グツグツと煮込んだ枝豆
| 別名 | 煮崩れ枝豆、長煮枝豆 |
|---|---|
| 発祥 | 日本・神奈川県横浜市周辺とする説が有力 |
| 成立時期 | 1970年代後半 |
| 主材料 | 枝豆、水、塩、昆布、酒 |
| 特徴 | 豆皮が半分ほど剥離し、煮汁に青臭さが移る |
| 提供形態 | 小鍋、土鍋、酒肴皿 |
| 関連分野 | 家庭料理、居酒屋料理、食品工学 |
| 保存性 | 冷蔵で24時間前後とされる |
| 代表的行事 | 秋の収穫祭、港湾食文化展 |
グツグツと煮込んだ枝豆は、枝豆を長時間にわたり弱火で煮込み、豆皮の繊維をほどよく崩したうえで、汁ごと供されるの加熱料理である。地方によっては「煮崩れ枝豆」とも呼ばれ、後期の家庭料理研究と居酒屋文化の交差点から成立したとされる[1]。
概要[編集]
グツグツと煮込んだ枝豆は、を単に茹でるのではなく、やを加えた煮汁で長時間加熱する点に特徴がある。完成品は鮮やかな緑をやや失い、豆の一部が崩れてとろみを帯びるため、見た目は地味であるが、香りの立ち方が強いとされる[2]。
一般には酒肴として認識されるが、の一部では夜食や船待ちの軽食としても扱われてきたとされる。また、普通の枝豆よりも塩分の浸透が均一になりやすく、昭和末期には「豆の煮えを待つ時間こそ会話が生まれる」としての小料理屋で好まれた、との記録がある[3]。
歴史[編集]
起源とされる港湾調理[編集]
起源は周辺の船員食に求められることが多い。1930年代末、冷蔵技術が不安定であった埠頭の食堂では、鮮度を保つために枝豆を短時間で処理する必要があったが、ある食堂主のが誤って弱火の鍋に数時間放置したところ、かえって香味が深まったという逸話が残る。
この逸話はの内報『港食雑記』第12号に要旨のみが掲載されたとされるが、原文は散逸しており、現在では検証不能である[4]。ただし、同時期の港湾関係者の回想録に「青い豆の匂いが船室の湿気を消した」との記述があり、調理法の原型は1940年代には成立していたとみられる。
家庭料理化と1970年代の再発見[編集]
家庭料理として定着したのは後半である。の家庭科学研究室に在籍していたは、枝豆の加熱時間とタンパク質変性の関係を調べる過程で、通常より長く煮た試料のほうが「甘味の知覚が持続する」と報告した[5]。この報告は学術的には周辺的であったが、地方新聞が見出しを「煮すぎた枝豆に学理あり」と誤って紹介したことで話題になった。
同時期、の酒場では「ぐつぐつ枝豆」と呼ばれる提供法が半ば流行し、には横浜駅西口の飲食店街で14店舗が同種のメニューを掲げたとされる。なお、うち3店舗は後年の聞き取りで「最初は失敗作だった」と証言しており、料理名に“失敗の肯定”という文化的価値が生じた点が注目される。
普及と規格化[編集]
に入ると、業務用食材メーカーが「加熱後品質保持枝豆」として冷凍流通を試みた。特にの食品加工会社は、解凍後に再加熱しても皮が過度に裂けない品種選定を進め、1997年には「煮込み適性指数」を独自に算出したとされる。この指数は粒径、皮厚、可食率の3要素からなるが、評価式の一部に「店主の気分」が含まれていたため、学会発表では賛否が割れた[要出典]。
頃には、居酒屋チェーンが「煮込み枝豆」を定番化し、1店舗あたり平均で月126皿が出るとの業界誌報告が掲載された。もっとも、同報告の付録には「汁を飲み干す客が多いため原価率が想定より高い」とあり、後に厨房オペレーションの難物として再評価された。
調理法[編集]
伝統的には、殻を外した枝豆500グラムに対し、水900ミリリットル、塩12グラム、昆布4センチ、酒大さじ2を用い、弱火で22分から34分煮るとされる。火力が強すぎると豆が割れ、弱すぎると青臭さが残るため、の老舗料理人はこれを「鍋の息を聞く料理」と形容した。
提供時は、煮汁をやや多めに残し、柚子皮や山椒を添えることがある。また、の一部では味噌を微量に溶かし込む変種があり、これが雪国の保存食技法と結びついたとする説がある。なお、煮込む工程の途中で豆を一度冷ますと、再加熱時に甘味が増すとされるが、再現性は低いと報告されている。
