サナギの胃潰瘍
| 名称 | サナギの胃潰瘍 |
|---|---|
| 別名 | 蛹胃潰瘍、P.G.U.、繭前びらん |
| 学術分類 | 仮説的昆虫消化器疾患 |
| 初出 | 1897年ごろ(横浜の蚕糸講習会記録) |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、マルガレーテ・A・ソーン |
| 主な対象 | 家蚕、天蚕、クスサンの一部個体 |
| 診断法 | 繭透過光検査、腹部拍動観察、糞化石判定 |
| 関連機関 | 大日本蚕糸試験場、東京帝国大学衛生学教室 |
| 社会的影響 | 繭の等級制度、幻の防潰瘍飼料、地方博覧会 |
| 現在の扱い | 学界では否定的だが、地方資料ではしばしば言及される |
サナギの胃潰瘍(さなぎのいかいよう、英: Pupal Gastric Ulcer)は、との境界領域で扱われる、昆虫の期にみられるとされた仮説上の病態である。特にの現場で古くから知られていたとされ、のちに東京都の研究者らによって体系化された[1]。
概要[編集]
サナギの胃潰瘍は、の体内に形成されるとされた小潰瘍を指す概念で、主として明治時代末期から昭和初期にかけて関係者のあいだで流布した。実際にはサナギに人間の胃に相当する器官は存在しないが、当時の養蚕家の間では「繭のつやが落ちる」「羽化が遅れる」といった不調の説明語として広く用いられた[2]。
この語は、単なる病名というより、・・が混ざり合った過渡期の概念として理解されることが多い。なお、1898年の横浜港湾検疫記録には、輸入桑葉の湿気と「蛹胃痛」を関連づける記述があり、後年の研究者がこれをサナギの胃潰瘍の最古級の記録とみなした[3]。
成立の経緯[編集]
起源は神奈川県の製糸農家が用いていた「さなぎ腹やみ」という俗称に求められることが多い。これが後半、東京帝国大学の生理学講義に招かれた渡辺精一郎によって「胃潰瘍」という語に翻案され、学術用語めいた外観を得たとされる。渡辺は、サナギを解剖した際に観察された暗色の斑点を「消化液の逆流痕」と解釈したが、実際には多くが脂肪体の変性だったという[4]。
一方で、スイスの昆虫学者マルガレーテ・A・ソーンがの学会で発表した「蛹期内圧異常説」が日本側の議論に影響を与えたとする説もある。ソーンの論文は当時ほとんど読まれていなかったが、のちに『繭と胃の比較病理』という訳題で再発見され、症例数が妙に多いことから一部で神格化された。
研究史[編集]
大日本蚕糸試験場による標準化[編集]
、は全国12県の養蚕家から報告を集め、サナギの胃潰瘍を「A型:繭外観不良」「B型:羽化遅延」「C型:繭内沈黙型」に分類した。もっとも、この分類は観察者によって基準が大きく異なり、同じ個体が県をまたぐと型が変わることすらあったと記録されている[5]。
標準化の狙いは、輸出繭の品質管理にあったとされる。とくに群馬県と長野県の生産者は、病名がつくことで価格が下がることを警戒し、検査員の前で「潰瘍のないサナギ」を見せるため、夜間に保温籠を二重にしたという逸話が残る。
帝都病理学派との接点[編集]
には東京市内の私立病院で、医師の佐伯辰之助が「昆虫病理の概念は人間の慢性胃炎に応用できる」と主張し、サナギの胃潰瘍を半ば比喩、半ば実在として扱う論文を発表した。これが『帝都病理学雑誌』で3号連続の反論を招き、最終的には「蛹の腹部蠕動の有無」を巡る公開書簡合戦に発展した[6]。
ただし当時の資料には、研究会の休憩時間に提供されたの糖度が高すぎ、参加者の記録がやや誇張されたのではないかとする指摘もある。この点は今なお要出典とされることがある。
民間療法と繭薬[編集]
1930年代に入ると、サナギの胃潰瘍は逆に「治療すべき弱点」として商業利用され、の一部商家では『繭薬』と称する桑の葉煎じ液が販売された。広告には「潰瘍傾向の蛹には朝夕三滴」と書かれていたが、実際の成分は糖蜜と苦味料で、結果的にサナギよりも飼育者の胃に効いたという話がある。
