シェキナベイベー大西
| 別名 | シェキナ、ベイベー節、大西口上 |
|---|---|
| 起源 | 1974年ごろ、梅田地下街の即席舞台 |
| 流行地域 | 大阪市北区、神戸市三宮、京都市河原町 |
| 担い手 | 口上師、深夜放送のハガキ職人、商店街青年部 |
| 特徴 | 4拍子の手拍子、語尾の反復、名前を連呼する祝福 |
| 成立年 | 1977年 |
| 代表的媒体 | 関西AM深夜番組、商店街の年末福引 |
| 禁句 | 「シェキナ」が3回連続すること |
シェキナベイベー大西(しぇきなべいべーおおにし)は、後期のを中心に流行した、即興の口上と手拍子を伴う都市型の祝祭芸能である。のちに圏の深夜ラジオ文化と結びつき、若者言語としても知られるようになった[1]。
概要[編集]
シェキナベイベー大西は、の繁華街で自然発生したとされる口上芸で、祝い事や開店セール、学園祭の前口上に用いられた現象である。名称は「シェキナ」と呼ばれる謎の掛け声と、「ベイベー」と反復されるリズム語、ならびに伝承上の創始者とされるの姓から成る。
この文化は、当初はの地下街で靴磨き職人たちが客寄せのために編み出したものとされるが、のちに系の深夜番組で取り上げられ、若者のあいだで一種の通過儀礼として広まった。もっとも、初期資料の多くは商店街振興会の回覧板に依拠しており、成立経緯には不明点が多い[要出典]。
歴史[編集]
誕生と定着[編集]
伝承によれば、夏、の地下通路で露店のラジオ修理をしていたが、通りがかりの祭り囃子に合わせて「シェキナ、ベイベー」と唱えたのが始まりである。これを聞いた近隣の豆腐店主が拍子木を叩いて応じたことで、即興の掛け合いが成立したという。
翌にはの年末売り出しで実演され、売上が前年比で17.4%増加したとされる。なお、この数字は当時の帳簿ではなく、後年の商店会ニュースにしか見えず、統計の正確性には疑義がある。
深夜ラジオとの結合[編集]
以降、の深夜帯に投稿されたハガキをきっかけとして、シェキナベイベー大西は「読む芸」へと変質した。放送作家のが、投稿文の末尾に必ず「大西さんも聞いている」と付ける慣習を導入したことで、匿名のリスナー共同体が形成されたといわれる。
の『深夜笑撃団ベイベー倶楽部』では、番組史上最多の1夜あたり4,382通の投稿が届き、そのうち約6割が「大西」を含む造語であったとされる。これにより、同芸能は口承文化から半ば行政文書化された若者表現へと移行した。
全国拡散と衰退[編集]
ごろからの大学祭にも輸入され、との応援団が互いに「正統派」を名乗って対立した。特にの貸し会議室で開かれた「第3回ベイベー研究会」では、拍手の間隔を2.1秒とするか2.3秒とするかで6時間以上の紛糾が起きた。
しかし後半には、過度に儀礼化したことから若者の間で敬遠され、代わって「スーパー大西」や「シェキナ改」などの派生語が流行した。地域によっては体育祭の入場曲に転用されるなどの生き残りを見せたが、本来の即興性は失われたとされる。
特徴[編集]
シェキナベイベー大西の基本形式は、発話三拍・手拍子四拍・肩回し一回を1セットとする。口上師は相手の名前を2回呼んだのち、必ず語尾を「〜やでベイベー」とするのが慣例であった。
また、使用場面によっては「祝福型」「煽動型」「謝罪型」の三系統に分かれたとされる。祝福型は結婚式、煽動型は商店街セール、謝罪型は自治会の騒音苦情対応に用いられたという。とりわけ謝罪型は、謝罪の冒頭で「シェキナ」と言うことで相手の怒りを半減させる効果があると信じられていた[2]。
一方で、語の反復が一定回数を超えると聴衆が軽い陶酔状態になるとされ、の社会言語学研究室が1984年に行った実験では、被験者38名のうち31名が「なぜか福引を回したくなった」と回答した。
社会的影響[編集]
この現象は、商店街の販促技術、深夜ラジオの参加文化、そして名前を呼ばれることへの共同体的快楽を結びつけた点で注目される。特にの若者文化においては、自己紹介より先に口上を始める行為が一時的に許容され、面接練習にまで応用された。
また、の内部報告書によれば、1981年から1983年のあいだに、シェキナベイベー大西を採用した催事の平均滞在時間は通常催事より23分長かったとされる。ただし同報告書の末尾には「集計担当が熱狂しすぎたため再計算不能」と記されており、信頼性は高くない。
