オ・ウンゴール
| 氏名 | オ・ウンゴール |
|---|---|
| 画像 | Oh Ungol 2019.jpg |
| 画像サイズ | 280px |
| 画像説明 | [[2021年]]のリーグ開幕戦でのオ・ウンゴール |
| 愛称 | 湾岸の壁 |
| 生年月日 | 1992年7月14日 |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 身長 | 188 cm |
| 体重 | 84 kg |
| 国籍 | 日本 |
| 背番号 | 31 |
| ポジション | ゴールテンダー |
| 所属チーム | 横浜ベイクルーズ |
| 利き手 | 右投左打 |
| medaltemplates | [[冬季アジア大会]] 銀 2017 / 金 2021 |
オ・ウンゴール(お・うんごーる、[[1992年]]〈[[平成]]4年〉[[7月14日]] - )は、[[神奈川県]][[横浜市]]出身の[[プロアイスホッケー選手]]([[ゴールテンダー]])。右投左打。[[アジア・アイスホッケーリーグ]]の[[横浜ベイクルーズ]]所属。[[冬季アジア大会]]で2大会連続の最優秀守備選手賞を獲得し、[[2022年]]にはリーグ史上初の「無失点延長戦3連続」を記録した選手として知られる[1]。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
オ・ウンゴールは、[[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]]の埋立地にある旧倉庫街で育った。幼少期は港湾用の冷凍コンテナを「屋外リンク」と見なして遊んでいたとされ、地元の少年クラブで[[フィールドホッケー]]と[[フットサル]]を併用していた[2]。
[[2006年]]、[[横浜市立港南中学校]]の体育館で行われた地域講習会で、当時の指導者・渡会精四郎に発見された。渡会は、彼の反射神経について「パックを見る前にスケート刃が勝手に止まる」と評したとされるが、記録の一部は後年のクラブ広報が脚色した可能性がある[要出典]。
[[神奈川県立磯子高等学校]]では、当初は控え投手として[[野球部]]に所属していたが、冬季にグラウンドが凍結したことを契機にアイスホッケー部へ転部した。ここで彼は、ネット裏に置かれた消火栓を目印にした独自の角度計測法を編み出し、県大会で1試合平均1.8失点という成績を残したという。
所属チーム別の経歴[編集]
[[2011年]]に[[東日本学生リーグ]]の[[神奈川工科大学]]へ入学し、2年次から正ゴールテンダーとなった。[[2013年]]には大学選抜で[[北海道]]遠征に参加し、1試合で72本のシュートを受けながらも完封を果たし、以後「氷壁の72番」と呼ばれた[3]。
[[2015年]]、[[横浜ベイクルーズ]]と育成契約を結び、同年の開幕節でデビューを果たした。プロ入り後は、当初バックアップ要員であったが、正守護神の負傷により第7節で初出場を果たし、その試合で延長戦を含む83分間を無失点でしのいだ。[[2018年]]に正式契約へ移行し、以後8年連続でセーブ率9割台を維持している。
[[2022年]]にはチーム主将代理を務めた時期があり、試合前の整列で自ら氷上に置いたテープを踏んだことで「主将の儀式が雑である」と話題になった。また、[[2024年]]には[[オタワ]]での親善試合を経て[[カナダ]]の下部リーグから短期オファーを受けたが、リンクの広告看板が日本語でないと集中できないとして断ったとされる。
代表経歴[編集]
[[2017年]]に[[日本]]代表に初選出され、同年の[[冬季アジア大会]]で代表デビューを果たした。初戦の[[カザフスタン]]戦では、開始42秒で失点したものの、その後に41本連続で止めて逆転勝ちに貢献し、控え選手から一気に正守護神へ定着した。
[[2021年]]の冬季アジア大会ではキャプテンを務め、準決勝で3度のペナルティショットを全て阻止して決勝進出を果たした。同年の決勝では、相手国のスコアボード係が誤って彼の苗字を「オ・ウングール」と表記したことが、逆に相手選手の心理を乱したという逸話が残る。
[[2023年]]には[[世界選手権]]の日本代表に選出され、3回目の出場を果たした。大会中に自己ベストを更新する1試合49セーブを記録し、国際ホッケー連盟の統計誌で「北東アジアの静かな異常値」と紹介された。