文化的影響[編集]
この料理は、単なるつまみを超えて「沈黙を許す食べ物」として扱われた。煮えた鍋を囲む間、客は出来上がりを待つしかなく、その時間が会話の間合いを整えるとされたためである。の酒場文化研究家は、これを「煮込み待機時間の共同体化」と呼んだ。
また、1980年代後半には、テレビの料理番組で「枝豆を煮る勇気」という特集が組まれ、視聴者から1,200件を超える賛否の投書が寄せられたという。賛成派は「青いまま食べる常識を裏返した」と評価し、反対派は「豆の気が抜ける」と批判したが、最終的には“家庭で余った枝豆の再生法”として定着した。
港町の小規模飲食店では、グツグツと煮込んだ枝豆を注文すると、同時に熱燗を一合追加する「二重温度法」が慣行化したとされる。これが後の居酒屋メニューにおける温度差設計、すなわち冷菜・温菜の同時提示に影響を与えたという見方もある。
評価[編集]
栄養学的には、加熱によって一部のビタミンが失われる点が指摘されている一方、消化のしやすさと満足感の高さが支持されている。特に高齢者施設向けの試験献立では、噛む力が弱い利用者でも食べやすいとして採用例があるとされる。
一方で、料理評論家のは『週刊味覚評論』において「枝豆をここまで煮るのは、豆への敬意なのか執念なのか判別しがたい」と評し、料理の本質が“成功した失敗”にあると論じた。これに対し、横浜の居酒屋組合は「失敗ではなく、時間を味に変える技法である」と反論している。
批判と論争[編集]
最大の論争は、煮込み時間をどこまで延ばすかという点にある。伝統派は25分前後を主張するが、革新派は40分以上の長時間加熱により、スープ状の旨味が増すと主張する。これに対して食品衛生の観点からは、再加熱を繰り返すことで風味が急激に落ちるとの指摘があり、の一部資料では「提供後30分以内の喫食」が望ましいとされた[6]。
また、2012年にのイベントで行われた「全日本煮込み枝豆選手権」では、審査基準に“鍋底の歌声”が含まれていたことから、料理競技としての妥当性が議論になった。優勝したは「湯気の上がり方が整っていた」として高く評価されたが、採点表の一部が主催者の手書きで改変されていたことが後に判明し、要出典のまま現在に至る。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 倉持百合子『枝豆の長時間加熱における甘味知覚の変動』東京農業大学紀要, 第41巻第2号, pp. 113-128, 1978.
- ^ 松井伝三『港湾食堂夜話』横浜港食文化協会, 1956.
- ^ 長谷部理香『酒場における待機時間の共同体化』日本都市生活研究, Vol. 18, No. 3, pp. 44-59, 1992.
- ^ 東海豆品研究所 編『加熱後品質保持枝豆の実務指針』東海食研出版, 2001.
- ^ 有馬孝之『週刊味覚評論選集 1987-1994』味覚評論社, 1995.
- ^ 西園寺正清『鍋の息を聞く——京都料理哲学小考』洛東出版, 1989.
- ^ K. H. Bennett, 'Thermal Persistence in Simmered Legumes', Journal of Applied Food Rituals, Vol. 7, No. 1, pp. 22-39, 2004.
- ^ Margaret L. Thornton, 'The Sociology of Overcooked Beans', Culinary Studies Quarterly, Vol. 12, No. 4, pp. 201-217, 2011.
- ^ 北島久美『全日本煮込み枝豆選手権公式記録集』中区イベント振興会, 2013.
- ^ 『煮込み枝豆と温燗の相互作用に関する覚書』神奈川県飲食衛生研究会報, 第9巻第1号, pp. 7-15, 2008.
外部リンク
- 横浜港食文化アーカイブ
- 日本枝豆煮込み協会
- 港町料理研究所
- 居酒屋温度学データベース
- 東海豆品研究所公開資料室