また、京都の旧家に伝わる『蛹養生秘録』には、繭箱の下にの小皿を置くと腹部の熱が逃げるとあるが、現代の昆虫学者はこれを温湿度調整の経験則にすぎないとみている。
診断法[編集]
診断には、かつて三つの方法があるとされた。第一にで、繭を壊さずに腹部暗影を見る方法である。第二にで、竹筒を繭に当てて微弱な動きを確認する方法で、実際には周囲の風音を聴いていたにすぎないとされる。第三にで、乾燥した排泄片の形状から慢性化を推定するものであった。
とくに有名なのは、に名古屋で行われた「三百繭比較試験」である。試験では300個の繭のうち47個に胃潰瘍が疑われ、翌日には51個に増え、さらに検査員が増えると67個まで跳ね上がったため、後年「観察者依存性の極めて高い病態」と評された[7]。
社会的影響[編集]
サナギの胃潰瘍は、養蚕農家の経営と地方行政に意外な影響を与えた。まず、繭の等級表に「腹斑注意」の欄が追加され、内務省系の検査書類が1枚増えたことで、地方の役場では記入専任の臨時職員が雇われたという。
また、のある村では、潰瘍を恐れるあまりサナギに向けてを立てる風習が生まれ、これが「繭守り」として観光化した。観光案内には「一日四回の祈祷で羽化率が12%向上」と書かれていたが、実際には飼育箱の換気が改善したためとみられる。
批判と論争[編集]
戦後、下で再編された農業研究機関は、サナギの胃潰瘍を迷信的概念として整理しようとしたが、古い養蚕家の証言が多く残っていたため完全な抹消には至らなかった。特に、繭の品質低下を病名で説明したがる傾向が地方紙の投書欄で長く続き、1950年代には「胃潰瘍は実在するが検出不能なだけだ」とする半信半疑の論説が複数掲載された[8]。
学術的には、腹部の黒点を潰瘍と断定した初期報告の大半が、、または単なるの影だと考えられている。ただし、地方博物館に保存されている一部の標本は、今なお「病変らしきもの」としか記載されておらず、この曖昧さ自体が概念の寿命を延ばしたとする見方もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『蛹腹病理学概論』大日本蚕糸試験場出版部, 1902年.
- ^ Margarete A. Thorn, "On Pupal Gastric Lesions in Bombyx mori", Journal of Comparative Entomology, Vol. 14, No. 2, pp. 113-129, 1908.
- ^ 佐伯辰之助『帝都における蛹胃炎の臨床的比喩』帝都医報社, 1925年.
- ^ 大日本蚕糸試験場編『全国蚕種調査報告書 第7輯』農商務省印刷局, 1913年.
- ^ K. H. Ellington, "Silk, Stomach, and the Question of Larval Pain", Transactions of the East Asiatic Medical Society, Vol. 9, No. 4, pp. 201-218, 1931.
- ^ 長谷川鈴子『繭と胃の比較病理』青峰書房, 1934年.
- ^ 横浜市史編さん室『港湾検疫と桑葉輸入の記録』横浜市史資料叢書 第22巻, 1967年.
- ^ 西園寺健一『戦後農業行政と迷信用語の整理』日本農政文化研究会, 1959年.
- ^ M. A. Thornton, "The Pupal Ulcer Problem Reconsidered", Proceedings of the Zurich Natural History Circle, Vol. 21, pp. 77-91, 1910.
- ^ 『蛹の腹痛と夜明けの祈祷』地方民俗研究年報 第3号, 1982年.
外部リンク
- 蚕糸史アーカイブ
- 帝都病理資料館デジタルコレクション
- 横浜港検疫文書室
- 仮説疾患百科
- 繭と衛生の民俗研究会