選手としての特徴[編集]
オ・ウンゴールは、反射神経よりも「打たせる位置を限定する」戦術で知られている。シュートを正面で止めるのではなく、わずかに右へ弾いて味方DFの回収範囲へ誘導する技術に長け、これを地元紙は「港湾流ハンドリング」と呼んだ。
また、氷上での立ち位置が極端に低く、膝を深く折り曲げたまま滑るため、相手からは実際の身長188 cmよりも20 cmほど小さく見えるといわれる。[[2020年]]以降は、パックの軌道を読むために試合前に必ず3分間だけ[[横浜港]]の潮位表を眺める習慣を持つが、本人は「関係はない」と否定している。
一方で、プレーオフの延長戦になると妙に強く、[[2022年]]から[[2024年]]までの3シーズンで延長戦セーブ率を0.962に保った。リーグ記録としては異例であり、対戦監督の一部からは「彼のために延長戦だけ別競技に見える」と評された。
人物[編集]
私生活では寡黙な人物として知られているが、遠征バスでは必ず最後部座席に座り、出発後15分で弁当の白米だけを先に食べるという独特の習慣がある。これは幼少期に冷凍倉庫の作業員から「米は先に食え、気温は後で来る」と教わったためだと本人は語っている。
趣味は模型船の組み立てで、[[横浜市西区]]の小さな工作教室に匿名で通っていた時期がある。教室の記録帳には「O.U.」名義で平均1/350スケールの港湾模型を月2隻完成させたとあり、講師からは「接着剤の乾燥待ちが試合運びと似ている」と評された。
一方で、チームメイトからは試合後のルーティンが非常に細かいことで知られ、勝利のたびにスティックを17回だけ床に打ち付けてからロッカーへ戻る。この17回という数字については、本人が[[2015年]]のプロ入り初年度から続けていると説明しているが、なぜ17回なのかは「18回目で運が逃げるから」とだけ述べている。
記録[編集]
タイトル・表彰[編集]
[[冬季アジア大会]] 最優秀守備選手賞:2回([[2017年]]、[[2021年]])
[[アジア・アイスホッケーリーグ]] 月間最優秀選手:6回
[[日本アイスホッケー協会]] ベストセーブ賞:4年連続([[2020年]] - [[2023年]])
リーグ年間MVP:[[2022年]]に選ばれた。
なお、[[2024年]]には「氷上の可変角度補正法」の功績として横浜市スポーツ表彰を受けているが、これはセーブよりも装具の改良提案が評価された珍しい例である。
代表歴・個人記録[編集]
日本代表通算出場:58試合
通算セーブ数:1,742
1試合最多セーブ:49本([[2023年]]、[[バルセロナ]])
連続無失点時間:214分13秒
延長戦連続無失点:3試合
[[2021年]]の冬季アジア大会では、3試合連続でペナルティショットを阻止し、同大会の統計上は「心理的失点を含めれば0点台」と記録された。
出演[編集]
オ・ウンゴールは、現役選手でありながら広告出演が多いことでも知られている。[[2020年]]にはスポーツ飲料「K-ICE」のCMに出演し、無言でゴール前に立つだけの映像が逆に話題となった。制作側は当初、彼に台詞を与える予定だったが、本人が「口を開くと氷が溶ける気がする」と拒否したという。
[[2022年]]には[[NHK]]のスポーツ教養番組『氷の戦術学』に出演し、パックの跳ね返りを茶筒で説明する独自の解説が反響を呼んだ。また、[[日本テレビ]]系のバラエティ番組では、リンク上での目隠しキャッチ企画に挑戦し、6回中5回を成功させたことでスタジオを静まり返らせた。
さらに、[[横浜市交通局]]のマナー啓発ポスターにも起用され、「止まる勇気は、守る力」という標語とともに駅構内に掲示された。こちらは彼のプレーよりも、あまりに真顔でベンチに座る写真が支持されたために採用されたといわれる。
著書[編集]
著書に、トレーニング哲学をまとめた『ゴール前で考えないための12章』([[2023年]]、[[講談社]])がある。本文の半分近くが氷の硬さに関する随筆で占められており、専門家の間では「自己啓発書というよりリンク設備論に近い」と評された。
また、『セーブのあとで弁当を食べる』([[2024年]]、[[文藝春秋]])では、試合後の食事、睡眠、スケート靴の乾かし方までが細かく記されている。巻末には「自宅の冷凍庫は4段であるべきか」という設問付きの付録があり、読者アンケートでは意外にも家計管理の章が最も高評価であった。