なお、の納涼イベントでは、運営側が誤って拡声器に「大西モード」を設定した結果、入港する貨物船にまで口上が届いたという逸話が残る。これが後年、港湾PRの一例として講演資料に引用されたことから、半ば都市伝説として定着した。
批判と論争[編集]
批判の多くは、発話の勢いが強すぎるあまり周囲の意思決定を圧迫するという点に向けられた。とくにのの町内会では、ゴミ集積所の場所を決める会議が「シェキナ、ベイベー」の連呼で終結し、議事録に一切の結論が残らなかったとされる。
また、創始者とされる大西重蔵の実在性については、同名の履歴書が3通見つかっている一方で、いずれも学歴と職歴が微妙に異なるため、複数人物説が有力である。これに対し一部の研究者は「大西は人名ではなく号である」と主張しているが、決定的証拠はない。
さらに、1990年代以降は観光向けに記号化されすぎたことで、「本来のシェキナはもっと湿っていた」とする古参愛好家の反発も起きた。これは民俗芸能一般に見られる保存と商品化の葛藤を示す事例として引用されることがある。
再評価[編集]
に入ると、レトロな商店街文化への関心の高まりとともに再評価が進んだ。の学生サークルが発行した冊子『ベイベー口上再訪』は、地方言語の遊戯性と共同体形成を論じる資料として扱われている。
また、にはで「シェキナベイベー大西の夜」と題する展示が行われ、当時の拍子木、回覧板、深夜放送の録音カセット3本が公開された。来場者の多くが「懐かしい」と語ったが、実際には初見であった可能性が高い。
近年では、短文投稿サービス上で語尾だけを模した派生表現が流行しており、元来の祝祭性とは異なる文脈で消費されている。とはいえ、名前を呼び、拍子を取り、場を祝うという基本原理は依然として生きているとされる。
脚注[編集]
1. 伝承資料では説もあるが、商店会記録との整合性から説が用いられることが多い。 2. 謝罪型の効果については、社会言語学研究室の未公刊メモにのみ記述がある。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 宮本啓二『関西深夜放送と即興口上の生成』朝日放送出版部, 1986年.
- ^ 田所由紀『商店街祝祭の社会言語学』ミネルヴァ書房, 1992年, pp. 41-68.
- ^ Robert H. Ellison, "The Baby Refrain and Urban Ritual in Postwar Osaka," Journal of Asian Folklore Studies, Vol. 18, No. 2, 1994, pp. 201-229.
- ^ 大西重蔵記念事業委員会編『ベイベー大西資料集 第一巻』大阪民俗文化館, 2001年.
- ^ 佐伯真一『拍子と反復の日本文化史』講談社選書メチエ, 2008年.
- ^ Katherine L. Moore, "Call-Response Commerce: Street Promotions in Kansai," Urban Anthropology Review, Vol. 12, No. 4, 2011, pp. 77-103.
- ^ 『大阪市北区商店会連合会年報 1975-1980』大阪市北区商店会連合会, 1981年.
- ^ 中村俊哉『ラジオが作った大阪語彙』岩波書店, 2015年.
- ^ Yasushi Kondo, "Shekina and the Semiotics of Cheer," Kyoto Journal of Popular Culture, Vol. 7, No. 1, 2019, pp. 5-39.
- ^ 『シェキナベイベー大西と都市の呼吸』関西都市文化研究センター, 2022年.
- ^ 山岡あかり『ベイベーの民俗学: 祝祭語の変遷』春秋社, 2023年.
- ^ Margaret T. Halloway, "Why Three Repetitions Fail: Notes on Osaka Chant Rituals," pp. 9-14, 1998.
外部リンク
- 関西口上文化アーカイブ
- 大阪地下祝祭研究所
- ベイベー資料室
- 都市芸能データベース Osaka
- 西日本若者言語年表