デュプランティエの大脱走
| 名称 | デュプランティエの大脱走 |
|---|---|
| 別名 | デュプランティエ式離脱 |
| 起源 | 1928年、ボルドー近郊 |
| 提唱者 | オーギュスト・デュプランティエ |
| 分類 | 逃走芸、群舞、実演心理学 |
| 主な使用地域 | フランス、ベルギー、日本 |
| 流行期 | 1930年代 - 1950年代 |
| 関連機関 | 欧州演技安全協会 |
デュプランティエの大脱走は、南西部で発達したとされる集団脱出技法、またはそれを応用した初頭の演目形式である。一般にはの近郊で行われた「第1回デュプランティエ式離脱公開試験」を起源とする[1]。
概要[編集]
デュプランティエの大脱走は、複数の演者が同時に「拘束されている状態」から、規則的な合図に合わせて一斉に離脱することを基本とする実演形式である。観客には奇術の一種として紹介されることが多いが、初期の研究者はむしろとの中間に位置づけていた。
名称は、流域の香辛料商オーギュスト・デュプランティエに由来するとされる。彼は倉庫火災の際に帳簿係7名を一列に結んで避難させたところ、偶然これが「美しい脱走」として評判になったため、のちに様式化されたという[2]。なお、この逸話の初出はの地方紙『La Feuille de Bordeaux』とされるが、当該号の所在には一部疑義がある。
当初は商家の倉庫管理訓練として始まったが、後半にはの小劇場で上演されるようになり、衣装・脚本・ロープ結びの規格化が進んだ。特にが定めた「第4種脱走」規格は、後世の演者に強い影響を与えたとされる。
歴史[編集]
成立期[編集]
成立期の中心人物は、提唱者であるオーギュスト・デュプランティエと、彼の姉妹であるであった。マドレーヌはからにかけて、麻袋・革紐・ワイン樽を用いた三段階拘束法を考案したとされ、これが後の標準装備になった。
にはの見本市で「36秒以内に全員が脱出できなければ失格」とする競技化が試みられた。記録では初回は平均41秒で不合格であったが、審査員が感心しすぎて判定を保留したため、結果的に成功扱いになったという。
拡張と制度化[編集]
、の下部組織とされる「公共退避演示局」がこの技法に注目し、駅構内や港湾施設での訓練に導入した。特にでは、コンテナの代わりに木箱を用いることで、脱走時の騒音が12dB低減したと報告されている[3]。
一方で、芸能化が進むにつれ、脱走そのものより「脱走するまでの沈黙」が評価されるようになった。1939年の公演では、主演者が開始前に9分間まばたきだけで会場を支配し、これを「静的離脱」と呼ぶ流派が分派した。
日本への伝播[編集]
日本にはに経由で伝わったとされるが、定着したのはの東京国際演示会以後である。そこで内の興行会社が「和装デュプランティエ」と称して座敷牢風の舞台装置を導入し、畳の下に隠された滑走路から抜け出す演目が話題になった。
では、これを商談成立の比喩として用いる文化が生まれ、営業会議で「本日2回目の脱走に成功した者から昼食」といった奇妙な社内制度が散見されたという。もっとも、これらの記録は後年の企業広報誌に依拠しており、信頼性には差がある。
技法[編集]
デュプランティエ式の基本構成は、①拘束、②観客の誤認誘導、③同時合図、④無傷の離脱、の4段階からなる。演者は左手首にを結ぶことが多く、これは脱出後に「まだ束縛されていた痕跡」を示すためである。
最も重要なのは、結び目そのものではなく「結び目が解かれたように見える瞬間」を作ることであるとされる。古典派では1人につき結び目17個を標準としたが、後期には観客疲労を避けるため11個に簡略化された。
また、演者間の視線交換は原則禁止である。これはにで起きた「目配せによる早漏脱走事件」への反省から導入された規則で、現在でも教材に載ることがある。
社会的影響[編集]
この技法は芸能界のみならず、やにも影響した。とりわけの内部研修では、遅延発生時の乗客誘導に「大脱走式整列法」が採用され、列車1本あたりの誘導時間が平均18%短縮したとされる。
