7種
廃止1984年ごろに運用停止

ウリクルセブンは、東京都の市場流通史において語られることの多い、七種の瓜類を一括して束ねるための規格名である。もとは昭和40年代に農林水産省系の外郭団体で試験的に用いられた呼称とされ、のちに包装技術と民間流通の双方に影響を与えた[1]

概要[編集]

ウリクルセブンは、を中心とする青果物を七つの規格群に分け、箱詰めと伝票処理を簡略化するために考案された制度である。名称の由来は「瓜を来る七方位に分ける」という市場用語の転訛とされるが、実際には神奈川県の倉庫街で発生した誤読から定着したという説が有力である[2]

この規格は、後半の青果物流通の混乱期に、東京都中央卸売市場周辺の仲卸業者が自発的に使い始めたものとされている。一方で、実際の運用には明確な全国基準はなく、紙箱の印字、棚札の色分け、検品印章の位置など、現場ごとに異なる解釈が併存していた点が特徴である。

成立の背景[編集]

戦後の都市部では、千葉県埼玉県からの瓜類の搬入量が急増し、品種名よりも「軽い」「重い」「水気が多い」といった曖昧な区分が優先されるようになった。特に夏には、の前身施設である大井仮設集配場において、同一便に11種類の瓜が混載され、検収係が伝票を束ねるだけで半日を費やしたことが、制度化の直接の契機になったとされる[3]

これに対し、は、箱の側面に7色の丸印を付けることで、品目を一目で判別する方式を試験導入した。色は白、薄緑、黄、橙、灰、藍、深緑の7種で、のちに「七転調印方式」とも呼ばれた。なお、深緑の印だけはインクが高価であったため、実際には墨を二度塗りして代用されたという。

制度の運用[編集]

七区分の内容[編集]

ウリクルセブンでは、概ねメロンヘチマに相当する7群が想定された。ただし、当時の市場ではズッキーニが「西洋の細長い瓜」として半ば別扱いされていたため、実務上は第6区分と第7区分が頻繁に入れ替えられていた。

現場での細則[編集]

仕入れ帳の記載には、商品名のほかに「皮の張り」「種の音」「箱を振った際の水鳴り」の3項目を0〜4点で記すことが求められた。もっとも、音を測るための標準器は存在せず、各市場が独自に選んだ金属匙で代用していたため、測定値には最大で18%の誤差があったとされる[4]

普及と影響[編集]

1971年には横浜市の関内地区で、ウリクルセブン対応の木箱が1万2,400箱製造され、同年の夏季出荷の約37%を占めたとされる。これにより、包装業者は箱の側面に「U7」とだけ刷り込む簡略印刷を採用し、結果として上初めて、品目より規格番号が先に流通する現象が生まれた。

また、における統合規格の成功例として、農林水産省内の会議資料にもたびたび引用され、後年の「果菜類コード表」および「箱面積規格」の原型になったとされる。ただし、実際には現場の作業員が「U7」と書かれた箱を見て別の倉庫へ送ってしまう事故がだけで26件発生し、制度への信頼は必ずしも安定しなかった。

批判と論争[編集]

批判の中心は、七区分という数字が「説明には便利だが、実物には合わない」という点にあった。とりわけの温室農家は、同じメロンでも糖度、網目、重心位置で十数種類に分けられるとして、ウリクルセブンを「机上の7、現場の19」と揶揄した記録が残る[5]

また、にはの分科会で、ウリクルセブンの名称が英語風でありながら実際には和製の造語であることが問題視された。しかし、会議の議事録では最後に「名称の奇妙さこそ制度定着の要である」と結ばれており、結果として批判は制度存続の根拠として逆用された。

終焉とその後[編集]

1980年代に入ると、電子発注とバーコード管理の普及により、箱の色分けよりもコード番号の方が重要になったため、ウリクルセブンは次第に使われなくなった。とはいえ、1984年の「関東青果合同見本市」では、記念展示として7種の瓜が円形に並べられ、来場者の半数以上がそれを新製品の試食会と誤認したという。

その後も、千葉県北部の一部市場では「七印」と呼ばれる略称が慣習的に残り、箱の裏面にだけ小さくU7の印字を入れる業者が存在したとされる。なお、の聞き取り調査では、当時の検品主任11人のうち4人が「そもそもウリクルセブンは規格ではなく掛け声だった」と証言しており、実態はなお議論の余地がある。

脚注[編集]

関連項目[編集]

脚注

  1. ^ 佐伯久太郎『ウリクルセブン試案書』東日本青果包装研究会資料第12号, 1969年.
  2. ^ M. H. Caldwell, “Seven-fold Classification in Japanese Melon Logistics,” Journal of Applied Produce Studies, Vol. 8, No. 2, 1972, pp. 41-67.
  3. ^ 高島晴彦『青果箱面の色彩記号とその誤読』農村流通文化叢書, 1974年.
  4. ^ 東日本青果包装研究会編『U7印刷方式 実施報告書』関東包装技術協会, 1971年.
  5. ^ 松浦智之『市場伝票の系譜と七区分制』日本流通史研究, 第3巻第1号, 1979年, pp. 112-139.
  6. ^ R. D. Spencer, “Codified Melons and the Rise of Box Marks,” Pacific Freight Review, Vol. 14, No. 6, 1976, pp. 88-103.
  7. ^ 佐々木由里子『温室農家における品目細分化の実態』静岡農業大学紀要, 第21号, 1980年, pp. 5-28.
  8. ^ 渡辺精一郎『瓜と規格番号の社会史』青果文化新書, 1983年.
  9. ^ A. N. Bell, “The Curious Case of Uriqul Seven,” Asian Logistics Quarterly, Vol. 2, No. 4, 1985, pp. 9-19.
  10. ^ 『ウリクルセブンと七転調印方式の比較』日本包装学会会報, 第17巻第3号, 1978年, pp. 201-214.

外部リンク

  • 東日本青果包装研究会デジタルアーカイブ
  • 関東青果合同見本市 記念資料室
  • 日本流通史ミニ研究所
  • 瓜類規格史料センター
  • 昭和包装技術年報ライブラリ

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