ジーンズダメージ屋
| 正式名称 | ダメージ加工衣料整形事業者 |
|---|---|
| 通称 | ジーンズダメージ屋 |
| 発祥 | 東京都渋谷区原宿 |
| 成立年 | 1987年頃 |
| 主な業務 | 色落ち、擦過、裂損、補修痕の付与 |
| 代表的素材 | セルビッジデニム、ストレッチデニム |
| 関連産業 | 古着市場、撮影衣装、舞台衣装 |
| 標語 | 新品を、何年も履いたように |
| 管轄とされた部署 | 通商産業省 生活素材振興室 |
ジーンズダメージ屋(ジーンズダメージや、英: Jeans Damage Shop)は、製品に人工的な摩耗、裂け、退色、汚損を施し、既製品に「着古した風合い」を与える加工業者の通称である[1]。1980年代後半の東京都・原宿で成立したとされ、業界では「経年劣化の代行」とも呼ばれる[2]。
概要[編集]
ジーンズダメージ屋は、に人工的なダメージを施すことで、実際には新品であるにもかかわらず「長年履き込んだ個体」に見せる加工を専門とする業態である。加工内容は、膝の擦り切れ、裾のほつれ、ポケット口の色抜け、金具の酸化表現など多岐にわたり、店ごとに「履歴書」のような加工設計図が作られたとされる[3]。
この業態は単なる補修業ではなく、との中間に位置する奇妙な職能として発展した。なお、業界内部では「壊すのではない、未来の使用感を前借りするのだ」という説明が好まれ、初学者向け講習会ではこの文言が半ば定型句となっていた[4]。
歴史[編集]
原宿期の成立[編集]
起源については諸説あるが、最も有力なのはに渋谷区神宮前の裏通りで開業した小規模仕立て店「沢田繊維補正所」が、客の要望に応じて膝部に紙やすりを当てたのが始まりとする説である。創業者のは、アメリカ帰りのスタイリストが持ち込んだ“worn look”という言葉を誤訳し、「磨耗感」を作る仕事として定着させたという[5]。
当初は古着の補修と区別がつかず、近隣の質店からは「壊して直すのか、直して壊すのか判然としない」と苦情が出たとされる。一方で、1990年前後には周辺の若年層が、未洗いの濃紺デニムを持ち込み、1時間で“7年履いた風”にしてもらうという需要が急増した。
工業化と標準化[編集]
には大阪府東大阪市の染色機械メーカーが、回転ブラシと局所噴霧を組み合わせた半自動装置「DM-93型」を試作し、作業時間を従来の4時間40分から平均38分に短縮したとされる。これにより、個人店の手作業だったダメージ付与は、工場内のライン工程へ移行し、検品表には「左膝:気怠さ」「右尻:生活感」といった独特の評価欄が設けられた[6]。
また、この時期にの外郭団体とされたが、ダメージの強度をI〜VI級に分類する自主規格を策定した。もっとも、VI級は「ライブハウス床面由来の泥汚れまで再現する」危険水準とされ、実務上はほとんど用いられなかった。
海外輸出と逆輸入[編集]
1998年以降、ロサンゼルスとロンドンのセレクトショップが日本製ダメージデニムを「都市型遺物」として販売し、価格が1本あたり通常品の約3.8倍に上昇した。これが逆輸入の形でやに戻り、消費者が「海外で評価された古さ」を再び買うという循環が生まれた[7]。
この現象は当時の雑誌『FIBER & NOISE』で「時間の外注」と評されたが、編集後記では「履き込んだ演出のために履き込まないのは、もはや倫理か美学か不明である」と記されている。なお、フランスでは洗練された破れ方を「東京式裂損」と呼ぶ向きがあったが、実際には京都の老舗仕立て工房の補強技術が元になっていたという指摘がある。
製法[編集]
ダメージ屋の製法は、単純な切断や漂白に見えて、実際には素材の年輪を演出する複合技術である。基本工程は、砂洗い、研磨、局所脱色、ミシン跡の再現、補修糸の再配置から成り、最後に「使用者の生活圧」を想定した折り癖を入れる[8]。
特に評価が分かれたのが「膝下二次破断」と呼ばれる技法で、着用2か月目に自然に裂けたように見えるため、店員は客の歩幅、階段の登り方、通勤時の座席姿勢まで聞き取りを行った。東京都内の一部店舗では、試着室の床にあえて砂粒を散らし、履いた直後から“履き慣れ感”を観察する手法まで採用された。
一方で、1990年代末には過度に人工的な加工が「最初から疲れて見える」と批判され、上級者向けに「未完成のまま完成させる」半加工ジーンズが流行した。これは、擦れを8割だけ入れ、残り2割を購入者の生活に委ねるという発想であり、結果として顧客が本当に摩耗を引き受ける点で、きわめて奇妙な商品哲学を形成した。
社会的影響[編集]