また、では脱走の美学が少年団体の野外活動に取り入れられ、ロープワークの上達より先に「逃げる際の礼節」を学ばせる教育法が流行した。これに対し保守派からは「逃走の過度な芸術化である」との批判があったが、支持派は「礼節なき脱走はただの混乱である」と反論した。
以降は、テレビの普及によって「成功より失敗の方が視聴率を取る」ことが判明し、わざと1人だけ残される“半脱走”形式が商業的に拡大した。この形式では、最後に残った演者が必ず帽子を落とすという慣習があり、現在もファンの間で重要視されている。
批判と論争[編集]
デュプランティエの大脱走は、その起源があまりに劇的であるため、早くから捏造史観の対象となった。特にの研究報告では、デュプランティエ家の家計簿に「ワイン樽 3、脱走用ロープ 14、観客への謝礼 0」と記されていたことから、後世の脚色が相当含まれると指摘されている[4]。
また、にはの公演で、脱走に使う鍵束が実は舞台監督の昼食用だったことが暴露され、以後「小道具の真正性」が大きな論点となった。もっとも、愛好家の一部は「本物の鍵ではなく、本物の気分こそが重要である」と主張しており、現在でも議論は決着していない。
なお、とだけ書かれた古いファンジンがいくつか確認されているが、その多くは実在の劇場名と架空の配役表を巧妙に混在させているため、研究者の間ではむしろ史料価値が高いとみなす向きもある。
主要な流派[編集]
古典派は、拘束の緊張感と脱出後の無言を重視する。これに対し港湾派は、荷役作業の合間に実演することで「脱走は生活の一部である」と示した。
で発展したとされる都市派は、地下鉄の改札音を合図にする点で知られている。とくにの小劇場「スタジオ・ナイン」では、開演から脱出までが一切無音で進行し、観客が先に帰ると成立するという逆転形式が人気を博した。
さらに、の愛好家によって提唱された数学派は、脱走成功率を確率論で説明しようとしたが、最終的には「だいたい気合である」という結論に落ち着いたため、現在は半ば伝説扱いである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Henri Valois『Les Arts de l'Évasion: Dupontier et la scène moderne』Presses Universitaires de Bordeaux, 1957.
- ^ 松田 恒一『脱走の美学――欧州演技安全協会の形成』芸能史研究社, 1968.
- ^ Clara Beauchamp, “Rope, Silence, and the Public Exit,” Journal of Performing Customs, Vol. 12, No. 3, 1971, pp. 144-169.
- ^ 渡辺 俊介『港湾作業と見せかけの離脱』日本民俗演示学会誌, 第8巻第2号, 1974, pp. 33-58.
- ^ Michel Arnaud『La Feuille de Bordeauxと脱走神話の生成』Éditions du Quay, 1981.
- ^ Patricia H. Lorne, “The Fourth Class Escape: Institutionalization of a Trick,” The Review of Civic Theater, Vol. 5, No. 1, 1986, pp. 7-29.
- ^ 佐伯 みどり『和装デュプランティエの成立』東京演芸出版, 1992.
- ^ Jean-Pierre Delmas, “On the Silent Detachment of Performers,” Comparative Folklore Quarterly, Vol. 19, No. 4, 2004, pp. 201-233.
- ^ 小林 直人『結び目工学入門』国際演技安全協会出版局, 2011.
- ^ Élise Marot『Un livre sur la fuite élégante』Revue des Objets Inutiles, 2017.
外部リンク
- 欧州演技安全協会
- ボルドー民俗演示博物館
- デュプランティエ式離脱アーカイブ
- 新宿無音劇場連盟
- 結び目工学研究会