このほか、チーム広報と共著の小冊子『横浜ベイクルーズ式 守備位置の微修正』が非売品として配布されたが、配布初日に関係者が誤って1,200部を海風の強い日に港へ運んだため、回収作業が発生した。
背番号[編集]
背番号は、プロ入り以来一貫して31番である。本人によれば、[[高校]]時代に初めて完封した試合のスコアボードが31分表示で止まっていたことに由来するというが、チーム関係者は「たまたま空いていた番号」と証言している[要出典]。
ただし、代表戦では大会規定により17番を付けたこともあり、このときは「31が氷に吸われた」とファンの間で半ば都市伝説化した。なお、[[2021年]]の国際大会では、控室の空調不良によりユニフォームの背番号が一時的に浮き上がり、審判が数字を読み違えたためにベンチ入り確認が遅れたという珍事もあった。
脚注[編集]
1. ^ 日本アイスホッケー協会編『2022年度リーグ年鑑』日本スポーツ出版、[[2023年]]、pp. 118-121。 2. ^ 渡会精四郎『港湾少年と氷上の視線』東海リンク研究所、[[2019年]]、pp. 44-47。 3. ^ O. Ungol, "The 72-Shot Game Reconsidered", Ice Sports Quarterly, Vol. 18, No. 2, 2024, pp. 9-16。 4. ^ 横浜ベイクルーズ広報室「オ・ウンゴール選手 契約更新のお知らせ」2022年3月15日。 5. ^ 佐伯みなと『氷壁の72番』北国文庫、[[2021年]]、pp. 203-208。 6. ^ "Goalkeeping in Tide Cities", Journal of East Asian Ice Studies, Vol. 7, No. 1, 2022, pp. 31-39。 7. ^ 小田切栄一『横浜湾岸スポーツ史』港都書房、[[2020年]]、pp. 171-176。 8. ^ "A Keeper Who Reads Tide Tables", The Arctic Sports Review, Vol. 11, No. 4, 2023, pp. 55-60。 9. ^ 『氷の戦術学』番組資料集、NHK出版、[[2022年]]、pp. 22-25。 10. ^ 田村結衣『セーブのあとで弁当を食べる』文藝春秋、[[2024年]]、pp. 88-93。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
横浜ベイクルーズ公式プロフィール
日本アイスホッケー協会 選手名鑑
アジア・アイスホッケーリーグ 公式記録ページ
Oh Ungol Fan Archive
港都スポーツ人物録
脚注
- ^ 日本アイスホッケー協会編『2022年度リーグ年鑑』日本スポーツ出版, 2023, pp. 118-121.
- ^ 渡会精四郎『港湾少年と氷上の視線』東海リンク研究所, 2019, pp. 44-47.
- ^ 佐伯みなと『氷壁の72番』北国文庫, 2021, pp. 203-208.
- ^ O. Ungol, "The 72-Shot Game Reconsidered", Ice Sports Quarterly, Vol. 18, No. 2, 2024, pp. 9-16.
- ^ "Goalkeeping in Tide Cities", Journal of East Asian Ice Studies, Vol. 7, No. 1, 2022, pp. 31-39.
- ^ 小田切栄一『横浜湾岸スポーツ史』港都書房, 2020, pp. 171-176.
- ^ "A Keeper Who Reads Tide Tables", The Arctic Sports Review, Vol. 11, No. 4, 2023, pp. 55-60.
- ^ 田村結衣『セーブのあとで弁当を食べる』文藝春秋, 2024, pp. 88-93.
- ^ 『氷の戦術学』番組資料集 NHK出版, 2022, pp. 22-25.
- ^ 横浜ベイクルーズ広報室『オ・ウンゴール選手 契約更新資料』2022年.
外部リンク
- 横浜ベイクルーズ公式サイト
- 日本アイスホッケー協会
- アジア・アイスホッケーリーグ公式
- 港都スポーツ人物データベース
- Oh Ungol Fan Archive