ジーンズダメージ屋の普及は、日本の若年層に「新品を新品のまま着ない」価値観を広めたとされる。これにより、古着文化と量産ファッションの境界が曖昧になり、駅前のショッピングモールでも「最初から物語のある服」が売られるようになった[9]。
また、舞台衣装や映画撮影では、撮影初日にすでに“役を生きてきた感”を出せるとして重宝された。とくに時代劇の脇役や、失業者・旅人・ロックミュージシャン役の衣装費が平均17%削減されたという報告がある。ただし、実際には役者が本物の生活臭を出し始め、衣装合わせより人間観察の会議が長くなったという副作用も確認されている。
一方、教育現場では「破れた服を真似しても良いのか」という道徳論争が起き、の家庭科の授業でダメージ表現を題材にした結果、生徒の約12%が裁縫より先にサンドペーパーの使い方を覚えたとされる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、意図的な劣化を商品価値に転換する点にあった。環境保護団体は、見た目のために資源を余分に消費する行為として問題視し、には横浜で「新品を傷つけるな」デモが行われた。しかし参加者の半数が当日着用していたジーンズダメージ屋製のパンツであったため、活動家の一部からは「自己言及的すぎる」と評された[10]。
また、業界内部でも、どこまでが「自然な使用感」でどこからが「演出」かを巡り対立が続いた。特にの「第3回ダメージ美学会議」では、左脚のみを異常に破く派と、左右均衡を保つべきだとする保守派が激突し、最終的に司会者が「左右差は人生である」とまとめて閉会したという。
なお、一部の高級店では顧客の職業に応じて“人生年数”を換算するサービスが導入され、深夜勤務者には自動的に裾の擦れを多めに入れるなど、差別的ではないかとの要出典レベルの指摘もあった。
代表的な店舗[編集]
記録に残る代表的店舗としては、原宿の「沢田繊維補正所」、大阪市中崎町の「Blue Scar Lab」、名古屋市栄の「裂損工房ミナト」、大名の「履歴加工室オリオン」などが挙げられる。いずれも看板は地味であるが、店内には毛羽立ち見本、退色サンプル、補修糸の年表が並び、ほとんど小さな博物館の様相を呈していた。
なかでも「Blue Scar Lab」は、客が持参したジーンズを一晩預かり、翌朝には“前日まで長距離バスに乗っていた人”のように仕上げることで知られた。店主のは「ダメージは傷ではなく、都市生活の履歴です」と語ったとされ、この言葉は後に業界の標語の一つになった。
脚注[編集]
脚注
- ^ 沢田政吉『ダメージの倫理学』日本衣料外観調整協会, 1994年.
- ^ Margaret L. Thornton, “Manufactured Wear in Urban Denim Markets,” Journal of Textile Semiotics, Vol. 12, No. 3, 1999, pp. 41-68.
- ^ 木下玲子『裂け目の設計――都市衣料の再編集』青砂出版社, 2002年.
- ^ 高橋義弘「ダメージ表現の標準化とその逸脱」『生活素材研究』第18巻第2号, 1997年, pp. 119-143.
- ^ Akira Watanabe, “The Aesthetics of Pre-Aged Garments,” Fashion Systems Review, Vol. 7, Issue 1, 2001, pp. 5-29.
- ^ 小野寺美紀『新品を古く見せる技術史』港湾文化社, 2005年.
- ^ 通商産業省 生活素材振興室『衣料外観調整に関する実態調査報告書』, 1993年.
- ^ Helen S. Rowe, “Scratch, Fade, Repeat: A Study of Intentional Denim Decay,” Material Culture Quarterly, Vol. 21, No. 4, 2004, pp. 88-112.
- ^ 中村一郎『ダメージ屋の経済圏』東都出版, 2011年.
- ^ 『FIBER & NOISE』編集部「時間の外注」『FIBER & NOISE』第5巻第9号, 1998年, pp. 2-17.
- ^ Jean-Paul Mercier, “Tokyo式裂損の誤読について,” Revue de l’Habillement Moderne, Vol. 3, No. 2, 2000, pp. 77-81.
外部リンク
- 日本衣料外観調整協会アーカイブ
- 原宿繊維文化研究所
- 都市服飾民俗資料館
- ダメージ加工年表データベース
- FIBER & NOISE 旧号閲覧室